午前中にミッドタウンに行った後、地下鉄でイーストリバーをわたり、ブルックリンのウイリアムズバーグ地域を散歩。
主な目的はベッドフォード・アヴェニューにある古書店である。

ブルックリンは何と言っても僕のイメージはポール・オースターである。
小説だけではなく映画「スモーク」や「ルルオンザブリッジ」なども含めて。

17年前に来た時は案内して下さったカナザワさんが、とても危なくて歩く道を間違えたらとんでもなくなる、などと脅されたものだ。
今やブルックリンもニューヨークもそのようなことはないようだ。
おだやかな街に変貌した。オカダ君に言わせれば世界の巨大都市の中では今やもっとも安全な街だそうな。

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今日のNYは霧と驟雨。

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昨夏、リエカに遊びに来た卒業生のおかちんことオカダ君の案内で今日はニューヨーク巡りをする。
彼はニューヨーク大学(NYU)の大学院(Tish school)のITP(インタラクティブテレコミュニケーションプログラム)というところで学んでいる。
今が最終学期で多分忙しい時期であると思ったので連絡しようかどうしようか、少し迷ったが連絡してみた。今日は時間があるということでホテルまで迎えに来てくれた。
彼の案内にお任せの一日である。さすがニューヨークの住人、バスは使わず、地下鉄である。

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まずブルックリン、右手の古書屋へ。このあたりは通称ダンボといわれる、新しい
アートの街だそうな。本屋の後(パウル・レンナーの本を一冊購入)、街を適当に見て歩く。

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マンハッタンブリッジ。
24日の僕のブログをおかちんは読んでいて(彼に連絡したのは25日)妻が本当はここからの眺めを見たかったということを知って「先生は何でもっと早く連絡してくれなかったんですか?僕がちゃんと案内したのに!」と叱られた。

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マンハッタンブリッジとブルックリンブリッジの間にある公園。
天気も最高に気持ちよい。のんびり話をする。

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ブルックリンブリッジを歩いてマンハッタンに戻る。ここはさぞ夜景も美しいことだろう。

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地下鉄でノーホー地区にあるNYUへ。校内見学。
写真はおかちんの先生でもあるダニエル・ローツェン氏の作品。インタラクティブ立体鏡。

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おかちんの作品も廊下に展示されていた。

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彼が学部の3年の時ライティングの授業で作ったコンセプトを進化させたものと言っていた。
彼はその時ジョン・ケージのスコアをインタラクティブ化して「テラヤマ賞」を受賞したことを今書きながら思い出した。

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美術館の学芸員が興味を持ってくれたと言っていたが確かにこれは美術館にあると良いですね。

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工作室

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ここは17年前の視察のおり、レッド・バーンズ女史を訪ねている。彼女はまだ学科長としてご健在とのこと。

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その後大学そばのお店で昼食。

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チェルシーにある画廊がたくさんあるアート地区へ。
まあとにかくこのあたりは画廊が沢山あります。内容は有象無象というか、いろいろです。
とにかく空間は広くて贅沢に使われています。

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現在、オカダ君がインターンとして働いているニューヨークタイムズの本社へ。
彼は仕事をしながら修士制作を併行しているので大変なのだ。ここでも単なる手伝いとかではなくて、ニューヨークタイムズの過去20年の記事が完全オープンになっていてそれを利用しておもしろいデータベースのデザインをしろというプロジェクトを中心になってやっているようであった。彼のニューヨーク暮らしは卒業後も当分続きそうだ。

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NYT社内エントランスにあるインタラクティブ作品。

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夕方になったので僕も気になっていたこのお店に行くも今日はプライベートの貸し切りでだめだった。

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でグランドセントラルを通ってホテルの近くに戻る事に。

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ホテルのそばで気になっていたけど一人では入り辛いなあと思っていたお店に行く事に。
jazz standardという店でライブが聞けました。

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ライブはハモンドオルガン、サックス、ギター、ドラムにボーカル男女で、音は最高、気に入りました。でも寝不足のせいかビール一杯で酔いがぐるぐる回りました。

オカダ君はこれから月曜日までに3000文字の修論レポートを書かなきゃと言っていた。
今日一日、ずーっと話しながら動き回った。
いろいろ面白い話が聞けました。
結局ほとんど、デザインとかコミュニケーションとかに関する話ばっかりなんですけどね。
夏前には東京に一度戻るらしいのでその時の再開を約束して別れる。お疲れさまでした。

グッゲンハイム美術館に行く。
撮影は不可なので画像はない。
大掛かりな企画展をやっていたので常設展の展示スペースは少なかった。普通ならばがっかりするところだが、この企画展が思いの他よかった。
その後セントラルパークを散歩。

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企画展は「the third mind: american artists contemplate asia ,1860-1989」というものだった。アメリカのアーティストがアジアを直視(凝視、沈思黙考)したという内容である。
興味深い作品(絵画だけではなく文学にも及んでいた)が並んでいたので名前だけでも以下に挙げておく。
野口米、T.S.エリオット、エズラ・パウンド、j.l.バイヤース、ロバート・マザーウエル、スティーグリッツ、スタイケン、サム・フランシス、イサム・ノグチ、岡田健三(漢字がこれで良いか不明)、アド・ラインハルト、ローリー・アンダーソン、ジェイムス・タレル、杉本博司、桑山忠明、A.ウオーホル(スリープという映像作品)、荒川周作、ジャスパー・ジョーンズ、ティモシー・リアリー、ブルース・コーナー、R.ラウシェンバーグ、ジャック・ケルアック、アレン・ギンズバーク、ウイリアム・バロウズ、オノ・ヨーコ、ジョン・ケージ等など。
必ずしもアメリカ人とは限らない。
特にジョン・ケージの龍安寺のドローイングとオノ・ヨーコの「頭の中で組み立てる絵」を見れた事は幸運であった。
不満というか疑問があるとすれば、アジアといってもその90%(少なく見積もっても80%)は日本ないし、日本人なのである。こういった場合素直にタイトルに「日本」または100歩譲っても「日本およびアジア」とするべきではないか。アジア人をジュッパヒトカラゲというか一緒くたにしているようで少し、不快な感じを持った。
それは例えば日本人が白人を一緒くたにして「外人さん」または「アメリカ人」と言うようなものではないか。
またもし、「contemplate」した相手がヨーロッパだったならば絶対こうはならなかったのではないかと。
内容を精読したわけではないので本当のところは分らないけれど...。
ともあれ展示自体は現代美術に関してこの1年で最も僕のツボにはまったものではありました。

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セントラル・パーク

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アメリカ自然史博物館に行く。おそらくアメリカで最も大きな博物館なのだろう。
ミランさんが絵本、ナイトミュージアムの構想を思いついたところでもある。

展示のコンセプトがヨーロッパと比較してやはりアメリカらしいと感じるところはある。
それは実証主義的というかプラグマティックというか、見えるようにする、比較するという視点だろうか。
結果として現れるハイパーリアルな視覚というか...。
(特にハイテク使用以前の展示物について。映像を多用するよりもずっと説得力があるのだ)

その後近くのダコタ・アパートへ。僕が23歳の冬、卒業制作を作っている最中にジョン・レノンの死を知った。身内でもない人の死にあんなに衝撃を受けたのは人生最初のことだった。
近くのセントラルパークの中にオノ・ヨーコさんがデザインした記念碑というか場所がある。ストロベリー・フィールズである。
そこで小一時間ほど過ごす。

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ミクロネシアの海図。これが見れただけでも来た甲斐があったと思った。

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ディテール

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博物館外観。

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ダコタアパート

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ストロベリー・フィールズ

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今日は妻が帰国する日だ。

その話の前に。
早朝、大慌てで今春退任される0先生への送別の辞を書いてメールで送る。(僕の所属する研究室では年度の終わりにスタッフ全員でいつも一泊二日の小旅行をするのでその時に読み上げてもらうため)
これは昨春からずっと頭にあって考えてきたことだけど、思い出がいろいろありすぎてこれまで文章にできなかったのだ。考えてみれば先生とは大学入学以来32年間持続的にお付き合いしていただいたのだ。

もうやけくそ気味というか、校正も何もないままとりあえず、書いて送った。
今、これを書きながら重要なことを書き漏らしたことに気がついたのでここで書いておきます。今更ですが。

O先生は筋金入りの反権力、反権威主義の人だった。
僕は学生として教育を受けただけではなく後に教員として一緒に授業を組み立てたりもした。学生の頃から一貫していたことだが、この人は学生といつも対等に付き合っていた。(僕が尊敬する人は皆そうだが)
僕などは若気の至りと言うか、もともと生意気だったので学生時代から、そして助手時代もデザインや教育に関しては言いたい事は何でも言っていた。おかしいと思った事は平然と批判したりしていた。
その当時僕は青臭い原理主義者だったのかもしれない。面と向かって「先生は歩く矛盾だ!」と非難したことさえある。
しかしこの先生はいつも笑っていたし、かといって無視するわけでもこちらの馬鹿さ加減をたしなめるわけでもなく、ずっと付き合ってくれたのだった。

結果的にこの先生の僕に対する「教育」は正しかったと思う、(自分で言うのも僭越ですが)何故なら何かに対して本気で異議申し立てをした本人は結局言った分の責任を自分でとるしかないのだから。
僕自身のこの20年間は自分で行った他者(大学)に対する批判の責任(おとしまえ?)を自分なりに果たしているということなのだ。
このようなO先生の態度がそんなに簡単なことではないと理解できるようになったのはごく最近のことである。
助手がカリキュラムに対して教授に面と向かって批判するなど、他の研究室ではほとんどありえないことは後で知った事であった。
少なくとも僕の所属している研究室の良き伝統はこれであることは間違いのないことだ。
今ではO先生は僕にとって「矛盾を抱えたこの世界で、それでも笑いながら歩き続けた先生」となった。

話は今日のことに戻る。

朝8時過ぎにホテルをチェックアウト。
駅に向かう途中、こちらに来て毎朝朝食に通ったお気に入りのダイナーに寄ると今日はお休みであった。
そのまま空港に向かう。
パリから来たのとは違うルートでジョンFケネディ空港に向かうも、途中乗り継ぎを間違えて少しあわてる。最後の最後まで僕らの旅らしいと苦笑い。
しかし何とか無事に搭乗手続きも終え、空港で朝食をとって別れる。

最近、スペインとフランスで5日間旅をともにしたあきお君は我々の珍道中の様子をみて、妻が先に帰る予定だと聞いて「せんせー。ひとりで生きて行けるんですかぁ?」と言った。
さすがにこいつ突っ込みが鋭いなと思いつつ「何を失礼な。一人で充分僕はやっていけますよ!」と答えたものだった。「1週間程度ならね。」

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マンハッタンに戻り、ホテルの移動。今度はパークアヴェニューの30丁目。

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妻はいよいよ明日、日本に帰国する。
これは最初から決めていた事で4月の帰国早々、僕が忙しくなるのを見越して一足先に帰って不在中の問題処理や家の事など、諸々準備をしてもらう為である。
ということで私たちコンビの1年弱の珍道中も今日が最後。
美術館にも飽きたし(なんと贅沢な!)今日はこれまでヨーロッパでたまにしてきたように闇雲な(行き当たりばったりの)散歩をしようということになった。
といっても妻の希望はあってイーストリバーを地下鉄じゃなくてバスで渡ってみる事と、対岸からマンハッタンを見てみたいというものであった。

バスを使ってマンハッタンをずっと北上しスパニッシュ・ハーレムへ。
そこからイースト・リバーを渡りクイーンズへ。再びイーストリバーを渡りルーズベルト島へ。クイーンズボロブリッジに併設(?)されているゴンドラで再びマンハッタンに戻るというルートであった。(ルートといっても初めから決めていたわけではなく、闇雲に移動してみたらそうなったということ)本当は途中でイサムノグチの庭園美術館に寄りブルックリンまで行ってみたかったのだが道に迷ったり、バスが分らなかったりで結果的にこうなった。
さすがに北の方、スパニッシュハーレムやロングアイランドの北部は高層ビルもなくなり寂れた感じ。バスにずーっと乗っていると客層が変化して行くのが興味深い。白人をあんまり見かけなくなるのはパリの北駅近辺と似ています。
ニューヨークでも東京でも、どこに行くのもバスで行くと言っていた田中小実昌さんのエッセイのことを思い出した。

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本当に凍てついた10番街。凍っています。
朝ホテルの廊下ですれ違ったメイドさんが「外は本当に寒いわよう、もう3月なのになんて事でしょう」と話しかけて来た。ボロになったセーターを捨てずに持って来て良かったと思いました。

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老舗のデパート。エスカレーターがあまりにも古いので。

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エンパイアステートビル。昇る事に関しては高所恐怖の僕は最初から関心なし。
ただここから落ちた哀れなキングコングのことを思うのみ。

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スパニッシュハーレム。今日はトラブルを恐れて写真を撮る事は自重した。

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妻はこの景色で一応満足したようである。右がマンハッタン。

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この橋かどうか定かではないが、僕はニューヨークの橋に追い込まれて殺された哀れな米国版ゴジラを思う。

終日MOMA。
さすがに20世紀以降の美術に関してアメリカは自信満々の印象である。

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セザンヌ
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ルソー

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ピカソ

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カンディンスキー

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マティス

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キリコ

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ピカソ

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マレーヴィチ

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マレーヴィチ

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マレーヴィチ

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リシツキー

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リシツキー

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クルツィスとリシツキー

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モネ

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モンドリアン

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モンドリアン

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クレー

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ピカソ

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コーネル

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コーネル

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ホッパー

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ベン・シャーン

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常設以外にマーティン・クリッペンベルガーという人の大展覧会もやっていた。

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ジョーンズ

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イームズの初期の仕事。

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エスカイアのディレクター(名前失念)の紹介。

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ベーレンス

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印刷に関する地味だが力のこもった大展覧会をやっていた。
とても好印象。パソコンからの出力に関する部分に相当エネルギーを費やしている所が特に良い。これ日本でもどこかがやれば良いのに。
図録は重すぎて恐れをなして購入せず。

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アートでも工芸でもない「デザイン」の見せ方に関してはここMOMAでさえも停滞しているというか、迷っているというか、そういう印象も受けた。
世界中、皆同じく迷っているようだ。
そういった意味では先に上げた印刷の展覧会には少しポジティブなヒントがあったように思う。
今日はとりあえず、前回来た時最も気に入った美術館に行く事にする。
メトロポリタンである。

夜はミュージカルに行く。

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以下メトロポリタン美術館。
写真のセレクトはランダムです。

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バルテュスはなかなか見れないので良かった。

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実際、メトロポリタン美術館だけで疲労困憊だったのだけれど、夕食の後、ブロードウエイの切符売り場に行ってみたら、チケットが手に入りそうだった。
妻は僕よりも一足先に帰国するのでもしミュージカルを見るとしたら今日しかないということになり無理矢理見る事に。
寝てしまうかと心配したが、とても良い舞台だったので全然平気であった。
英語がちゃんと理解できればもっと楽しめただろうとは思うが、音楽とパフォーマンスだけでも充分良かった。
劇場から宿へは歩いて10分程。

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ニューヨークは僕は17年ぶり。その時はデザイン教育視察の為に来た。
クリントン、ゴアコンビの最初の選挙を行っていた秋であった。クリントン8年、ブッシュ8年の後、昨年の秋にアメリカはオバマを大統領に選んだ。
この17年間の世界とアメリカの大きな変貌は様々な感慨を呼び起こさずにはいられない。

妻はNYは初めてである。
ここでどう過ごすか全く計画が立ってない。二人ともかなり疲れ気味。
僕の方はあきお君とヨーロッパであったおり大学からの連絡をいくつか受けた。4月の早々から様々な事が始まるから準備しろという指示などであった。
帰国して一週間程間があるはずと思っていたので少しうろたえた。
4月からの生活が待ち遠しくなるかと思っていたが意外にも実感は逆で少し鬱気味になった。
うーん。しかしそんな子供のようなことは言ってられないので、ここにいる間に気持ちを立て直さなければならない。

ともかく、いつものように街の散歩から始める。

ニューヨークを歩いているとこれまで読んだ小説にいかにニューヨークのものが多いか考えさせられる。すぐさま想起できるのだけでもジョン・アービングやポール・オースター、スティーブン・キングやエド・マクベイン...。ニューヨークに関係する音楽も当然スプリングスティーンだけじゃない、ディランからジョンレノン、マイルス、コルトレーン、ガーシュイン、フォークやロックやジャズやミュージカル...。
映画にいたっては無数といっても良い。
地方のアメリカ人よりもニューヨークにまつわる二次情報(コノテーション)を自分は膨大に持っているのではないかと思える。(多分多くの日本人がそうなのではないか?)
善かれ悪しかれだが、ニューヨークはそういう都市なのだ。拮抗出来るとしたらパリぐらいだろう。

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そんなに強く意識したわけではないけれど、最初にどこに行くかと考えると自ずからここしかないだろうと思えた。ワールドトレードセンター跡地である。
ここ20年間の世界の変化を巡って、そして今回の1年の旅で考えたことと、この場所の意味が重なって思いは乱れた。

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その後近くにあったブルックスで買い物をしてマンハッタンの北、ロウア−マンハッタンを散歩。

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トリニティ教会。

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バッテリーパーク。ワールドトレードセンターから移築された壊れた彫刻。

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バッテリーパーク沖、リバティ島。

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近くにアメリカン・インディアン博物館があったので入ってみる。

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イサム・ノグチ、レッドキューブ。

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デビュッフェ

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イサム・ノグチ、水上庭園。

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市庁舎の横で映画撮影をしていた。

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ウォール街、ニューヨーク証券取引所。

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北上してチャイナタウンとリトル・イタリーを少し歩く。

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朝、6時起き。7時前に宿を出て北駅からシャルル・ドゴール空港へ。
10時半のパリ発チューリッヒ行きに乗る。
私たちは例の(以前説明した)世界一周チケットなのだが、パリからニューヨークに直接行けず、一旦スイスのチューリヒにトランジットしなければならない。スイス国際航空である。
13時に無事チューリッヒを飛び立ちニューヨークへ。
大西洋を越えてニューヨークまでは約9時間のフライト。
以前N島先生から「寺さんニューヨークとヨーロッパはすぐだよ」と聞いていたのでもっと短い時間で着くと思い込んでいた僕は9時間かかると聞いて「えー。そんなに長いのか」と言ったら、僕が不満を言っていると思ったらしく妻に「今頃何を言ってるの」と叱られた。
機内で映画を3本見たが画面も小さいし、どうも映画を見た気分がしない。まあとにかく暇つぶしということなんだろう。

ヨーロッパ時間の夜の10時頃ニューヨークに到着したが時差で当地夕方の4時である。
日本との時差は14時間となる。ヨーロッパからの時差は8時間だったので要するに日本からさらに6時間も遠ざかっている(地球の裏側)のだが、気持ち的には帰国の途上なのでどうも遠ざかっている気がしないのだ。そんなことを言うとまた妻に「何にも考えてない」と怒られそうだ。
入国はやっぱり大変で入国審査を通貨するのにとんでもなく時間がかかった。
入国者は左右の4本指の指紋、親指の指紋、眼紋までとられるものものしさである。
その後バスでニューヨーク市内のホテルにたどりついたのはパリのホテルを出てから約20時間後であった。結構疲労困憊であった。
ホテルは10番街の49ストリート近く。アッパーウエストサイドでブロードウエイから比較的に近い場所である。

10th. avenueと聞いて1975年、今から何と33年前に出たブルース・スプリングスティーンの名曲「10th.ave. freeze-out(凍てつく10番街)」を即座に思い浮かべ、それだけで何となく嬉しくなった。
僕が19の時に聴いた曲だ。スプリングスティーンも今年還暦(!)を迎えるという。
「全く何てこった」

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