霧雨模様。

鳥の鳴き声、虫の声からなんとなく春の訪れの気配を感じる。

2月はもう少し厳しい寒さを予期していたので意外な感じのここ数日です。多分また何度か寒い日もぶり返すのだろうけれど。

実は今週あたりからリエカ最大のお祭り、仮装行列による大フェスティバルが本格化するのだが、残念ながら私たちは見る事ができない。この祭りはすでに近隣各地の村々で始まっていてそれが徐々に盛り上がっていくものらしい。

春を迎えるこの祭りは、はるかキリスト教以前からの土着のものが起源ということだ。約3週間後にリエカの中心街で行われるパレードでピークを迎えるとの事。

妻は見れない事を残念がっている。


午前中、町に行き両替などをする。

午後、私たちの名前がついたオリーブの樹をダルマチア、プリモシュテンにあるユーリッチさんのオリーブ畑に植樹するためのセレモニーを行う。名札を刺して樹が元気に育ち実を沢山つけるようにお祈りし土をかけ、そして皆でウオッカで乾杯する。

私たちはこの樹のゴッドファーザーとゴットマーザーだとのこと。

これからユーリッチさんたちはオリーブ畑に行く度にこの樹に「トモコサン」「テラヤマさん」と声をかけるんだという。ユーリッチさんらしい別れの挨拶。


0207-1.jpg

0207-2.jpg

0207-3.jpg

終日、大掃除に追われる。

夕方やってきたマイーダさんとの会話。

彼女は現在新しく作っているリエカ市のウェブサイトの編集ディレクターをしていることを昨日はじめて聞いたのだった。彼女はそこで様々な提案をしているらしく、今日はその為の重大な会議があると言っていた。ここの市長はすでに8年続いているリベラルな人で市民からは信頼されているらしい。5月には選挙もあるので、選挙のストラテジスト(戦略家?)やザグレブのデザイナーなどもやって来るという。

「今日の会議はどうだった?」と僕が尋ねると

「問題なく完璧に行きました。」とマイーダさん。その会議の中で

「この前撮影したテラヤマさん夫婦のリエカ市へのメッセージビデオを見せて紹介したら、市長がぜひディナーに招待したいので伝えてくれと言って来たの。」

「へえー。」

「でもテラヤマさんは明後日にはリエカを発ちます。と答えたら」市長から

「何で昨年の4月から今までこの僕に紹介してくれなかったんだ。と言われたわ。」

「だってテラヤマさんは自分はシャイだと言ってたし、そもそもこうゆうポリティカルなこと嫌いでしょ。」

「うん。そりゃそうだ。でももしそれがソボルさんやマイーダさんにとって必要だったならば多分どこへでも行ったと思うよ。」

彼女は笑っていた。


0206-1.jpg
朝、郵便局で荷物を送る為にマイーダさんが車で迎えに来てくれる。荷物が結構重いし、雨も降っているしで妻も手伝いに行くと言っていたのだがマイーダさんから「あなたは来てはダメ。家で寝てなさい」と言われ結局彼女の言葉に甘える事になった。
クロアチアで郵便を送る場合、完全にパッケージしてはだめで箱を開けられる状態で持って行く。そこで郵便局員が内容をチェックしOKが出てから梱包をし直すのだ。
郵便局員はマイーダさんと顔見知りの人だったらしく、とても良い人だったが、荷物を持って行って作業が終わるまでに2時間もかかった。
たかだか3箱の荷物を送るのに1人の郵便局員がかかり切りで2時間かけるなんて。こんなことで果たしてクロアチアのシステム大丈夫か?と思うが、僕が心配してもはじまらない。
2時間の間、荷物をあっちやこっちやに移動し、検査後指示されたとおりにパッケージし直す作業をやっていると汗がでてきた。まるでジムで運動したみたいねとマイーダさんと苦笑する。
とにかく荷物を無事送り出す事ができたのでホッとした。
帰りに車で「こんな非効率的なシステムで大丈夫かなあ」というとマイーダさんはいつものように済まなさそうに「クロアチアでは毎年の様にルールが変わるの。ごめんなさいね。」と言う。実際値段もネットであらかじめ調べていたのと全く違っていた。
でも実は最近では異常なまでに社会の隅々までサービスが行き渡った今の日本が普通じゃないのだと思うようになりましたけど。
考えようによっては今の(これまでの)日本は天国のような所なのだ。住んでいると気づかないけど。でもその日本システムもこれからは維持していけないかもしれないなあと思う。多分日本人がその為に相応の無理をしているのかもしれないから。

帰りの車でマイーダさんと話した事がもう一つ。
僕がリエカとザグレブで講義をしたことを知ったスプリットの美術大学の先生がマイーダさんに電話して来て、是非スプリットの美術大学に来てくれという依頼があったとのこと。
クロアチアはザグレブ、リエカ、スプリットが人口でも文化的にも3大都市なのだ。
スプリットは9月に訪れたところで、あのディオクレティアヌスの宮殿跡が旧市街になっている所。近くにはサロナ遺跡もあり、僕にとってはかなりお気に入りの町だった。
http://www.esporre.net/terayama/2008/09/0917split.php
http://www.esporre.net/terayama/2008/09/0918salona.php
「そこの美術大学の先生が、ザグレブなんてコンサバティブじゃない。私たちのところはモダーンだから、テラヤマは私たちの所にこそ来るべきよ」と言って来たという。
それを聞いて僕は「ああ、またスプリットに行きたいな」と単純におもったのだったが、
「でもテラヤマさん、奥さんが風邪でそれどころじゃなかったし、もう時間もないからあなたにはわざわざ相談しなかったわ。私からイッツトゥーレイト。ネクストタイムと言っときましたたからね。」と言われた。
「テラヤマさんあなたは今やここではユーメイジンよ。」とおもしろそうに笑っていた。
...僕は一瞬頭に浮かんだスプリット再訪が出来ない事が少し残念であった。


午前中、銀行や買い物などのために町に行く。
ここ数日寒さが緩んだようだ。小雨で霧が出ている。
このペタルクジッチの階段で町まで出るのももう最後かと思いながら歩いて行く。

0204-1.jpg

0204-2.jpg
昨年末からリエカの最も古い教会の横で発掘作業が行われていた。先日そこからローマ時代のきれいなモザイクが現れ、4〜5世紀の石棺も出土したことが新聞でもテレビでも大々的に報道されていた。新聞はソボルさんがわざわざ持って来て見せてくれた。
その現場に寄ってみる。
この正面の教会の塔の向こうが海である。おそらくここはかなり広い神殿だったと推察できる。トルサット城ももとはローマ人が造った監視用の砦だったのだと思う。
僕が市長ならこの教会や周りの建物みんな移築して完全に掘り返してみたいが、この後どうするのだろう。

0204-3.jpg

0204-4.jpg

午後、アメリカに発つソボルさんが別れの挨拶にやってきた。
いつか彼らと日本でまた会える日を楽しみとしたい。

夕方、いよいよ荷造り本格化。妻は時折起きて来てテキトーな僕の荷造り作業を監視するまでに回復した。
8日の出発までには何とかなりそうなので一安心である。
荷物は総計80キロで3箱。重さ調整が本当にやっかいであった。
妻の症状あまり変わらず。
今日あたり元気になるのではないかという僕の希望的観測は外れる。
ただ夕方あたりには、少し回復の兆し。
少なくとも最悪のピークを越したのではないかと思う。

昨日に引き続き荷物の選別や荷造り作業などを一人で行う。
あまり捗らず。

0201-1.jpg
以下妻の写真機より。前回のザグレブ行きの途中風景。

0201-2.jpg

0202-1.jpg

0202-2.jpg

妻には全く回復の兆し見えず。 
僕の時よりも症状が重いようである。

でも、呆然としているわけにもいかず、とにかく撤収のための荷造りを一人でやるしかない。
しかしここクロアチアでは荷造りの前に、荷物を送るということそのものが日本のように簡単ではないのだ。
マイーダさんとこちらの郵便事情、システムを相談するところからやる必要があるのだ。調べてもらうと料金も日本より高いしよくわからない制約がありそうだ。
こちらでは僕にすればひたすら本を買わないよう努めてきたが、それでも各所で頂いたものや資料、恐らく日本では手に入りにくいだろうと思われ購入した本が60キロほどになる。段ボール箱二箱半くらい。
その他全部で80キロ程のそれらをどのように送るかを検討。

以下10月末からこれまでの旅の覚え書きを記す。
覚え書きを記しながら思ったのだが、藤田さん、薬師寺さんが訪ねてきてくれたのはわずか3ヶ月前、ついこの間だ。
その後こんなにあっちやこっちや行ったのかと思うと我ながらこの旅尋常じゃないなと思う。
まあ自分で言うのも変ですが。
旅の前半、6月頃だったと思うが友人のスエマツ君にメールで「よくお前のその無茶苦茶な旅のスケジュールに奥さんが耐えられているなあ」と言われたことを思い出す。
実はこの旅の出発ぎりぎりまで妻は一緒に来たくないと言っていたのだ。
「あなたの研究なんだから、一人で行けばいいじゃない。子供たちが心配だから私は東京にいます。お金もかかるし。もし困ったら行ってあげるから。」だった。
まあそんな経緯もあったのだがともかく旅はここまで来たのだ。
何とか全うするしかありません。

旅の記録

10月26日以降2月頭まで。クロアチア、スロヴェニア、フランス、オーストリア、ドイツ、イタリア、エジプト、ヨルダン。


museum/library 美術館/博物館等】

ステューデント・センター(美術館)(ザグレブ)/1930年万博会場跡(ザグレブ)/ルーブル美術館(パリ)/パリ・フォト(パリ)/T.A.F(パリ)/ポンピドゥー美術館(パリ)/科学技術博物館(ウイーン)/旧総督邸(文化歴史博物館)(ドブロブニク)/クロアチア芸術協会美術館(ザグレブ)/イムホテップ博物館(エジプト)/ヌビア博物館(エジプト)/ルクソール博物館/エジプト考古学博物館/聖カトリーナ修道院(図書館)/レッド・ドット・ミュージアム(デュッセルドルフ)/シオルフェライン炭鉱跡(デュッセルドルフ)/クンスト・パラスト(デュッセルドルフ)/エーレンホーフ文化センター(デュッセルドルフ)/K21シュテンデハウス州立美術館(デュッセルドルフ)/グーテンベルク・ミュージアム(マインツ)/マチルダの丘(マインツ)/芸術家コロニー美術館(ダルムシュタット)/ドイツ映画博物館(フランクフルト)/ドイツコミュニケーション博物館(フランクフルト)/シュテーデル美術館(フランクフルト)/建築博物館(フランクフルト)/応用工芸美術館(フランクフルト)/モダン・アート・ミュージアム(フランクフルト)/シーオルガン(ザダール)/リエカ近現代美術館(リエカ)/フォルマ・ヴィヴァ屋外石彫美術館(ポルトロージェ)以上30カ所



camii/temple/church 教会/寺院/城/近代建造物等】

聖母被聖天大聖堂(ザグレブ)/トルサット城(リエカ)/ドブロブニク大聖堂(ドブロブニク)/ドミニコ会修道院(ドブロブニク)/スポンサ宮殿(ドブロブニク)/フランシスコ会修道院(ドブロブニク)/アスワン・ダム(エジプト)/アスワン・ハイ・ダム(エジプト)/スクオーラ・ダルマータ・サン・ジョルジョ・デッリ・スキアヴォーニ教会(ヴェネツィア)/サンティッシマ・ジョバンニ・エ・パオロ教会(ヴェネツィア)/ペンラート城(デュッセルドルフ)/結婚記念塔(ダルムシュタット)/ロシア教会(ダルムシュタット)/オルブリヒ自邸(ダルムシュタット)/ベーレンスハウス(ダルムシュタット)/ハウス・ダイタース(ダルムシュタット)/グリュッケルト・ハウス(ダルムシュタット)/ケルン大聖堂/フランシスコ会修道院(ザダール)/聖ストシャ大聖堂(ザダール)/聖マリア教会修道院(ザダール)/聖ドナド教会(ザダール)/聖ユーリ教会(ロブラン)/聖ユーリ教会(ピラン)/ピラン城壁 以上25カ所


city/nature 街並/自然景観等】

オパティア市街/モトブン市街/ドブロブニク旧市街/カイロ市街/ナイル沿岸(エジプト)/ナセル湖/スーク/バフレイヤ・オアシス(白砂漠、黒砂漠。クリスタ/シナイ山/ダハブ市街/アカバ港(ヨルダン)/死海(ヨルダン)/サン・マルコ広場(ヴェネツィア)/リド島(ヴェネツィア)/メディエンハーフェン(再開発地区)(デュッセルドルフ)/デュッセルドルフ旧市街/ケルン市街/バカール市街(クロアチア)/ザダール市街/ロブラン市街(ロブラン)/ピラン旧市街(スロヴェニア)/ポルトロージェ市街/ポストイナ市街/ポストイナ鍾乳洞 以上24カ所



ruins遺跡等】

クフ王、カフラー王、メンカウラー王のピラミッド(エジプト)/スフィンクス(エジプト)/ジェセル王のピラミッド・コンプレックス(エジプト)/ウナス王のピラミッド(エジプト)/アブシンベル神殿(エジプト)/イシス神殿/コム・オンボ神殿(エジプト)/ホルス神殿(エジプト)/ルクソール神殿(エジプト)/王家の谷/王妃の谷/メムノンの巨像/ハトシュプスト女王葬祭殿/カルナック・アムン大神殿/ペトラ遺跡(ヨルダン)  以上15カ所


academic ivent/university 大学/学会/イヴェント】

ザグレブ大学建築学部デザイン学科(ザグレブ)/マリンコ・スダッチ邸(ザグレブ)/FH.Dデュッセルドルフ応用科学大学コミュニケーションデザイン学科(デュッセルドルフ)/鈴木武アトリエ(デュッセルドルフ)/ダルムシュタット工科大学(ダルムシュタット)/リエカ大学応用美術アカデミー(講義)/ザグレブ大学建築学部デザイン学科(講義) 以上7カ所

昨晩から妻の調子が悪くなった。
多分風邪だと思うが今朝は起きられない状態になった。
熱とのどの痛み。
実は密かに恐れていたことなのだ。
僕は1月前半に同じく風邪でダウンしたが彼女が大丈夫だったおかげで何とかなった。
はじめは「この人が元気でよかった」と思ったのだったが、もし疲れからくるものだとしたら、二人一緒の行動なので何で僕がダウンしてこの人は大丈夫なんだろうか、とも思ったのだ。そしてこの人が倒れると本当にまずいなあ、このまま大丈夫でいってほしいなあと。
はっきり言って私たちはこの旅最大の危機に直面しているのかも知れない。

今日は日曜日でソボルさんたちが車でイストラ半島に連れて行ってくれることになっていたし、もうひとつは大家のユーリッチさんのオリーブ畑に私たちの名前のオリーブを植樹する為、その名付け(?)のセレモニーも行う予定だったのだ。(ユーリッチさんはこれをとても楽しみにしていた)
とにかく申し訳ないが、全てをキャンセルしてもらう。
2月8日からは帰国まで50日間の長旅が続くので、旅の途中で倒れるよりも今ここで体調を整えると考えればまだましかと思う。

終日資料の整理や片付けなど。

夕方ソボルさんたちが来てヴィデオで「雪点前」の撮影を行う。
これで彼らも映像を見ながら復習することができる。
ついでにリエカ市に住んでいる外国人によるリエカへのメッセージを撮影しているので協力してくれと言われ、ヴィデオに向かって二人でメッセージを送る。
後で見直すと、少し痩せていた。少しだけど。
とにかくこれで茶箱を無事渡す事ができたので妻はホッとしたようだった。

0131-1.jpg
ソボルさんは4日から仏教徒のコンファレンスに参加するためにアメリカに行く予定だ。
この会議には欧米から各宗派の人々が集まるという。

0131-2.jpg




これまでザグレブ芸大(美術大学)と僕が言っていた場所は、正確にはザグレブ大学・建築学部・デザイン学科ということらしい。
昨晩の酒盛りのせいで幾分(実はかなり)二日酔いではあるものの8時には目が覚める。
ミラン・アキコ邸にて朝食後、ザグレブ大学に向かう。
大学は実は今、冬休みなのだがブキッチ先生の配慮なのだろう、大学の院生を中心に多くの学生が集まっていた。
12時から1時間半ほどのレクチャーを行う。
事前にアキコさんから「テラヤマさん英語でしゃべったほうがいいんじゃないですか」と言われ、ちょっと迷ったが最初の予定通り日本語で話し、アキコさんに通訳してもらうことにした。
リエカと同様話がどこまで伝わったかどうか心もとないけど、なんとなく伝わったような感触はあった。
その後、あの(狂気の)コレクター、マリンコ・スダッチさんも加わって昼食。
僕の話したことを巡ってやそれ以外にもデザインの様々なテーマをめぐって話は尽きず。
スダッチさんは前回に会った時柳瀬正夢や村山知義に興味があると言っていたので、昨秋ムサビで行われたO教授企画の柳瀬正夢展覧会の図録を渡した。
相当、感動していた。後2年のうちには日本のアヴァンギャルド資料を集めたいと思うと言っていた。冗談じゃなさそうなところが相変わらず凄い。
この間にもハンガリーのアヴァンギャルド系の資料をかなり集めたと言っていた。
「見に来ないか」と誘われたが今回は遠慮した。
彼とは今後も関係が続きそうな気がする。
妻に言わせれば
「彼にとってあなたは理解者なのよ」らしい。

その後関係者と別れ、ミラン・アキコ邸に戻ってもまだ話は尽きず。
アキコさんミランさんともに今日も泊まれと誘って下さったがリエカでの諸々もあり
後ろ髪ひかれる思いで8時のザグレブ発リエカ行きのバスに乗る。
ミラン・アキコさんは今年の春or夏に日本に来る計画があるのでその時の再会を期待しつつ別れる。
アキコさんは普通にしゃべるだけではなく常に気を使ってミランさんに通訳しつつだったのでとても疲れたのではないかと思う。とにかく僕は酔っぱらうとマシンガンのようにしゃべってしまうから。
申し訳なかったと思う。
0130-1.jpg
ミラン・アキコ邸のバルコニーからの眺め。

0130-2.jpg
ザグレブ大学入り口にあった今回のレクチャーの為のポスター。

0130-3.jpg

0130-4.jpg

0130-5.jpg
右にいるのはレクチャー後いろいろ質問して来た学生。後で聞いた話によると普通講義をした後クロアチアの学生はめったに質問をしないらしい。

0130-6.jpg
右からミラン・トレンツ、今回僕を呼んでくれたブキッチ教授、左は学部長(名前失念)

0130-7.jpg
ミラン・アキコ夫妻と。

0130-8.jpg
以下ブキッチ教授からもらった大学の資料。

0130-9.jpg

0130-10.jpg

明日のザグレブ大学での講義の為午前中11時のバスでザグレブへ移動。
ザグレブのバスセンターにミランさんが車で迎えに来てくれる。
今回のザグレブ滞在はホテルではなく、これまでお世話になり今回も通訳をして下さることになっているアキコさんが誘って下さったのでその言葉に甘えて、アキコ・トレンツ邸にお邪魔することになったのだ。
トレンツさんがわざわざ我々の為に(かどうかは正確にはわからないけど)ザグレブの山に行っておいしい水を採取してくれていると聞いたので、夕方お茶会をすることにした。
その後の夜、アキコさんの手料理をいただき、明日の講義の準備はそっちのけで話がはずんでしまった。
多分アキコさんのおもてなしがスペシャルだったのだろう、私たち二人はリラックスしてしまい(二人とも遠慮を知らない厚かましい性格なので)ガンガン、ワインを飲んでしまったように思う。
途中、ミラン家のお酒がなくなり(多分)ミランさんがワインを買いに出るという事までさせてしまったのだった。
とにかく普段それほどたくさんお酒を飲まない妻が、久しぶりに日本語でしゃべれる同世代の女性であるアキコさんと会えてお話しできたせいかどうかわからないが、とにかく話が尽きず夜中までの酒盛りになってしまったのだ。
デザインのこと、アートのこと、生きること、日々のささいなこと、日本と外国に住むこと、とにかく話は尽きない。
翌朝、並んだワインの瓶を見て少し反省しました。
まあとにかく楽しかったのです。

0129-1.jpg
ミラン・アキコ邸でのお茶会。

0129-2.jpg
スペシャル魚料理、アキコさんによる。

0129-3.jpg
ミラン・アキコ邸からの眺め。

0129-4.jpg
これはミラン・トレンツのザグレブでの回顧展(2005年)のカタログ。

今回ミラン・トレンツさんの作品をゆっくり見せてもらうことができた。
彼は早熟の天才で十代後半にコミックマガジンがヒットしてクロアチアでデヴューしている。
大学(ザグレブの映画大学)卒業前に作ったアニメーションで認められ、またクロアチア時代のコミックがニューヨークのヘヴィイメタルマガジンに認められ、卒業後ニューヨークへ。
先輩にクロアチアを代表するデザイナー、ミルコ・イリッチがニューヨークに居た。
彼と一緒に多くの仕事をしている。
ニューヨークタイムズやワシントンポスト、フォーチューン、ウオールストリートジャーナルのイラストレーターとして活躍し、同時期に作った絵本「ナイトミュージアム」がハリウッドで映画にもなっている。
4年前にアキコさんとともにクロアチアにもどりザグレブ芸術大学で映像を教え、アニメーションなどの作家活動をしている。
先輩のミルコ・イリッチがロックスターみたいにカッコ付けているのに比べて、トレンツ君はユーモリストで飾らない人柄、そして凄い才能を持った人であると思う。
友達になりました。

0129-5.jpg
同上図録より。

0129-6.jpg
漫画作品(コミックストリップ)

0129-7.jpg

0129-8.jpg
展覧会の様子。


カテゴリ

アイテム

  • 09-1212.jpg
  • 09-1211.jpg
  • 09-1129.jpg
  • 09-1129-1.jpg
  • 09-1115.jpg
  • 09-1103-4.jpg
  • 09-1103-3.jpg
  • 09-1103-2.jpg
  • 09-1103-1.jpg
  • 09-1028-4.jpg