セヴィーリャから9キロ離れたところに古代ローマ時代の遺跡、イタリカがあり、午前中バスで出かける。この遺跡は紀元前206年に築かれた大都市である。
詳述する時間はないがこの時期ローマはカルタゴ、あのハンニバルとの激闘を繰り返していた(第二次ポエニ戦争)。この後(イベリア半島征服=地中海の完全覇権掌握によって)ローマは本当の世界帝国になっていくのであるがこの都市はそのポエニ戦争の最中につくられたものである。
またここはあのトラヤヌス帝、ハドリアヌス帝が生まれた場所でもある。つまりトラヤヌスはローマ貴族出身ではなくローマ帝国内属領出身の最初の皇帝になった人でもある。
私たちはローマの遺跡に来ると何故か元気になる。妻の風邪も完全に回復したようだ。
ローマ人が都市を築く場所は常にその地域における最高の場所だからだと思う。
昔の東洋人ならば風水的に最高の地というだろう。

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ホテル前の路上にて。

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以下イタリカ遺跡。この遺跡は広大である。幸いにして周辺が都市化されていないためこのような完全な形で残ったのだと思う。発掘されているのは全体の10分の1(あるいはそれ以下)程度ではないかと推測する。
何もない所でもかつての都市の空間全体の広さを感じる事ができるのが素晴らしい。

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未発掘の場所

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手前が発掘されていて向こうは土に埋められている。

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円形劇場

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その後セヴィーリャの町に戻り、美術館へ。
17世紀に建てられた修道院だったところ。アンダルシア地方の画家の作品が集められている。
ムリーリョを筆頭にスルバラン、ベラスケス、バチェーコ、その他近代の作家まで。

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ファーロからバスでスペイン、アンダルシア地方の州都セヴィーリャに移動。バスで3時間(+時差1時間)。
スペイン南部のアンダルシアは闘牛やフラメンコなどスペインの中でも最もスペインらしいところと言われる。ジブラルタル海峡を挟んでアフリカ大陸も近く、その文化的な影響も色濃い。

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ポルトガルとスペインの国境の川、グアディアナ川を渡る。


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以下セヴィーリャ市街。

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市役所広場

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ヒラルダの塔、先端。ヒラルダとは風見のこと。

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セヴィーリャの歴史的象徴のひとつ、カテドラルとヒラルダの塔。
詳述する時間はないが、712年のモーロ人(=ムーア人=アフリカのイスラム)に征服されたイベリア半島(その中心地がセヴィーリャであった)がその後レコンキスタによって再びキリスト教に再征服される。このカテドラルにはイスラムが残した塔やオレンジの中庭と、レコンキスタ後に作られた巨大な(ヨーロッパ全土でサン・ピエトロ、セント・ポールに次いで3番目の大きさ)聖堂が合体している。
確かに巨大だが、威圧感はあまり感じない。これが大変不思議というか、普通の聖堂が持つシンメトリーが微妙にはずされた空間、結果的に中心軸をずらした空間になっていて興味深い。
これをイスラムとキリストの調和と言うべきかどうか知らないし、ましてやポストモダン的というと語弊がありそうだけれども、僕にとっては「結果的に出来てしまった」ようなその全体の構成が大変面白く、とても好ましい空間であった。

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オレンジの中庭

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今日は日曜日。
最初に訪れた郷土博物館が休みで出鼻を挫かれる。ガイドブックの記載と異なるのだ。これは大変残念。その後旧市街の外側に広がる新市街を散歩し市場などに行き、旧市街にある考古学博物館へ。内部は写真不可だった。
その後、時間が余ったので昨日僕は見れなかった例の夕焼けを見た後、映画に行く事にした。
町の映画館ではアメリカ映画を2本やっていて「ベンジャミン・バトン」というのを見た。
大きなスクリーンで見るのはヴェネツィア映画祭以来なので久々である。
字幕はポルトガル語。英語がもちろんちゃんとは分らない。なのでひたすら画面を凝視し内容を追うことになる。こういった見方は不便ではあるけど、他方意外と面白みもあるのだ。映像のリズムとかトーンのようなものに普段よりも意識が行かざるを得ないのだ。日本だとどうしても字幕に意識が行き過ぎるのだ。
なので感想を書くのは少し憚られるのだが、この特殊な見方においてこの映画の感想を述べておこう。
まず最初に出て来るケイト・ブランシェットのメーキャップが、かつて見たコッポラの「ドラキュラ」ゲイリー・オールドマンのメーキャップそのままで、はじめは別のホラー映画の宣伝だと思ったくらいだ。(もしドラキュラを見てない方はぜ確認してみて下さい)
それから想起される事はドラキュラも不死を主題にしており、時間と逆行して若返るというこの映画とはつながっているのだ。
で、結局はケイト・ブランシェットの醜いメーキャップは、欧米人の老いに対する強烈な潜在恐怖が図らずも露呈しているのだと解釈せざるを得ないのだ。

画面を見ながら「老いる事はそんなに醜い事なのか?」という問いが最初から出て来て困る。
(クロサワの「乱」における老いもそういえば醜かったなあ。しかしこの映画においては老いと誕生は一つに結ばなきゃならないんじゃないか?アジアでは鶴亀の例の様に老いはめでたいことなのだ)

この映画の中ではベンジャミンの育ての母親の存在感が頭抜けて良いし、船でロシアに行くエピソードなど時々ファンタジックな部分もあるものの、戦後の描き方はいきなり平板になってしまう(つまりこの映画の比較的良い部分は、時間と逆行して生きざるを得ないベンジャミンと基本的にはあまり関係のない所で展開する)。
そして結局やたらと長い。長過ぎる。母親(ブランシェット)と娘の何度も繰り返す挿入シーンなどは全く不要ではないのか。
ニューオリンズのあのハリケーンにダブらせる必然性はあったのだろうか。
観客は後半ひたすらブラット・ピットが若返ること(CG加工やメーキャップ)に意識を向けられていく。これも本来の主題とは関係のない事だ。世界中の人間がブラット・ピットの若返りに固唾をのむなんてちょっと倒錯的な感じがしました。

以上、言葉の理解なしの見地から見た無謀な批評でした。実際はどんなに凡作であったって映画を見れただけで楽しかったんですけど。
まあこの監督「エイリアン3」の時から相性が良くないようだ。もしこの映画が好きな人がいたら許して下さい。

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考古学博物館

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オウムを背負って夕日を見に来る男。

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奇妙な偶然。映画「ベンジャミン・バトン」でこれと全く同じ構図の画面が二度登場する。映画の方は朝だったけれど。

朝の列車でリスボンを発ちポルトガルの南端の町、ファーロに向かう。約22030キロの距離か。電車で約4時間。


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今回のポルトガル、スペインの南部諸都市訪問の目的はローマやギリシアの遺跡を見る事も当然あるけれど、ヨーロッパにおけるイスラムの痕跡、イスラムとキリスト教の混交を見る事も目的の一つである。

ここファーロはポルトガルにおけるイスラム勢力の終焉した場所なのである。地中海を渡ればもうそこはアフリカなのだ。


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ファーロ沖合に広がるラグーンの航空写真。私たちは町が出来る前のヴェネツィアがこのような状況だったのではないかと想像した。


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旧市街の門、アルコ・ダ・ヴィラを内から振り返る。


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旧市街の中心。


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夕方、僕は散髪に行ったのだがその間妻が撮った夕焼けの写真。


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沖合にラグーンの影が見える。

妻の風邪が少しぶり返し、調子が今一なのでホテルに残し、僕は午前中は一人で町を散歩する。ホテルからドゥケ・デ・サルダーニャ広場を通り、ボンバル侯爵広場、ラト広場などぶらぶらと5キロ程歩く。


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午後、少し体調の良くなった妻と再びグルベキアン美術館へ。歩いて10分程のところにある。

別館で今日からダーウィン展が始まるので、その為に改めて来たのだ。

展覧会は大変熱のこもった素晴らしいものだった。また改めてここの美術館全体は素晴らしいと思う。設計の中心はリベイロ・テレス(Ribeiro Teles)という人らしいがやはり詳しい事はわからない。ポルトガル初期モダニズム建築の傑作と言われているらしい。私の印象は鎌倉の近代美術館を思わせる落ち着きと佇まいを持つ。


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最近、たまたまK先生とベンヤミンをめぐってメールのやりとりをしていて、それはベンヤミン自身のナチスからの最後の逃避行のことについてなのだが、同時にかの有名な「アウラ」というこばをめぐって自分なりに見えて来たものについて語っていたりしていたのだ。その話はまだ続いているのでいつかここでまた触れると思う。

それとは別にK先生とのやりとりで以前に三木成夫さんのことを教えてもらったことがあり、ちょうどそれを改めて読み直したいと思っていたところだったのだ。その本の書名は『海・呼吸・古代形象』であった。三木さんは解剖学者、発生学者なので直接ダーウインとは関係があるのかどうかは知らない。僕にとってのダーウィンは佐々木正人さんやエドワード・リードによる「魂(ソウル)から心(マインド)へ―心理学の誕生 」経由(読みかじり?)なのだ。しかし今の僕の中ではこの三木さんという人とダーウィンが繋がっているのだ。しかも三木さんはモルフォロギアでゲーテに繋がっている。

説明はしませんが。

...ということもあって(話せば長くなりますが)、今回のダーウィン展は大変刺激的でした。

また展示ではかのラマルク「form follow the function」についてもちゃんと触れられていたし、リンネやビュフォンなどの博物学の歴史についても。


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リンネ


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リンネの分類模型


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ビュフォン


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ラマルク


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ビーグル号


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生モノもちゃんと展示してます


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これは剥製。


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ダーウィンのメモ


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この後妻はホテルに戻り、僕はリスボン最後の夜なので町を無目的に彷徨う。



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リベイラ市場。

二階には大きな書店とワイン・ショップがあった。そういえばポルトガルで特筆すべきはワインのおいしさである。しかも大変安い。コストパフォーマンスが大変高いことに驚く。


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CCBはベレン・文化・センターの略称。

設計はイタリア人グレゴッティという人。劇場、会議場、ギャラリー、レストラン、ショップなどの複合施設。大きさの割には外壁の石の色のせいか威圧感はない。大ギャラリーでは現代美術(1940年以降)を中心にした展覧会を行っていた。


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国立考古学博物館。

ここは広大なジェロニモス修道院の西棟部分にある。この修道院は大航海時代のポルトガルの栄光を偲ばせる大建築である。


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エントランス。内部は撮影不可であった。

展示は大変凝ったもので、ポルトガルの底力を感じる。


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海洋博物館。

ジェロニモス修道院の西の端に入り口がある。素晴らしい博物館であった。


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ここはさすがに船の模型が凄い。質量ともに圧倒される。


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海洋博物館のミュージアム・グッズは意外な事にこれまでに行った全てのミュージアムの中で最も良いと思った。とてもオリジナリティのある品揃えである。このショーケースなんか全部買い占めたいと思ったものだ。もちろんそんなことはしませんが。しかしそんな気にさせること自体が今までにないことでした。

これまで見て来たミュージアム・グッズはどこもアメリカかフランスの有名ミュージアムをお手本に(単なる真似)しているせいか似たり寄ったりでつまらない所が多いのだ。

今日の目的はユーラシア大陸の西の果て、ロカ岬である。

詩人カモンイスが「ここに地果て、海始まる」と詠んだところ。

まずは途中のシントラまで電車で行く。シントラはリスボンの西28キロ、電車で約40分。

山の中に王宮や別荘が点在する町である。

ここからさらにバスに乗って西に約40分でロカ岬に到着。

この旅のはじめの頃のアイルランド、ディングル半島を思い出す。

天気は晴天だが風が強い。

1時間程してシントラに戻る。

シントラには14世紀の王宮、7~8世紀に作られたムーア人の城跡、ペーナ宮殿などがあり町からそれぞれを巡るバスが出ている。

ペーナ宮殿を作った(作らせた)のはあの有名なドイツのノイシュヴァンシュタイン城を作ったルードヴィヒ二世のいとこ、フェルディナンド二世である。

血は争えないというべきか、笑ってしまう程のキッチュさである。1850年に完成。

何故こうもキッチュに見えるのか、多分本来ならば石や大理石で作られるべきところにコンクリを多用している所ではないかと。


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ロカ岬


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大西洋。彼方はアメリカである。


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以下シントラ、ペーナ宮殿。


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ムーア人の砦。


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シントラの町。


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午前中に歩いて近くのグルベキアン美術館へ。ここはアルメニア人の石油王の残したコレクションからできた美術館である。建物はモダニズム・スタイルで近代建築のお手本のような素晴らしい空間と思う。3人のポルトガル人建築家の共同らしい。

ここの建築にまつわる本もあったがポルトガル語だったのでよくわからなかったのは残念。美術館のカフェからの眺めなど周辺環境もとても良い。

コレクションの幅もエジプトからギリシア、イスラム、日本、ヨーロッパ美術と多彩かつ質が高い。さりげなく置かれていたが日本の蒔絵は特に突出して素晴らしい。多分大英博物館のコレクションにも劣らないのではないだろうか。


その後地下鉄と市電を乗り継いで国立古美術館へ。

ここは撮影禁止なので画像はない。ポルトガルを代表する美術館と言われるところだ。

14~19世紀のヨーロッパ美術、インド、中国、日本、アフリカなどかつて関係のあった国々の美術、そしてポルトガルの絵画と彫刻の三本柱で構成されている。

特に工芸品の量は膨大である。

ボッシュの「聖アントニオの誘惑」は特に印象深い。駄作のないボッシュの中でも最高の部類であると思う。

もうひとつは南蛮屏風が凄かった。

狩野派おそるべし、と思った。

桃山文化の最高傑作というのもうなづける。これは昔から画集で何度も見て良いとは思っていた。しかし本物の凄さというのは全く違っていた。これだけでもポルトガルに来た甲斐があったと思う。

夜、バイシャ地区にあるファドハウスに行き、食事をしながら念願のファドを聞く。7時半から結局11時半まで。


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以下グルベキアン美術館。


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そういえば。ここリスボンで思ったことではないが、ここで今まで記したことがなかったけれど、この旅で日本の伝統工芸美術がいかに素晴らしいかを思い知らされた。これは僕にとってこの旅の本当に特筆すべきことの一つであった。


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国立古美術館からテージョ川を見る。


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ファドに関するコメントは書き出すと長くなるのでやめます。


今日は月曜日なので例によって町巡りの一日となる。

私たちの宿は市の北部、カンポ・ペケーノというところで傍に大きな闘牛場がある。

リスボンの市内交通は地下鉄、バス、トラム(市電)、ケーブルカーがある。どれにも乗れる一日券でどこにでも行ける。よく言われるようにリスボンは坂の町である。せまい坂道の石畳を小さな市電がゴトゴト、ぐいぐい走って行く。

コメルシオ広場、リベイラ市場、フィゲイラ広場、サンタ・ジュスタのエレベーター、バイロ・アルト周辺、アルファマ周辺、テージョ川沿いの発見のモニュメント、ジェロニモス修道院など。

リスボンの町の規模や位置関係、市電、地下鉄、バスの路線がだいたい分る。


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朝起きたらホテルの前に三島のポスターが。残念ながらもう終わってましたが。


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「発見」という自己中心的な言葉には当然異議はありますけど。せめて「出会い」くらいにするべきだよね。21世紀にもなって。

ただ本当の意味で日本の近代を覚醒させたのは幕末の黒船なんかじゃなくて、それよりもずっと前のポルトガルの種子島到着だったことは間違いのない事だと思う。


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暖かく(10度くらい)雨模様の朝、10時20分にリエカを発つ。

ユーリッチさん、ダリンカさん、マイーダさんとお別れ。

ダミールさんの車でヴェネツィアのマルコ・ポーロ空港まで送ってもらう。

いつもならば朝6時のバスでトリエステまで出て列車でヴェネツィア、バスで空港というルートだが今回は妻が病み上がりということもあってダミールさんに運転をお願いしたのだ。

さすがに車で行くと早い、トリエステまで1時間半(バスならば2時間半)。

途中余裕ができたのでヴェネツィア近くの町のトラットリアで昼食。

2時20分に空港到着。4時発予定のポルトガル行きの飛行機は2時間の遅れとなり結局リスボン空港に降り立ったのは8時半。

10時頃宿に無事到着。日本との時差は9時間となる。


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マルコ・ポーロ空港からアドリア海とヴェネツィアを見る。


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宿に着いた後、夕食の為にレストランを探して近辺を探すもほとんどの店が閉まっていた。

諦めかけていた頃にやっと見つけたのが「ピザハット」であった。


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