真夜中の3時に出発した船は6時ころにコム・オンボ(アラビア語でオリンポスの丘)に到着。朝食の前に神殿を見学。ホルス神とソベク神を祭っているので二重構造になっているところが興味深い。

午後にエドフに停泊。馬車に乗ってホルス神殿へ。

ここは全体的に壁面のレリーフが素晴らしい。その膨大な文字と画像を見ていると建築がひとつの書物(writing space)であることがひしひしと伝わって来る。


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以下コム・オンボ神殿


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一旦ボートに戻る。ボートからの眺め。古代墳墓。


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午後エドフにてホルス神殿を見る。


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私たちの乗ったクルーズ船(現地の人はボートと呼んでいた)はアスワンからルクソールまで約200キロを三泊四日かけて、ゆっくり北上する。船は途中遺跡がある町で停泊する。食事は朝昼晩と船でとるので初めての町でどこで食べるかあれこれ心配することもない。移動するホテルだ。船は全く揺れないしエンジンの音も煩くないので大変快適である。

これまでトルコやギリシアの遺跡巡りでハードな移動をしていたことに比べると、すこぶるラクチンである。こんなにラクチンしていいものか?という気持ちになる程だ。

しかし今のエジプトは実際問題としてテロの影響で旅行者が勝手に行動するにはあまりも制限が多いのだ。特にこのあたりはムスリムとコプト教(古くからあるキリスト教)が混在する地域なのでなおさらのようだ。

後になって分かったことだが船が停泊した後の遺跡を見に行くツアーは船のサービスではなくて旅行エージェンシーがその都度手配した現地のガイドが船まで迎えに来るのだ。

だから同じ船に乗っていて同じ場所を見に行く場合でも別々に行動するということが起こる。このあたりがそもそも理解しづらいところである。

船にはフランス人、アメリカ人、イギリス人、オーストラリア人、スイス人、イタリア人などのグループがいてで日本人は私たちだけであった。日本からの団体ツアーはこのタイプのボートとは異なるようである。乗客には遺跡を見ることを主な目的にしているタイプと、一日中船のプールに寝転んで夜騒ぐリゾートタイプとの二つに大きく分かれるようだ。それぞれの行動パターンというかお国柄がはっきり分かれているのが見ていて可笑しい。

私たちはここでイシス神殿で一緒だったイギリス人夫妻と偶然再会し、食事の席も隣合わせたので話をするうちに親しくなった。

夫のリチャードはロンドンで金融証券の会社に勤めており、おとなしい奥さんは今は子育てで休職中だがBBCのドキュメンタリー部門のプロデューサーであった。リチャードは最初は気難しい感じがしたが、エジプトの遺跡の出土品の多くが大英博物館にあるという話をしていた時「英国は貴国(日本)からはお宝をあまり分捕ってないので幸いです」など自虐的なユーモアを好む典型的なイギリス人であった。僕の旅の目的について簡単にしか話してないにもかかわらず、コム・オンボ神殿で僕が撮影に夢中でガイドの説明を聞き漏らしていたら、わざわざ探しに来て壁面に刻まれたエジプトカレンダーについて「これはあなたにとって重要だと思うから」と言ってわざわざガイドにかわって説明してくれるような男だった。


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朝10時に再びコンボイを形成してアスワンに戻る。

バスを降りると来ているはずのムハマンドがいない。今日はナイルを下るボートにチェックインし、エドフに向かうはずだった。カイロのエージェンシーに電話をすると別の男が現れてムハマンドの代わりだと言って私たちをボートに案内した。チェックインをしているとムハマンドが現れ、今日ボートは出発せず、明日の明け方3時に出発するという。全く聞かされていた話と異なるのでついに妻が切れる。この旅の予定は彼女がクロアチアにいた時からメールなどでやりとりしながら立てたものだった。ここまであまりにも頻繁に予定と異なる事が続いたのでさすがの妻も頭に来てカイロのエージェントに全てをキャンセルすると強く抗議する。

ムハマンドともう一人の男たちはあわてる。

その後いろいろやりとりがあったが省略。

とにかく旅は進めるしかない。

彼らはその後お詫びにといって私たちをヌビア人の帆船フルーカに乗せたいから来てくれという。こちらはただ当たり前に約束通りのことをして欲しいだけで半分有難迷惑であったがこれもエジプシャンウエイとあきらめフルーカ乗り場に行く。昨日ナイルでフルーカが気持ち良さそうに奔るのを見ていた。しかし今日は全く風がないためエンジン付きのボートになってしまった。アスワンにある中州で最も大きなエレファンティネ島の周りを走る。貸し切りであった。

その後、出発が延びたためヌビア博物館に行く。幸いここは9時まで開いているのだ。

収蔵品も展示もエジプトの中でも突出して良かった。

ヌビア人はアスワンから南にかけて支配していた民族で黒人である。

ローマに関する歴史などにはヌビア人は重要だがあくまでも脇役として(例えば傭兵)登場するが彼らはエレファンティネ島に先史時代から住み着いており大変興味深い文化を持っていたのだということがわかる。彼らが自らをエジプシャンでもなくアフリカンでもなくヌビア人だと言う強い自負があるということも頷ける。

こういった感触は書物では学べないもので、やはりここに来なければ感じられなかったことだと思う。


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ヌビア博物館


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以下は既に一回更新したのであるがソフトの不具合で消えてしまったので再度、更新する。

日にちがずれてしまったのはその為である。


列車で簡単な朝食をとり10時半にアスワン到着。カイロから直線距離で600キロ強南方のナイル川沿いである。ムハンマドという男が駅で出迎えてくれ、駅から近くのホテルへ。そこで彼と日程の打ち合わせをし昼食。

ここエジプトでは駅、ホテル、博物館、町中などいたるところにに自動小銃をもった兵士がいてホテル、博物館、遺跡など建物の入り口には空港にあるのと同じX線の壁を通過させられる。イスラム過激派によるテロに対する防備策であろう。列車では私たちのコンパートメントの二つ隣にいた人物が要人か何からしく(見た感じはマフィアのボス風)私服の自動小銃を持った男がその周りをうろうろしているので最初は何事かとびっくりさせられた。

ムハマンドとその旅行エージェンシーにはこの後何度もバスや船での出発時間の変更を突然告げられたり、予定とは異なるホテルに連れて行かれたりと、私たちは混乱させられることになるのだが、彼らやドライバーはそれを軍の命令で安全のためだと説明するのだが本当かどうかはあやしい。

その他諸々、私たちはエジプト的時間、エジプト的お金の計算を少しずつ学ばざるを得なくなって行くのである。(まともな人間もたまにはいるがこれまでの経験上3:7でかなりひどい)

トルコも大変だったけどエジプトはトルコ以上だ。

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2時から小型バスでアスワン・ダム、アスワン・ハイ・ダム、イシス神殿を見に行く。イギリス人の夫婦と我々4人のツアーで英語のガイドがついた。

ダムは当初、ナイルをコントロールし豊かさをもたらすものとして作られたものだが、結局の所異常気象をもたらし、洪水がなくなった事で農地は現在塩害が深刻になったという。

その後に訪れたイシス神殿、そして明日行く予定のアブ・シンベルも含めて多くの遺跡がこのダムのために水没しているのだ。イシス神殿やアブ・シンベルは移築されたので現在もかろうじて見る事ができるが移築されなかった遺跡は今もナセル湖の湖底に沈んでいる。

イシス神殿も本来の聖なる島から移動して現在のアギルキア島にある。

詳述は避けるがこの移築が良かったのかどうかははなはだ疑わしいと感じた。本来あった場所と構築物の関係はおそらく絶対的なものだったと思う。現代技術の粋を尽くして移築したことを自慢げに語っているのを見ると強い違和感を覚えざるを得ない。ここには典型的な近代技術への過信がある。移動してしまったら本来あった最も重要な何かが失われることに現代人はあまりにも無神経だ。言っても詮無い事だけれど。

でも正直に言うとその落胆の方が感動を実は上回っていたことも事実なのだ。

そんなことはありえないかもしれないが何百年か後に未来の人間がダムを元の川に戻すまで遺跡はそのまま湖底で眠っていた方が良かったのではないかという夢想に駆られてしまった。

ともあれこのイシス神殿はエジプト王朝末期からローマ時代、初期キリスト教(コプト教)にかけての遺構が混在している場所である。

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アスワンハイダム


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ダムによってできた巨大なナセル湖


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普通イメージする垂直に切り立ったダムではない。


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下流のアスワンダム


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ボートでアギルキア島にわたる。


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ナイルに戻る。


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夜中の2時に起きて3時30分発の小型バスでアブ・シンベルに向かう。アブ・シンベルはアスワンから280キロ南でエジプト最南端の地点。スーダンの国境はすぐ近くである。アスワン・ハイ・ダムによってできたナセル湖のほとりにある。

ここに行くのは前後を軍の兵隊が乗ったバスにはさまれて全ての自動車がコンボイを組んで移動する。勝手な移動は許されないらしい。その多くは大型の観光バスで全部合わせると4~50台くらいか。エジプトは今冬で観光のハイシーズンである。


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途中砂漠に昇る朝日を見る。

約3時間半後、8時前にアブシンベルに到着。多くの観光客はここで2時間程見学した後同じバスでアスワンへ戻るようだ。私たちはここで一泊する予定なのでまずはホテルに移動。

当初聞いていたホテルと全く異なるところに連れて行かれるトラブルが発生。カイロとアスワンのエージェンシーと電話のやりとり、交渉、再移動に2時間近く時間を消費。

ムハマッドやムスタファやアミーゴや訳の分からん人間が電話をかけてきてそれぞれ異なる事をエジプシャンイングリッシュで言う始末でこちらも大変消耗する。言うべき事をかなりはっきりしつこく言わないと彼らは動いてくれない。エジプシャンウエイオブライフ?やれやれ。

当初予定のホテルに荷物を置いてアブシンベルに向かえたのはやっと11時近く。

ゆっくり見学する。

ここでの感想は昨日のイシス神殿での印象と同様なので省略。


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大神殿の内部は写真が禁じられていたので画像はない。

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小神殿


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小神殿内部


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奥が至聖所


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一旦ホテルにもどり昼食をとって仮眠。昨晩ほとんど寝ていないので。

夕方5時半にホテルを出て再びアブシンベルへ。ホテルからアブシンベルの神殿まで歩いて10分くらいなので今度も歩いて行こうとしたら今度はエージェンシーが車で送り迎えするという。全くあってもなくてもよいサービスなのだがホテルの手違いを詫びる気持ちでそうしているのかどうかもよく理解できず。ライトアップされたアブシンベルと音と光のショーを見る。約30分暗闇の中ふたつの神殿が築かれた人工の岩山をスクリーンにしてユネスコによる移築の経緯から始まって、この神殿を作ったラムセス二世とエジプトの歴史が詩的な台詞と音楽とともにスライドで投影される。

ちなみにこの神殿は19世紀末にイタリア人によって発見されたもので1960年代のユネスコの移築キャンペーンで世界的に有名になったもの。

移築に関する違和感は一昨日書いたので省略。

その後ライトアップされた神殿を再び見てホテルにもどる。


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私たちが滞在している場所はナセル駅のそばでカイロの新市街の中心部にある。

朝7時からタクシーをチャーターしてピラミッド巡りをする。まず最初にカイロから西に14キロ、ギザにあるクフ王、カフラー王、メンカウラー王の三つのピラミッドを見る。クフ王のピラミッドでは内部見学。その後同じエリアにあるスフィンクス。ちなみにクフ王のピラミッドは約4550年前のもの、エジプトの初期王朝の成立は約5000年前。


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ギザの南へ約10キロ移動しサッカーラ地域のピラミッド群へ。ここはカイロのピラミッド群の中でも最も興味深い場所であった。最も古い(4650年前)ジョセル王のピラミッドコンプレックス(ピラミッド+複合施設)は階段状ピラミッドであり、周壁で囲まれた敷地の中にピラミッドとセド祭殿などの遺構の複合した空間が良く残っている所。ウナス王のピラミッドは内部にピラミッドテキストと呼ばれる貴重なヒエログリフが残っている事で有名であるが残念ながら内部には入れない。外側からはかなり崩れかかったように見える。その後イムホテプ博物館へ。これは階段ピラミッドを設計した建築家でありジョセル王の当時の宰相でもあったイムホテプを記念したもの。入場したものの停電らしく真っ暗闇の中、持参した懐中電灯で展示物を見るはめになった。20分程して回復。


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写真はイムホテプ博物館が先になってしまった。


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その後少し南下してメンフィスへ。ここは古王国時代の首都である。現在はそのイメージはない。横たわった全長15メートルのラメセス2世像と美しいスフィンクスがある。


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美しいスフィンクス


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その後遅めの昼食をとってカイロに戻る。

夜、地下鉄でギザ駅まで行き、8時45分発のルクソール経由、アスワン行きの夜行列車に乗り込む。これは鉄道マニアの人がわざわざこれに乗る為にエジプトを訪れるほどだと聞かされ、当初飛行機の予定を変更したもの。老朽化した列車ではあるが二人ずつのコンパートメントになっており確かに悪くない。夕食、朝食は部屋まで運んでくれる。

これまで夜行列車、夜行バスで碌な目に会って来なかったがこの夜行列車は初めて良いと思った。


午前中10時発の飛行機でカイロへ。3時間強のフライトである。さすがに遠い。

時差が1時間減る。日本とは7時間となる。

空港で待っていたドライバーの車で宿へ向かう。空港から1時間程。

トルコ以来再びアジア的な、あの喧噪、あのカオスの世界に突入したと最初に実感させられるのは、暑さ、スモッグ、車の乱暴な運転である。

車の運転は全く無茶苦茶である。車線や交通ルールなどなきに等しい感じ。信号はおろか横断歩道がほとんどない。交差点にはいたるところに警察官がいるが全く何をしているか不明である。

まあ今回のこのドライバーはその中でもよりクレージーなやつだったらしいが。

カイロの人口は1200万人。

宿について日程について色々相談した後、夕食に出る。


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昨日書いた理由でこの日はフリーになったので前回、夏に来た時疲れ果てて入らなかった科学技術博物館に行く。夏同行していた息子が後から「お父さん、あそこは見るべきだよ」と言ったところである。

確かにミュンヘンのあの博物館に比べれば展示数は少ないものの、ここウイーンの科学技術館も大変レヴェルの高いものだった。詳述しだすときりがないが、例えばミュンヘンと比べると数が少ない分厳選しているということが言える。その分見やすい、理解しやすいということ。

展示、ディスプレイが大変優れている。

そして極めつけはやっとここにきてノイラートに触れた展示が見れたことである。

ノイラートの扱いが充分かといえば全くそうではないが、都市の諸問題について触れたコーナーにあったことだけでもかなりましな方だと思う。また残念ながらノイラートに関する説明文はありきたりというか特別目新しいものはなかった。「自国人なんだからもっと突っ込んだ紹介せんかい」と思いました。大きなお世話だろうけど。

しかし謙虚に考えればトータルなヴィジュアルコミュニケーションに対する意識はこちらの方がやっぱり大人だなとも思いました。

歴史の厚みは必要なのだ。


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宿からの眺め


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科学技術博物館


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ディファレンス・エンジン!


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ふたりのオットー、ワグナーとノイラートの接点も調べる必要あり。


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その後ウイーンの町を散策。ステファン寺院、オペラ座、新市庁舎など。新市庁舎ではクリスマスシーズンの前夜ということで飾り付けができていた。

ホテルで翌日からの準備。


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朝10時、地下鉄に乗ってアンヴァリッドへ。

エアーフランスのビルがありそこのカフェで朝食。

ここからオルリー空港へのシャトルバスに乗る。

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パリからウイーンへの飛行時間は2時間。

ウイーン空港からシャトルバスでウイーン南駅まで約30分。

4時過ぎだが雨のせいで外はほとんど真っ暗である。駅傍のホテルに無事到着。

夜10時、リエカから列車でやってきた妻を駅に迎えに行く。

今回、今日明日とエジプト出発までウイーンでわざわざ二泊予定したのはまさかの列車の遅延、飛行機の搭乗トラブルに備えてのことだったが、二人とも無事到着で何より。

午前中、末松君とポンピドーに行き駆け足で見て回る。

作品は知っていたがどんな人か未知のジャック・ヴィレグル(Jacques Villeglê)の展覧会をやっていた。

これが大変素晴らしい。

また「パリの未来派」展もやっていて、これもさすがポンピドーという感じのセレクションでとんでもなく面白かった。

その他常設展は本当に駆け足になる。


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マドレーヌ教会


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ポンピドーそばの公共自転車。このシステムはウイーンにもあった。


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ポンピドーからの眺め


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ジャック・ヴィレグル


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2時からルーブルのピラミッドの地下でパリフォトがスタートする。

パリフォトには世界の写真専門のギャラリーが出品する一種の写真の見本市のようなものだ。

例えば150年前のニエプスやマーガレット・キャメロンなどの古いオリジナルプリントから今日の写真の動向までランダムではあるが様々な状況を見る事ができて面白い。特に今年は日本特集の年で若手が紹介されていた。

日本のビッグネーム(木村伊兵衛以降)の作家は日本特集とは無関係にアメリカやフランスなどのギャラリーから出品されている。

写真に関しては1992-3年の頃、大島さんと「写真装置」復刊を目指していた頃まではかなり関心を持って見ていたがここ10年程、自分の領域の仕事に追われていたこともありあまり関心を払ってなかった。

ここ数年の貧血気味?の写真の流行にあまり関心が持てなかったこともある。

今回そういった経緯も含めて、これだけ集中的に大量のオリジナルプリントを新旧取り混ぜてみる事ができたのは良かったと思う。

自分の中の写真史の再構築、再確認の機会となった。例えば二十歳の頃自分がいかに石元泰博さんの「シカゴ、シカゴ」に影響を受けていたか、そしてそれがいかに今日まで続いているかなど。

他思う所たくさんあるけれども省略。


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会場入り口


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会場では何人かの作家やキュレーターの方とも出会えた。パリで作家活動をしているオノデラ、アキ・ルミ夫妻など。アキ・ルミ氏は昔クロアチアを放浪しザダールに一時住んでいたということで興味深い話も聞けた。3月に再びパリを訪れる予定なのでまたその時にゆっくり話がきければと思う。

また前回アムステルダムで触れたまーさんが会場にいて久しぶりに会えて話ができたことも偶然の幸運であった。まーさんは3つの欧米のギャラリーから作品が出品されていた。

時間が経つにつれ会場は人で溢れかえり、7時からまーさんがインスタレーションのパフォーマンスを行うということだが、昨日お会いした十文字さんの展覧会を今日中に見る必要もあり、残念であったが7時前に会場を出てマレ地区にあるイイヅカさんの画廊T.A.F.へ。

十文字さんは初めての個展ということなので当然レトロスペクティブな展示も行っているだろうと思っていたのだが、何とほとんど新作だったのには驚かされた。

前向きな作家の強い意志を感じ、感銘を受けた。


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T.A.F.


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末松君が「いやあ、こうしてこの年になってユーサクとパリの町を歩き回るとはなあ」と言っていたがそれは俺も同感だよ。


リエカから6時のバスでザグレブへ行きバスセンターで乗り継いで空港に9時過ぎに到着。

ここからハンガリアン航空でブタペスト経由、パリ行きの飛行機に乗るべくチケットををインターネット予約していた。しかし何が問題なのか現時点で不明であるがとにかく「あなたのチケットは昨日キャンセルされている」と言われチケットが発行されない!。

今更電車では到底今日中にはパリに行き着けない。

やむを得ず、ハンガリアン、ルフトハンザ、エアフランス(この3社しかない)の窓口で当日券があるのかどうかを聞く。元々予約したはずのハンガリアン航空はビジネスの往復券しかなく(片道は売ってくれない)、ルフトハンザはミュンヘン乗り換えルートがあり、エアフランスは一つだけ席が空いていた。皆ほぼ同じ値段(正規運賃)で当初予約した運賃の4倍!である。目眩がした。

一瞬、もうパリ行きは諦めてリエカに戻ろうかという考えが頭をよぎったが友達との約束をすっぽかすわけにはいかない。エアフランスの直行便で行く事に。


パリでは無事、友人末松君(普段はお互いファーストネームを呼び捨てにしてるがここでは名字を書くことにする)に空港で会う事ができた。

高速近郊鉄道でパリ市内に入る。地下鉄を乗り換えてマドレーヌへ。

宿はお互い歩いても行き来できる距離である。


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荷物を置いた後、末松君の知り合いで主にウエブデザインの仕事をしている市田さん夫婦のアトリエを訪ねる。市田さんはもう10年近くパリで仕事をしている。近く永住権ももらえるらしく、超有名な某化粧品会社のウエブサイトのデザインなどをしていることからも彼が特殊な技能を持っている事がわかる。この後パリ滞在中はご夫妻には本当にお世話になりました。


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夜、市田夫妻らとともに、パリフォト関係者と夕食。パリで画廊をやられているイイヅカさん夫妻、ちょうど今その画廊で個展をされている写真家の十文字美信さん、最近十文字さんが出された作品集の編集者の鎌田さん...その他の方々総勢10名以上のにぎやかな食事となる。信じられない事だが十文字さんはカメラ会社のギャラリーを除いてこれまで個展をしたことがなく今回が初めてとのことだった。明日訪ねる予定である。

また某女優さんも来ていた。太宰原作の映画に出たばかりだと言っていた。(かなり有名らしいが僕は知らなかった)彼女の出演作の話題から永井豪の漫画論の話になる。


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