いよいよ、スペインを後にして今日はフランス、リヨンへ移動する。
リヨンはコルビジュエのラ・トゥーレットを見る為である。
実はここは12〜3年前に同じ目的で訪れており僕にとっては再訪である。

フランスは食べ物は一流かもしれないが交通機関はあんまり良くない。
鉄道のシステムと案内がスペインに比べても旅行者にとって分かり辛く不親切な所である。
色々苦労したが何本か電車を乗り継ぎながら、無事リヨンへ到着。
夕方リヨンの街を散策。
ちなみにリヨンはグーテンベルクがマインツで近代活版印刷を始めた後、それが広まった最初の場所の一つであり、印刷に関しては大変歴史の古い街である。
旧市街には古本屋も多い。かつて訪れた古本屋も再訪した。

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ポルボウ朝。

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恐らくポルボウで一件だけ営業していた私たちの宿泊したホテル。建物の中に大きな松の木があった。

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ポルボウ。

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リヨン到着。

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最近(2002年)にできたらしい、サン・テグジュペリ(リヨン出身)のモニュメント。
バルセロナからスペインとフランスの国境の街、ポルボウへ。
ここはワルター・ベンヤミンが1940年に陥落するパリを逃れマルセイユを経て、ピレネーを超えて亡命するために到着した場所である。
そして入国を拒否された彼はここでモルヒネで服毒自殺をする。
1940年9月26日。死亡は翌日。

ここには彫刻家ダニ・カラヴァンがベンヤミンに捧げた素晴らしい彫刻がある。
そのことを教えてくれたのはK先生で(数年前)それ以来、ここには必ず来たいと思っていた場所である。僕はその記憶からK先生は既に訪れているものと勝手に勘違いしていたのだが、今回先生もまだ訪れていないことが1月にわかったのだった。
急な話だがせっかくなのでご一緒できればという話になった。しかし残念ながら諸事情で先生の今回の訪問は無理となった。

しかし先生はこの間、ベンヤミンがこの脱出行の時に持っていた原稿の入った重い黒い鞄に関するエピソード(『ベンヤミンの黒い鞄 亡命の記録』リーザ・フィトコ)を読んでない僕の為にわざわざテキストをメールで打ち込んで送って下さっていたのだった。

自分がいかにベンヤミンに影響を受けたかについてここで事細かに語るつもりはない。しかし簡単に言えば20歳代の自分がデザインをすることはどういうことかをリシツキーから学んだとすれば、デザインされたものと社会との関係はどのようなものか、考える事の意味と深さを学んだのはベンヤミンであることは間違いのないことだ。

ある人の記述によればスペインの国境警備隊がそれまでやって来ていたフランスからの亡命者を拒否することに決定したのはベンヤミン一行の到着前日であったらしい。
(ここら辺の事情は複雑で、私にはよく分らない。当時スペインはフランコが統治していて、このあたりにはドイツの駐在軍もいたらしいので)
しかしともかくも、つまりベンヤミンがもし前日に到着していたならば助かっていたのである。
そしてベンヤミンの自殺に感銘を受けたスペイン側の国境警備官はベンヤミンとともに来た他の人々がポルトガルへ逃れることを許可したという。

...とても悲劇的だが、ある意味ベンヤミン的だとも思う。

そしてベンヤミンが命に代えても守ろうとした黒い鞄は現在も見つかっていない。

その中身はパッサージュ論の原稿であろうと言われている。
彼程かしこい人が自分の危険を察知しないはずはない。(彼はユダヤ人だったので)
さっさと危険なパリを後にすれば良かったのにと今の僕は思う。
しかし彼はパリの図書館にある資料でこの論文を書かざるをえなかった。

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今回一緒に巡礼の旅に出たあきお君。
彼はムサビの学部、院を修了し現在はS大学の博士課程3年目である。言うまでもない事だが、大変優秀な男である。今回の旅は博士論文の為の調査も含まれている。今年論文提出予定なのでこれから修羅場が待ち受けているのだ。

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ポルボウ駅

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ポルボウの港。向こうがピレネー山脈。

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ベンヤミンの墓のある丘に立つカラヴァンの作品。タイトルは「パサージュ、ヴァルター・ベンヤミンへのオマージュ」これは垂直の断崖に斜めに貫通した階段であるが、他にも2点ありそれらはセットになっているようだった。

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向こうは海だが分厚いガラスでここから先には行けない。

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階段から見上げる。

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近くの墓地にあるベンヤミンの墓。小石が積み上げられていた。ここを訪ねた人たちによるのだろう。

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二番目の作品。

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墓地から海を見る。

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三番目の作品。ここに昇るとはるかピレネーと海が見える。


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その後、ポルボウにおけるベンヤミンの足跡を訪ねる。

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市民センター。閉まっていたが2階にベンヤミンに関する展示があった。

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当時フランスからピレネーを超えてスペイン領へ脱出する人々。


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ベンヤミンの亡くなった場所。真ん中の赤い壁の2階奥。

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最後にベンヤミンにとって書物と都市とは何か松岡正剛さんのテキストを引用させていただく。
「...ベンヤミンが若い頃から書物を偏愛し(これは予想がつくが)、それ以上に装幀に稠密な好奇心をもっていたことにあらわれている。ベンヤミンにとって書物とは、それが見えているときと、それが手にとられるときだけが書物であったからである。その書物の配列と布置と同様に、ベンヤミンには都市が抽出と引用を待つ世界模型に見えた。

 しかし、書物も都市もそれを「外側から内側に向かって集約されたもの」と見るか、それとも「内側が外側に押し出されたもの」と見るかによって、その相貌が異なってくる。」

(松岡正剛の千夜千冊ベンヤミン「パサージュ論」http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0908.html)


今日はバルセロナ最後の一日。
ミロ美術館、ガウディの設計したグエル公園、公園内にあるガウディの住居でもあったガウディ博物館を訪ねる。
夜10時過ぎ、東京からやってきたあきお君が無事ホテルに到着。
彼とはこれから数日writing space 巡礼の旅を共にする予定である。

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以下ミロ美術館。
写真は撮れないので絵を見せられないのは残念ではあるが、この美術館は場所、建築、展示内容全てにおいて素晴らしい。

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美術館屋上から見えるバルセロナ市街。

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以下、グエル公園。

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ガウディ博物館

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ガウディのベッド。

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朝、地下鉄でサグラダ・ファミリアへ。

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僕はバルセロナも、スペイン自体も今回の旅が初めてであるが妻は二度目で30年ぶりである。当時は塔は4本のみだったが現在は8本になっている。

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その後地下鉄でピカソ美術館へ。
ここは撮影はできないので写真はない。(写真は美術館中庭)
数としてはそう多くはないがここの特徴は子供の頃の作品が沢山あることと、ベラスケスのラス・メニーナスにインスパイアされた作品群だ。

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ガウディ、グエル邸。

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バルセロナ現代美術館。設計はリチャード・マイヤー。
4人の作家の展覧会と常設展をやっていた。

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トーマス・バイルレ。

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以前ソボルさんと話をしていた時「僕の旅はいわば修道僧の巡礼の旅みたいなものです」と言った事があるが、旅も後半、ますますその色合いが濃くなってきた。
中途半端な感想を述べる余裕もなくなってきた。
今後は淡々とした記録が多くなる事と思う。
今日は宿を出て歩いてミロ公園、スペイン広場、バルセロナ見本市会場を通りミースのバルセロナ・パヴィリオンへ。
その後スペイン広場からの軸線上のモンジュイックの丘にある広大なカタルーニャ美術館へ。
その後地下鉄で移動。アントニ・ガウディのカサ・ミラ、カサ・バトリョ、近くにある現在改築工事中のアントニオ・タピエス美術館の外観を見てホテルへ戻る。

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ミロ公園

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バルセロナ・パヴィリオン。
正式にはGerman Pavillion International Exposition Barcelona。これは1929年バルセロナ万博の時建てられ、終了後解体。1986年に同じ場所に復元されたもの。設計はミース・ファン・デル・ローエ。

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丘の上がカタルーニャ美術館。階段とエスカレーターがついている。

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以下、カタルーニャ美術館。中世キリスト教美術、特にカタルーニャ地方のロマネスク美術の宝庫。

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以下、アントニ・ガウディのカサ・ミラ。
ミースと同様、ガウディについて感じる所、大いにあるけれども書き出したらきりがないのであえて省略します。ただ単に「ガウディはとても良かった。偉大なモダニストである」とだけ。そして今回の旅全体の中でオルタ、ギマール、ガレなどとの比較関係とともに見る事ができたことも。

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屋上。

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東にサグラダ・ファミリア聖堂が見える。

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カサ・ミラ内のギャラリー。

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カサ・ミラの近くカサ・バトリョ。同じくガウディ。

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アントニオ・タピエス美術館、外観。

雨模様の中12時半発のaveというスペイン版新幹線でマドリッドのアトウチャ駅からバルセロナのサンツ駅へ。

マドリッドからバルセロナまで直線距離で420~30キロくらいか。約3時間。

列車は時速300キロを超えていた。

早いのは良い事かもしれないがおかげで車両が揺れ過ぎ。パソコンで作業するつもりが気持ち悪くなり中断してしまう。

宿はサンツ駅のそばで大変便利である。

いつも苦労しながら宿選びをしてくれている妻に感謝。


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マドリッド、アトウチャ駅.中が温室、ヨーロッパで最もお気に入りの駅になりました。


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バルセロナ、サンツ駅前。


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まあどっちにしろ、毎日がmuseo三昧という至福の、かつ結構しんどい日々を過ごしているわけですが、マドリッドも今日で最終日。

朝、やはり宿から近くにあるティッセン・ボルネミッサ美術館へ。ここは世界第二といわれる個人コレクション(ちなみに一位はエリザベス女王)で、ボルネミッサ男爵という人の美術館。

13世紀のイタリアからルネッサンス、フランドル、オランダ、イギリス、フランス、ロマン派、そして印象派、未来派、キュビズム、シュルレアリズム、ポップアートの20世紀まで、膨大なコレクションである。

建物もネオ・クラシックの傑作といわれているらしいが素晴らしいし、展示も良い。作品が時代別、国別にバランスよく配置され、「西洋」美術史を学ぶための教科書のような美術館である。

かなりの見応え。写真は不可なのは残念だけどその方が絵を見る事に集中できるので楽である。

ここは親子二代でできたコレクションらしいが全く想像がつかない。どうしたらたった二代でこのようなコレクションが可能なのか。

1990年代日本のバブル期においても、「日本人が金の力で」有名絵画を買い集めたと何かと話題、揶揄の対象になっていた事を思い出す。

しかし、どう考えてもこれに比べれば日本は赤ちゃんみたいなものだったのですね。


その後、国立考古学博物館に移動。ここは見るからに巨大で、かなりの覚悟で入館したのであるが、工事中なのかどうか分らないがごく一部しか展示しておらず、完全な拍子抜け。

ここではアルタミラ洞窟の壁画を再現しているということに強い期待を持っていたので大変残念である。


その後遅めの昼食をとり一旦ホテルに戻り休息。

スペインにいるうちに私たちもスペイン風シエスタを必要とするようになってしまった。特に昼食にワインなどを飲んでしまうと絶対必要となる。スペインの人々の昼食は2時頃から4時。

夕食のレストランに客が入り始めるのは9時からである。(レストランが始まるのは8時頃)

私たちは夕食には付き合いきれず、夜の9時からレストランに行くという事はほとんどしなかった。

(そんなことをしたら、ますます身体がもたなくなってしまう。あぁ、日本のあっさりした食事が恋しいよ。)


夕方、元気を取り戻しプラド再訪。

2度目でも改めて感動。まだ見足りないがしょうがない。8時に美術館を追い出される。

ティッセン・ボルネミッサ美術館、プラドともに写真不可なので残念ながらイメージはない。


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発見の広場

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以下考古学博物館

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今日は月曜日。ここ数日のトラブルでなかなか行けなかったトレドへ。マドリッドからバスで約1時間。

トレドのバスセンターで市バスに乗り換え丘の上、城壁で囲まれた旧市街、中心部にあるサンタ・クルス美術館へ。


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サンタ・クルス美術館。


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中庭。

サンタ・クルス美術館の後、アルカサルという巨大要塞の横を通り(内部に入らず)町の中心カテドラルへ。ここはスペイン・カトリックの総本山らしい。1227年着工、1493年完成。壮大であり入り口も5つの門がある(迷いました)。

ここは聖具室がかなり大きな美術館になっていてグレコ、ゴヤ、ベラスケス、カラヴァッジョなどかなりのものがある。

しかし展示の仕方は最悪で絵はとても見づらい。

全体的にとにかく埃っぽく、空気が悪い。思わず「ここは本当にあの有名なカテドラルか」と妻に言ってしまう程だった。入場料もかなりとっているわりにはひどい印象。(だいたいカテドラルは無料のところが多い)


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以下、カテドラル。


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その後、本日の目的地「サント・トメ教会」へ。

ここはマドリッドで宮廷画家の道を断たれたグレコが死ぬまで40年住んだ自宅そばの教会。

かの有名な「オルガス伯の埋葬」がある。

この一点のためにトレドに来る価値はあるだろうと思う。


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その後グレコの家を尋ねるも月曜日で休館なので外から眺めるのみ。


昨秋、リエカで薬師寺さんと話していて「グレコは今一わからん」と言ったら、「寺さん、グレコは凄いよ。スペインに行けばわかるから」と言われていたが、「にゃるほど」本当だった。

彼の空間の変形には全く独自性がある。

グレコをみていると使い古された「デフォルマシオン」という言葉が新たな意味を持って来るように思えた。

全く熱い変形であり視覚的である。


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以下トレドからの眺め。タホ川が見える。


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夕方マドリッドに戻る。アトーチャ駅外観。


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一昨日に行ったソフィア王妃芸術センターの横を通って宿に戻る。

朝早めにアランフェスの宿からマドリッドへ移動。約1時間。

ホテルはプラド美術館の近くなので荷物を置いて早速美術館へ。

フランシス・ベーコン展もやっていたがそちらには目もくれず常設展へ。(ベーコンに興味がないわけではありません。むしろかなり好きな作家ですが。)

この美術館は世界三大美術館の一つなどと言われており、今更僕がどうのと説明するまでもないだろう。ちなみに3つとはエルミタージュとルーブルとここだ。

これで一応僕はこの三つを見た事になる。

実際、傑作が目白押し、なんというか有名性だけではなくて、とにかく全体の質が驚く程高い。

その中でも無理矢理ベスト5を上げてみる。

「ラス・メニナス」を頂点とするベラスケス、

ファン・デル・ウエイデンの「十字架降下」、

ボッシュの「快楽の園」、

エル・グレコの「羊飼いの礼拝」、

フラ・アンジェリコの「受胎告知」

順不同...かな。

リューベンスもデューラーもゴヤもレンブラントもラファエロもブリューゲルもカラヴァッジオもそれぞれ良いものがあるにもかかわらずベスト5に入らないという豪華さ、贅沢さだ。

しかし別の日に来れば全く異なるかも。


一日いて、疲れ切ったが、ぜんぜん充分見たという感じはしない。時間が足りないのと体力も足りない。

再度来る事に。

久々に自分が眼の贅沢をしている感じを味わった。

写真不可なのでイメージはありません。


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アランフェスの宿の中庭。今日は朝から雨模様。


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プラド美術館。

この日はマドリッドに向かう。(宿はアランフェスのままである)

アランフェスーマドリッド間はバスで約50分なので国分寺から銀座に行くような感じである。

実は当初、今日トレドに行く予定だったのだ。しかしここに来てアランフェス発トレド行きの列車がないことが判明。バスもほとんどない。

原因は私たちのもっていたガイドブックが古かったためだ。それにはアランフェスがトレド行きの起点になると書いてある。実際地図を見ても位置関係からそのはずだと思った。しかし多分ごく最近に路線自体が廃線になったようで、マドリッド周辺の町に行くには必ず、一度マドリッドに行き、そこから向かわなくてはならないようになってしまっているのだ。事情は詳しくは分らないが距離的に言っても何とも不都合、不条理なな感じである。

...ということで今日はトレド行きを中止して急遽マドリッド入城である。

王立サン・フェルナンド美術アカデミー、イコー美術館、ソフィア王妃芸術センターの3つを尋ねる。


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王立サン・フェルナンド美術アカデミー。

ここはプラド美術館の分室と言われている所である。

16世紀から19世紀までゴヤ、スルバラン、ムリーリョなどのスペイン絵画が中心。その他はティッツァーノ、ブリューゲル、コレッジオ、リューベンス、アルチンボルトなど。

また館内にゴヤを記念した版画専門の美術館も独立してあって現代版画の作家の展示を行っていた。


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スルバラン


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イコー美術館入り口。

フランス人建築家ドミニク・ペローの大展覧会が行われていた。

写真は不可。


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ソフィア王妃芸術センター

ここは20世紀以降の近現代美術を集めた所である。かなり大きく見応え充分である。

ニューヨークから戻った有名なピカソのゲルニカもここにある。

ミロ、ダリ、ブニュエルなどスペイン出身の作家はもちろんのこと、それ以外の作品も傑作目白押しでかなり刺激を受けた。

またここはブニュエルもそうだが映像作品やドキュメンタリーも各所で映写していて(これは近年のプロジェクターの輝度が随分良くなったせいだが、絵画作品の隣に映像が映写されていたりして)大変刺激的であった。

ここも写真不可なのでイメージはない。


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写真は不可なのだが、廊下にあったこればかりはいやがる妻に無理矢理撮ってもらった。巨大なマン・レイのオブジェ。目が開いたりつむったりします。


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