リエカを出て約40日あまり。ついにヨーロッパ最後の一日となる。
いよいよ明日は大西洋を超えてニューヨークに移動する日だ。
連続して50日間の最後のホテル暮らしはつらいかなと思っていたが、やっぱり辛い。
多分息抜きというやつがなかなか出来ないせいだと思う。

パリはまだまだ見るべき所を残している。
例えば、イイヅカさんのギャラリー、カルティエ財団の美術館、新しくできたらしい広告博物館、写真美術館、ブレッソンの美術館、またパリからは離れるけど「行けなくはないですよ」とあきお君に言われたコルビジュエのロンシャン教会などなど。

しかし今日はついに限界状態がきて美術館にはどこにも行く気力がわかず。
結局、街をぶらぶらすることにした。
妻はお土産を買わなければならないというのでオペラ座近くにあるデパート、ギャラリー・ラファイエットへ。
その後パサージュめぐりでもしようかと思っていたが、どうも体調不良で結局僕だけ先にホテルに戻る事にした。
ホテルで荷物の整理、旅の記録、ブログの更新などをする。

昨年の4月1日にロンドンに到着して約355日、旅もここまで来てしまったかと思うと感慨深いものはある。

フランスの短い覚え書き。
地下鉄や国鉄の不便さ、分りにくさについてはさんざん悪口を書いてしまったが、意外なことに(?)フランス人はとても良かった。
ヨーロッパでこれまで私たちはかなりの国、都市を歩いて来た。あくまでも短期滞在の旅人の視点でしかないけれど、例えばホテルのレセプション、美術館の職員などの対応はフランスが最も良かったし、さらに街中で僕や妻が地図を広げていると必ずと言っていいほど街の人が向こうから「どこに行きたいんだ」と声をかけてきてくれた。
こんな都市は他にはなかった。
「フランス人は英語を話す人間を無視する」とか「フランスは個人主義の国だから他人に冷たい」とか諸々聞かされていたし、私たちもその覚悟でいたのだが実際全く想像とは違っていたので正直驚いた。たまたま偶然そうだったのかもしれないが、私の感じからすると単なる偶然とは言い切れないと思う。
電車に乗って隣り合わせた時など、言葉を交わさないでも存在する身振りとか表情での交信などから。
しかもその上、食事がやっぱりおいしいし(全ての料理の平均点が高い)、ワインもうまい。いたるところで映画も見れるし。パリは大都市の割には物価は安い方だと思う。
私の知る限り、日本人が住むとしたらヨーロッパの中ではパリが最も住みやすいのではないかと推測する。
逆に期待が高かった反面、最も想像と異なっていたのはイタリアであった。
理由を書き出すと長くなるので省略しますが。


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昨夜、イイヅカさんにアメリカへの渡航は私たちが出発した2008年春よりもさらに厳しくなっていることを聞いた。例えばメールで出入国管理局に入国3日前までにあらかじめ情報を提出しておかなければ、空港で大変な目に会うことなどである。
その確認と航空券のリコンファムも含めてオペラ座近くにあるANAの支店を訪ねる。
ANAにはパリーニューヨーク直行便がないせいか、担当の人は最初よく分らないと言っていたのだが、調べてもらった結果イイヅカさんの言った通りである事が判明、ホテルに戻った後、早速メール送信作業を行った。
このオペラ座界隈は日本にあるのと全く同じブックオフがあったり、沢山の日本料理店もあり、先日のクロネコヤマトも含めてつくづくパリはラクチンな場所だと思う。
私たちの拠点にしたクロアチアと比べての話だが。同じヨーロッパといっても全く異なる環境なのだ。
だからといって拠点をパリにすれば良かったなどとは露程も思いませんが。

その後、市立近代美術館、ギメ美術館へ行く。

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乗換駅「スターリングラード」にて。

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以下、市立近代美術館。

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アンリ・ミショー

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ジャン・フォートリエ

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マティス

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ブラック(部分)

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ソニア・ドローネー

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左が市立近代美術館、右がパレ・ド・トーキョー。

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以下ギメ美術館。

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乾山

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白隠

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午前中宿を移動。
詳述は避けるが今回の宿の選択はトラブルがらみで北駅近くになった。
確かあまり環境の良くない所とは聞いていたが、初めて実際に行ってみると聞きしに勝るとはこのことで本当に環境は悪そうな所だった。
朝電話で久しぶりに会話したパリに住むイチダさんも大変心配そうで、「とにかく気を付けて下さい!」と注意された。

ともかく今更宿の変更などは面倒なのでこのまま行く事にした。
その後急いでオルセー美術館へ。閉館時間まで。

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以下オルセー美術館。

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ロダンのデッサン。

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今回見た中で最も意外な発見はクールベだった。何かうまく説明できないけれど、引っかかるものがあった。絵を描く事と思考している事が合体しているというか、とても知的な人の印象を持った。

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これもクールベの有名な一点である。

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ドーミエ。

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夕方7時半頃、イチダさん夫妻がわざわざホテルまで車で迎えに来てくれた。
車でセーヌを渡って安全な(笑)場所、イチダ夫妻が良く行くというレバノン料理を出すお店で食事をご一緒した。
同じく秋のパリフォトで知り合ったイイヅカさんも仕事を片付けた後、合流。
イチダ夫妻はつい前々日まで3年ぶりの里帰りで東京にいたのだが、ぎりぎりパリにいる私たちのスケジュールに間に合わせてくれたのだった。
イチダ夫妻は主にweb上のデザインをやっているが、ルーブル美術館の最初のバーチャルミュージアムのデザインもしていたことが今回わかったり、色々楽しいお話が聞けた。
また写真専門の画廊をやっているイイヅカさんにも今回改めて、これまでどのような活動をしてきたか伺う事ができた。画廊と平行して写真雑誌の編集発行をやっているだけでなく、もともとはファッションの(パリコレなどの)ショーのディレクションもやっていたのだ。彼が手がけた仕事は誰もが知っている有名なデザイナーのショーであった。
イチダ夫妻もイイヅカさんも会社とか業種とかの枠に全くとらわれず自立した表現者として仕事をしているように思う。しかもそんなに気負った感じは少しもしない。
しかし今回若い時からここに至るまでの話が色々聞けた。
面白すぎてここには書けませんがさすがに波瀾万丈。僕など自分で振り返ると波瀾万丈からはほど遠い淡々としたというか、気がついたら時間が経っていたみたいな人生なので彼らの話を少しうらやましく思いながら聞いた。
まあ、人はそれぞれ運命みたいなものを背負って生きているのでせうか...などと思ってみたり。

しかし時間はあっという間に過ぎ、まだまだ話足りない思いも残ったがまたの機会を楽しみにしようと思う。まあ僕がパリに行く事はめったにないと思いますが、彼らが東京に帰って来る機会の方が多いだろうから、次は東京ですね。
ともあれこういう出会いを作ってくれた(パリフォトの)友人スエマツ君に改めて感謝。
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ルーブルは当然ながら一日では見れないので再度。
まあそれでも結局は見切れないのですけど。

そしてその後、クリュニー美術館、正確には中世美術館に移動。
ここは3月11日の日記にも書いたが、自然史博物館と並んでかつて十数年前に訪れて僕が今日のwriting space designを考えるきっかけ、そして言い換えれば今回の長旅の大本となったところの一つである。

十数年前の旅はもっと正確に言えば、パリに先だってロンドンの大英博物館とナショナルギャラリー、ヴィクトリア&アルバートミュージアムを訪ね、モリスのマナーハウスに行った後の旅であった。その時もちろん、ルーブルも行ったしオルセーにもポンピドゥーにも行った。
しかし僕の心を強く揺さぶったのはここクリュニーと自然史博物館、そしてケンブリッジ近くにあるモリスのマナーハウスだったのだ。その当時理由はよくわからなかった。

そういった因果関係が今回旅をしながらだんだん自覚されて来たので(妻にも語った事はない)今日、クリュニーに行くのは大変緊張した。
まるで十数年前の自分の秘密を暴きに犯罪現場に向かう者のように。
しかし、当時もっとも衝撃を受けたクリュニー最下層にあったローマ時代の遺跡は今回工事中で見れなかった。

今日の感想は心にそっとしまってここには書きません。(もったいぶるわけではなくささやかなことだから。多分)
が、ひとつだけ。

要するに当時ルーブルも、単なる入れ物、せいぜい立派な箱だと感じたのだが(それでも時代とともにアウラは濃くなるのだろうが)クリュニーは場所と中身が決定的に切り離されない場所だと強く感じたのだと思う。
当時の僕は。理屈抜きでそのことが絶対的なものに感じたのだろう。
クリュニーの展示物自体にはその後の学習もありさほど驚くものではないが、結局今回の長旅を絶対的に「現地で見る」旅にしたきっかけはここにあったのだろう。
それだけは思い返して我ながらとても良い判断であったと確信する。
人が何と言おうと。

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以下ルーブルの続き。例によってランダムです。

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セーヌを渡る。

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以下、クリュニー中世美術館

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一角獣のタペストリー

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この日は朝からルーブル美術館へ。
ここについてはいろいろ意見はあるが長くなるので省略。

ヨーロッパの旅の始め昨年4月に、ロンドンの大英博物館とナショナルギャラリーで「予習」をしたとするとまあ、今回は旅の「復習」をルーブルで、ということになるのだろう。
やっぱり大英博物館でものを見ていたときの方が圧倒的にテンション高く緊張していました。
そのテンションの違いは大英博物館かルーブルかという問題では当然なく、旅の終わりなのでこれもやむを得ないことなのでしょう。

また、当然ながら自分が現地に行ったもの(エジプトやギリシア)よりは、まだ行っていない場所、アフリカや南アメリカや中近東などがより興味深いのも当然のことだろうと思う。
そういった意味では今は未知の旅への予習の時であるのかもしれない。

以下写真の流れは編集する時間がなくランダムである。

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人だかりの方が興味深かった。

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今回ルーブルで最も興味深かったのは改築工事で発掘された元のお城の基礎部分である。
それだけなら、何と言う事はないのですが、その城は14世紀の手稿本の傑作「ベリー候の時燈書」に出て来る城だったことが分ったことである。

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モナリザの前の人だかり。近づく気も起こらず。

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こっちは大丈夫。ゆっくり見れた。ナショナルギャラリーのカルトンとツインで見てみたい。

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これにはさすがに凄いパワーありますね。ルーブルを救っています。

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ハンムラビ法典最上部。

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朝、宿をリヨン駅そばから、地下鉄ペレール駅傍へ移動。
その後パリ郊外、ポワシーから歩いて20分くらいのところにあるコルビジュエのサヴォア邸を訪ねる。
その後パリに戻り、南の端にある国際大学都市、シテユニヴェルシテールにある、同様にコルビジュエの設計したスイス館とブラジル館を訪ねる。

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宿からシャルルドゴールエトワールの凱旋門の地下鉄駅まで歩いてみる。

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以下サヴォア邸。

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管理人の家

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ポワシーのノートルダム。

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シテユニヴェルシテール入り口。

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以下スイス館

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以下ブラジル館

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昨日に続き、膝の調子がどうも悪い。足の関節が逆向きに折れそうな感じです。歩く分には何とかなるのだが、特に階段の上り下りがつらい。
パリの地下鉄は老人や身体の不自由な人には本当に「不親切」にできているところなので堪える。
昨年の夏のギリシアやイタリアはもっと過酷な状況だったが平気であったのにここにきて蓄積疲労が出ているのかも知れない。(うーん。走ってもないのにトシだにゃーと独り言。これで春から授業ができるのかしらとまた独り言。)
かといってホテルで休養する気分にもならず、今日は出かける場所をひとつに絞った。

シネマテークは歩いて行ける距離である。途中に国鉄近郊線の高架橋跡がアトリエ・ブティック街になっている場所があり、画廊、家具屋、アクセサリー店などが延々と並んでいてなかなか面白いところを通った。
シネマテークの上映プログラムを見てみたが、あいにく見たいものとは遭遇しなかった。
しかし併設の映画博物館ではメリエスの特集をしており、メリエスの短編の多くをみることができたし、その他エジソンの映像も含めていろいろ見る事ができた。

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荷物の重量を少しでも減らすべく、妻が午前中オペラ座近くにあるクロネコヤマトに行って荷物を送ってくれた。パリは便利ですねー。

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ベルシーの新大蔵省。

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シネマテーク入り口

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設計はフランク・ゲイリー。もともとはアメリカンセンターのための建物だったらしい。
どっちにしろ、フランクさんは個人的にはいただけない。

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ヴァザルリによる映画へのオマージュ

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ちなみにこの日上映されていた映像を記録として残しておきます。(部分的なものも含む)
メリエス、リュミエール、エジソン、オスカー・フィッシンガー、ジュール・マレイ、ヴァイキング・エッゲリング、ハンス・リヒター、ジガ・ヴェルトフ、エイゼンシュタイン、チャップリン、フリッツ・ラング、ムルナウ、ゴダール。







昨晩の映画「グラントリノ」の感動からその後の酒盛りは2時か3時頃までになってしまった。
あきお君は朝早くミラノに行くため宿を出たように思う(こちらも夢うつつなので時間はよく分らなかったが)。
その後、飛行機に間にあったかどうか心配したが、「なんとか無事到着」のメールをもらい安心した。
多分彼も二日酔いでしんどい状況だと思う。

僕は僕でポルトガル以降の疲れが出たのか昨日から古傷の膝がかなり痛み長時間歩けない状態になる。
今日は雨模様だし休養日にしようということで昼過ぎからモンマルトルに出かけ、夕方早めに宿に帰って休む事に。
モンマルトルは妻の買い物で、ザグレブのあきこさんが教えてくれた布屋さんがあるところ。
ちゃんと目的の布がありました。

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今日は書くべき事の多い一日。
あきお君は朝早く宿を出て図書館に向かう。
彼の研究テーマとかかわるミナールという人の図像を見る為である。ミナールはダイヤグラムに関する本であれば必ず出て来るあのナポレオンのロシア遠征を視覚化した人である。
しかし現在専門家でさえもミナールがどのような人かちゃんと知っている人は少ない。
ホテルに戻って来た彼に採集した図像をいくつか見せてもらったが大変刺激的であった。
特に僕にとってはミナールのナポレオン遠征ダイヤグラムが実は何とハンニバルのローマ遠征とセットだったことがわかり大変興奮した。これまでそんなものは見た事もなかったからだ。
ミナールはテクノクラートでそれゆえほとんど名前が出て来ない人である。
「にもかかわらず」ナポレオンとハンニバルをテーマにした事自体、このダイヤグラムが実務的というよりは、かなり強く啓蒙する意思を持って作られたということがわかる。
ヨーロッパ人にとってアレクサンダー、ハンニバル、ナポレオンは英雄3点セットなのだ。
アレクサンダーの場合はあまりにも古くてデータが充分ではないだろうが、ハンニバルならばかなりのデータがあるので可能と考えたのではないかと推測できる。
あきお君はハンニバルを知らないみたいなので「?」みたいな感じだったけれど。
まあ、ともかくもこれから彼の書く論文を楽しみにしたいと思う。

私たちは宿から歩いて国立自然史博物館の進化大陳列館、モスクを通ってアラブ世界研究所、サン・ルイ島に渡り、十数年前に泊まった宿を見て、シテ島ノートルダム寺院まで歩く。
国立自然史博物館は十数年前に僕が衝撃を受けた所で今日のwriting space designを僕が考えるきっかけになったところである(もう一つはクリュニュー)。
ここでの感想を述べ出すとあまりにも長くなるので止めておくがとても色々なことを考えさせられた。
昨夏、ギリシアの神秘のディスクの時にも書いたがここでもまざまざと十数年前の自分の経験が今の自分を決定していることを改めて考えさせられたのが一つと、しかしこの間の時間によって今の自分は当時とはまた異なる感想を持ったということである。
それは僕に与えられた新たな宿題なので今後ゆっくり考えたいと思う。

またアラブ世界研究所は今回はじめての訪問であった。
今更なのかもしれないが(1987年完成のものなので)とても良かった。
今回僕が見たヨーロッパの現代建築の中でも最も感動したものかもしれない。

そして明日からミラノに移動するためお別れするあきお君とは最後の夜なので、スペインから実はずっと気になっていた映画グラン・トリノを見に行く事にした。
これが期待通りというよりも期待をまたはるかに超えて傑作であった。
三人とも涙ぼろぼろ。
あきお君は上映中は泣いてないといっていたが嘘だ。
僕は最後の最後、「グラン・トリノ」のテーマソングが流れイーストウッドの声が聞こえてから堪えられなくなった。

小学生の頃見ていたTV西部劇「ローハイド」のロディ役の頃からのクリント・イーストウッドファンとしても、これは涙なしでは見られない映画である。(どうでも良いことだがこの映画で彼にアカデミー賞を授けなかったアメリカのアカデミーはアホである)
そしていつの間にか(僕の中では「バード」のころくらいから)アメリカ映画の最高の映画監督(それも2位以下を大きく引き離して)になってしまった彼だが、その中でもこれは特別な傑作の一つだろう。
ニューヨークと東京でもう2度見ようと思う。

あまりにも感動したのでホテルに戻り夜中まで酒盛り。
明日あきお君は飛行機の便が朝早いのだけど。

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パリ、宿の近くのリヨン駅。

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国立自然史博物館。正面が進化大陳列館。

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ビュフォンの像。

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進化大陳列館内部。
僕は十数年前、英国の自然史博物館を訪ねた後、ここを訪れた。英国は当時流行の映像、コンピュータインタラクティブの先端を走っていた。しかしここは全く映像などのハイテクは用いず、「ブツ」の見せ方(lightingとレイアウト)とグラフィックのみで、驚く程美しい空間を作り出していた。しかも後にベルリンのモリタさんから聞いてわかったことだが、パブリック施設においてサウンドデザインを導入した最初期の博物館だったのである。
音響がすごくて無意識に響くのだ。
英国とフランスこの二つの博物館の展示という行為に対する行き方は当時の僕には本当に多くの刺激を与えてくれたのだった。ものを「見せる」ということはどういうことかについて(当時の僕としてはストイックなこちらの方が断然好ましく思えたのだったが)。
しかし、今回の訪問で、ここもその後結局は時代の流れに抗する事ができなかったとみえ、液晶ならぬ古くさいTVモニターがあちこちにあり、かつてはあんなに緊張感をもっていた美しいグラフィックもぐずぐずになっており、実は少なからずがっかりした。
妻はそうだとしても十数年前にここまでやっていれば、当時あなたが感動したのは理解できるとなぐさめてはくれたが。
もちろん、僕自身も特に今回の1年の旅でさらに色々思う所もあるのでお互い様である。
要するに「時代は変わる」し僕らは「転がる石」なのだ。

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モスク

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アラブ世界研究所。設計ジャン・ヌーベル

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図書館

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ノートルダム寺院
リヨンから電車で約1時間、駅から坂道を歩いて30分くらいか、丘の斜面に建つコルビジュエのラ・トゥーレット修道院を訪ねる。
(僕は2度目。前回はJさんの運転するレンタカーであった)
最初に訪れて以来、時間が経つごとにまた来たくなったのだ。

光を可視化するとは言語矛盾なのは承知なのだが、モダニズムとかポストモダニズムとかいうことよりも、彼は実用的な空間において既に、現代のジェームス・タレルを軽々と先取りしている。ように思える。
僕は建築の専門家ではないけれど、ある境地にたった建築家がそれまで蓄えて来た全ての(建築)言語を使って自由自在、細部にわたるまで自分の意思をコントロールして作られている感じがする。多分施工現場はとんでもなく大変だったのではないだろうか。
そして見ていて楽しいのはとても心地よいリズムに建物が満たされていることに尽きる。

ある美的なエネルギー、それも強力なエネルギーに触れた。
かなり以前から修道院として使用されておらず、現在はもちろん管理はされてはいるものの一種の廃墟状態なのが唯一残念だけれども。
(一部修復中であった)

その後リヨンに戻り、夕方パリに向かう。


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