何とか前日よりは良くなったような気がするが油断はできない。

こんなにぐずつくと「これは風邪じゃないんじゃないか?何か他の病気かも」と少し不安になってきたところである。
なにせ自慢じゃないが「20年かけて手塩にかけて作り上げた完璧なメタボ体質」なのでいろいろ思い当たることは沢山ある。
でも病は気からというし、そんなことわざわざ今考える事はあるまいと封印する。

学生時代からの友人カタヤマくんから見舞いのメールが来た。
この正月彼のブログを読んでいてそのエッセイに抱腹絶倒していたところなので遠く離れていても離れている感じがしません。
やっぱりこのネットでつながった世界というのは本当に実現してるんだなあと今更の様にしみじみ思う。
カタヤマくんとは20代から30歳後半まで代々木で仕事場をシェアしていたので、考えてみればお互い奥さんよりもずっと長く一緒に生活していたのだ。当時は二人ともしょっちゅう仕事で徹夜してたし、徹夜でよく酒も飲んでいた。事務所の床でシュラフでよく寝ていたが当時は全然平気というかそれが大変だなんて思ってなかったような気がする。若さって言うのはそういうことだったのだと思う。今から考えると恐ろしいことだ。
しかし、その彼も最近は完全に朝型生活になり適度な運動をし、まじめ生活を送っているようでメタボは克服したようである。
仕事は相変わらずバリバリこなし、この5月には個展もやっているのだ。
見習いたいと思います。

「今日は大分いいみたいだ」と言って起き出してみる。
妻「あなた昨日の朝も同じ事言ったわよ。寝てた方がいいんじゃない。」
「そうするわ」

いやーここに書きようがないですね。上記のように何もなくて。
今回風邪がこんなに長引くとは...。

本当は曼荼羅文化センターで献茶会を行う予定(お茶を点てるのはもちろん僕じゃなくて妻)もあったのだがリエカの寒さもあり中止。
明日はザグレブのアキコさんのところでの打ち合わせを一旦は予定したのだが、明日元気になっている自信がなくこれも中止させてもらってメールのやりとりで何とかすることになった。

そもそも漠然とではあったが1月はナポリに行ってポンペイの遺跡、シチリア島に渡ってパレルモ、シラクサ、アグリジェントを訪れるつもりであった。
妻は僕が寝ている間もいろいろ調整してシミュレーションしてくれたが、結局無理はできないということで断念することになった。
アグリジェントは心残りではあるけれど、最後の一ヶ月はクロアチアでしっかり過ごすことの方が今は重要かもしれない。
これまでの旅で得たものを反芻したり、整理したり、新たに考えたりしたいことは山ほどあるのだから。実際横になって朦朧な頭でもいろいろ思いは巡るのである。
それにザグレブとリエカでの講義の準備もある。

そしてここを2月の前半に引き払って以降の計画(ポルトガル、スペイン、フランスなど)を落ち着いてちゃんと立てようということになった。さすが1年の長旅だと今回のようなことも避けられないし、これもそういう運命だと受け止めポジティブに考えようと思う。

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妻の写真機より。高速道路にて。この険しい岩山の連なりもクロアチアらしい風景だ。

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リエカでは風の激しく吹きすさぶ日と穏やかな日が交互にやって来るようだ。
風の激しい日は外に干したタオルがあっという間にカチンカチンに凍ってしまう。
水たまりの氷もかなりの分厚さである。





今日はもう元気だろうと思って朝起き出すのだが、やっぱり調子が悪く、薬を飲んで寝たり起きたり。
昨年末に漠然とたてていた1月の小旅行の計画は完全に頓挫している。
計画をたてるどころではない状態である。
合間に読書をしようとか試みるのだがすぐに眠たくなる。
とにかく寝るしかないと思い17時間ほどねむっただろうか。
冬眠する熊の気持ちで朦朧を楽しむしかない。
i-podのシャッフル機能は単なるランダムのはずなんだが、2600曲の中でどうしてこの曲の後にこれが来るのかと不思議な気持ちになる。これ偏ってるぞというか意図を感じ始める。
いや楽しんでいるんですが。曲目を書き並べたい欲望を感じるほどです。

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妻の写真機より。バカールの港。




風邪薬と滋養強壮と書いてある漢方薬を飲んでずっと寝ていた。
普段は昼間は眠れない質なのだが薬のせいかよく眠れる。
というか起きてるのか眠っているのかよくわからない状態。夢うつつ?が続く。
食事時には起きて食べれるのでそれほどひどくはないのだろうと思う。
ヘッドフォンが嫌いなのでこちらに来てあまり使ってなかったi-podをシャッフルにして
寝ながら聞いている。意識朦朧の中充分トリップした感じになる。新たな発見である。
英会話とイタリア語会話のためにi-podに入れてたデータは結局こっちに来て全く聞かなかったなあと苦笑しつつ。シャッフルの途中突然挿入される英会話のデータ(岩村某の一分間英会話とか)が邪魔でその都度ボタンを次へ押さねばならないのがめんどくさい(病の中の本音状態で向学心は全く失われている事がこれによってわかる)今度消さなくてはと朦朧とした意識の中で思う。
シャッフル機能はとてもおもろいと思う。
音を聞くとそれを聞いた時代が蘇ってそれも面白い。
とにかく今の自分にはこの朦朧が必要なのだと朦朧とした状態で考える。

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妻の写真機から。デュッセルドルフ。

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同上。あの固まりは何だったのだろうか。



今日はクロアチアの滞在許可証を申請するために警察に行かねばならない。
朝、風呂に入ったのだが何故か途中で水になってしまい中途半端になってしまった。
歩いてペタルクジッチを降りて警察署へ。建物の前でマイーダさんと待ち合わせたのだ。
小一時間ほどかかって無事許可証を得た。
その後カフェでお茶をして曼荼羅文化センターに寄り、市場で買い物をして帰宅。
帰宅と同時に体調が悪くなり寝込む。
ここ数日鼻風邪ぎみではあったが大したことはないと高をくくっていたのだ。
朝の水風呂が良くなかったのか、熱はない模様だがとにかく関節が痛む。
薬を飲んで寝ることにした。

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妻の写真機より。リエカ。まるで我が家にある山桃の実のようだ。
今日は日曜日。
妻と今後の日程を少し打ち合わせる。
そのあと散歩に出かける。今年最初の散歩である。
家のあるトルサットの丘の裏側を探索する。
何十メートルかで頂上に行き着くはずだがこれまで本気で昇った事はない。
また丘の上にはいつも行くスーパーマーケット(西にある)に行く別のルートがあるはずだと、ここに来て以来妻と話していたのだが、いつも工事中のリエカ美術大学の広大な敷地のフェンスにぶつかってこれまで断念してきた。
今回はもう少し根性を出して探索しようと考えた。
(どっちにしろローカルな話ですいません)
そして私たちは新たなルートを発見した!
今後使う機会があるかどうかはわからないほどの獣道であったけれど。
これっていつもの旅のパターンと全く一緒でおかしい。
裏道や抜け道を発見した頃にその町とはお別れというパターンである。


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新たな工事現場に遭遇。

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丘からアドリア海を見下ろす。

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この先が頂上であるが行き止まり。

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適当に歩いていると丘の裏側に出た。谷をはさんで向こう側の集落。

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丘の尾根下に道らしきものを発見。突き進む。

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丘の西側に出る。写真は春からいつまでたっても完成しないリエカ美術大学の新校舎。

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多分第二次大戦前から残る不思議で無意味な壁と駐車場のような場所。ロックコンサートには向いていそうだ。
右手丘が私たちが探索した獣道。左奥が私たちの住居のあるところ。


ちょっと風邪気味が続く。
静かに過ごす。
九州の実家とスカイプで話す。
今年はカレンダーのせいか5日から学校も始まったりするらしく、日本のお正月は短いらしい。
息子達もそれぞれに帰京するようだ。
記憶に残った親父とのやりとり。
旅の後半の話をしていて最後に親父が言ったひと言。
「まあともかくも...キュウジンノコウヲイッキニカかんようにな」
僕「...あ親父、すいませんが今のもう一回言ってくれる?意味は後で自分で調べるから」
もちろん親父はその場で意味を説明してくれたが、あとで電子辞書で調べた。親父の言った言葉は
「九仞の功を一箕に「か」く(ことなかれ)」(「か」はこのマックでは表示できない。)であった。
これは「書経」からのことばで
『高い山を築くのに、最後のもっこ一杯の土が足りないために完成しない。長い間の努力も最後の少しの過失からだめになってしまうことのたとえ。』であった。
もちろん、親父が「旅は最後まで気を緩めず無事帰って来なさい」という意味で言ったのは重々承知なのだが、この言葉によってその晩は勝手に妄想が膨らみ、山の上であと一杯の土が足りないと言って頭を抱える自分のイメージが何度も出て来て寝付かれず。
中国の古い言葉はなんとも凄みのあるものですね。


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ちょうど去年の今日。立川にて。




昨日は客が来て慌ただしかったので、今日はゆっくり起きる。
ちょっと風邪気味であるが今日が元旦のような感じがする。
静かな年頭である。
妻と二人で雑煮を食べる。
ここ一ヶ月ちかくドイツ行き以来、とにかく慌ただしく過ごしてきたので今日は久々にのんびり寝正月を決め込もうと思う。
今年はいつものように年末の28から31日にかけて年賀状書きという悪夢もなく(例年妻からその計画性のなさを責められつつ苦しんでいた)それだけでもありがたいことであったと思う。
周りには日本のお正月を指し示す記号は全くなく普通の日々と変わりないとはいえ、やはり年が変わるという事実は大きなものだ。
ページがめくられた音が響くようだ。
だらだらしながらも本能的なものかどうかはわからないが、これまでを思い、これからのことを考えてしまうものだ。
我が家ではいつも正月には家族4人でそれぞれ今年の抱負を述べることがしきたりになっている。
例えば去年の僕は「さらに日々努力して禁煙できるようにがんばりたい」だの「さらに日々気を付けて酒量を適切な値に持って行く様努力したい」とかそういう抱負である。(苦笑しながらそれを聞いている長男の顔が浮かんで来る。年頭の抱負で息子に苦笑されるのは我ながら情けないと思う)
今年は息子達は多分おじいちゃんの所で抱負を述べている事と思う。

さすがに今年はいつもと状況が異なるのでいつもとは違った新年である。
過去を思い返すにしても1年ではなくてここ20年位になるし、これからを考えるにしても10年程のスパンになってしまう。
もちろん抱負はここには書きませんけれど。

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あけましておめでとうございます。
新春のお慶び申し上げます。
私の今回の長旅でご迷惑をおかけした日本の方々、この旅を暖かく見守って下さっている皆様、またこの旅の途上で出会い、お世話になった全ての方々に深く感謝いたします。
また皆様におかれましては今年が昨年よりもさらに素晴らしい一年になりますよう祈念いたします。

元旦になりました。
今日はマイーダさんの妹イヴァさんに約束した寿司パーティーをすることになった。
実はもっと後の予定だったのだが彼らのスケジュールの関係上今日になってしまったのだ。
ご存知のように私たちは12月のドイツ行きから始まってここ最近忙しかったので、正直このパーティーが実現可能かどうかかなり危ぶまれた。昨日ザダールのマーケットに行ったのもその所為であった。

結局は妻のおかげで何とか元旦パーティーが実現した。
秋にドブロニクでイヴァさんに会った時、彼女には「リエカに帰省したら蕎麦パーティーをしようね」と言っていたにもかかわらず、彼らは何度訂正しても「今度のスッシィ(寿司)パーティーのことだけど...」というので(ソバだっちゅうのに)妻ともども訂正するのを諦めたのだった。彼らは「日本人=寿司=ごちそう」という強力な思い込みがあるようだ。彼らに日本では寿司はプロが握るもので家庭では寿司は作らないのだと説明しても全く理解してもらえない。
勝手に寿司(スッシィ)と言ってにこにこ、目を輝かせる始末なのだ。
結局、今回も彼らは本当の寿司を食った事がないんだから、まあいいかという結論に達したのだ。
さすがに12月のドイツ旅行での仕入れが効いて今回は夏の寿司パーティーよりもかなり良く出来たと思う。ザダールで買ったまぐろといかがまあまあだったので一安心。蕎麦は藤田さんが秋に持って来て下さった「深大寺蕎麦」である。
とにもかくにも、年初め身内を褒めて恐縮だが、妻のがんばりに感謝するところから今年はスタートとなった。

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イヴァさんは蕎麦が気に入ったようでそばつゆの作り方を聞いていた。

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大家のイェルコ・ユーリッチさんはクリスマス以降の食べ過ぎで元旦早々ダウンし、残念ながら欠席であった。
ザダールで大晦日の朝を迎える。
宿は旧市街の中にあるので主要な場所は歩いて見てまわれる範囲にある。町の中心はローマ時代に作られた広場(フォーラム)で2100年前のものである。海がとびきり美しいこの場所を古代のローマ人が見逃すはずはないなあと思う。(前にも書いたがここの海は映画監督のヒッチコックや劇作家バーナード・ショーなどが礼賛していたことでも知られる)
そのローマ時代の大理石を使って作った聖ドナド教会を始め、聖マリア教会・修道院、聖ストシャ大聖堂、フランシスコ会修道院などを見る。ミランさんが歩きながら簡単に説明を加えてくれた。ここザダールは昔から位置的に要衝の地であったため、2100年の間、破壊と再興が何度も繰り返された町だということがわかる。
最後に再び海岸のシーオルガンへ。ここでミランさんが作ってくれたサンドウィッチを皆で食べる。
明日はお正月なのだが食料の買い置きに不安を持つ私たちのため、ザダールのマーケットに行き買い出しをする。日本と違い年末の大賑わいといった感じではない。
帰りは行きとは異なり途中まで高速道路を使いリエカまで送っていただく。外気はマイナス5度。
夕方、家に戻ると前回書いた、N本先生が送り直して下さった荷物が無事届いていた。また秋にここリエカに来て頂いた藤田さんからの郵便も届いていた。
N本先生にはミランさんに見せる為に無理をして送って頂いたので、長旅で疲れているであろう、ミランさん、アキコさんであったが、結局は引き止めて映像をしばしの間見てもらい話をすることになった。
その後トレンツさん一家はザグレブに戻った。お疲れさまでした。
2008年の最後をミランさん、アキコさんたちとザダール行きで締めくくる事ができて、本当に良かったと思う。

日本では改めて考えることはなかったことだが、ここクロアチアにいると日本の年末の風習は本当に良いものだなあと思う。
夜は「紅白」も「ゆく年来る年」もない静かな大晦日を過ごす事になった。お酒をちびちび飲みながら藤田さんが送って下さった本を読む。「浅見潚随筆集 新編燈火頬杖」である。まずは巻末に付された藤田さんの書かれた解説を先に読み、それから本文に入る。とにかく日本語に飢えているので活字がまぶしい。コンピュータ上の文字ではどうしようもないものがあるのだ。(この本はウェッジ文庫から出ています。浅見潚の名前はあまり知られていないが、文学に興味のある皆さんにお勧めです!)
夜騒々しいなと思ったらあちこちで花火と爆竹の音が一斉に鳴り出し1時間ほど続いた。それで「今」年越しなのだと気づく。早くに寝ていた妻もその音で起きてきた。正直こんなうるさい正月の迎え方はあんまり乙じゃないなあと思った。やっぱり日本の除夜の鐘のほうがずっと良いと思いながら寒いベランダで花火を眺めこの一年を思う。
翌日マイーダさんは「昨日うるさかったでしょう」と聞かれたので「うん」と言ったら花火や爆竹を鳴らすようになったのはここ10年のことで、◆国から粗悪な花火が入って来てからにわかに流行しているのだと。どこかのまねをしたカウントダウンなんて「最低でしょう」と眉を潜めていた。

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以下聖ドナド教会。

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異国の地で小さな子が上手な日本語をしゃべっているのを聞くと心がなごみます。彼女は日本語、クロアチア語に加えて英語の三か国語を何の苦もなく使い分けます。

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聖マリア教会・修道院

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聖ストシャ大聖堂

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フランシスコ会修道院の回廊

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朝のシーオルガン。ここは階段がハーモニカのようになっていて波の動きがパイプオルガンのように空気を動かして最上段横にある四角い穴から音が出る仕組みである。

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空気が出入りする穴と思われる。

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高速道路が走る山岳地帯は雪である。

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