この日はとてもハードな一日。旅前にえびりんからのアドヴァイスにもここアフロディスィアスに行くのはとても難しいと聞いていた。パムッッカレからも100キロ以上あり、公共交通機関がない。レンタカーで普通は行く所だ。昨日移動した先の宿で相談した所、27日の朝になって我々以外にもアフロディスィアス行きの希望者があったためタクシーをシェアして行く事が可能になった。車をかなり飛ばして一時間半かかった。
ここは保存状態も良く、都市全体が残され競技場、神殿、オデオン、劇場、アゴラが点在している。アフロディスィアス博物館にはこの遺跡で発掘された彫刻や有史以前の装飾品も展示されている。苦労して来たかいがあった。アフロディスィアスからの帰還後、遅い昼食をとり宿からすぐのパムッカレ・エリアへ。ここは観光地として有名なので説明の必要はないかもしれない。丘が流れる温泉によって石灰棚で出来ており実際とても美しい。私たちの行った時刻は太陽がまだギラギラする3時頃であった。
ここを登ると丘全体にはヒエラポリスという紀元前2世紀の大都市の遺跡が広がっている。博物館もふくめここを炎天下のなか3時間程歩く。実際日陰になるような場所も無い。遠くには山脈が見え広大な空間のなかにある都市風景は圧巻である。この日は途中でカメラの容量が一杯になり写真が撮れなくなった。急遽妻のカメラで撮影したためここには掲載できないが8時の夕暮れまで丘で待ち、夕日と残照の中の石灰棚を撮影した。8時を過ぎると急激に涼しくなる。
この日宿で出会った韓国人のご夫婦は偶然私たちと同じように大学の海外研修で1年ヨーロッパを旅している人であった。コンピュータサイエンスが専門とのこと。シェンゲン協定の避け方も同じなら、せっかくの1年を外国の大学で過ごすなどまっぴらだという点も、子供の数や年齢もほぼ同じで意気投合する。ただ私と異なるのは彼らは車で全部移動しているとの事。とても冒険的ですねというと、フランスのプジョー社のキャンペーンで安く車をレンタルできたとのことだ。そういう手があったのか。

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アフロディスィアス遺跡

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アフロディスィアス博物館

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博物館外観

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石灰棚

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ヒエラポリス復元図。下の白い部分が石灰棚。

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3200年程昔の貨幣!

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ローマンバスを使用したヒエラポリス博物館

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ここで電池切れ。
ロドスからマルマリスへフェリーで戻る。マルマリスからバスでパムッカレへは5時間程。
パムッカレでは村のペンション同士の客引きにおける仁義なき戦いに巻き込まれ、一泊ずつ宿を変えることになる。(細かい話は省略するが)日本語に堪能なトルコ人も絶対信用してはならないという見本だった。この間日本人女性が妻だと称する男に3人あったが本当にそうだったのは一人だけだった。またここに滞在中には、世界一周旅行をしている人たち(一人旅やカップルなど)に何組か出会って話をする機会があった。皆さんとてもタフでそれを見ていると多分私たちが旅に対してナイーブなんだろうと思う。

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フェリー船上にて。

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パムッカレ

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ロドス考古学博物館

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この博物館はヨハネ騎士団のかつての病院として使われた建物だった。

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パレス・オブ・グランドマスター(騎士団長の館)

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我らの聖母教会

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ロドスは紀元前12世紀頃から人が住み始めカミロス、イアリソス、リンドスの三つの古代都市で有名である。現在はリンドスが町も残り、遺跡も保存が良い。ロドスは海のシルクロードの中に位置している。ローマ帝国、東ローマ帝国、サラセン、ベネチアとその支配者は歴史の中でめまぐるしく変わっている。この島を有名にしているのは島の先端(約900メートル四方の旧市街)が城壁で覆われているところだ。現在でも城壁はしっかり残っている。これは聖ヨハネ騎士団が200年にわたりビザンチン帝国の崩壊後、イスラムに対するキリスト教の前線基地とするためこの島を支配し、築いたものだ。このあたりは塩野七生さんの小説「ロードス島攻防記」に描かれている。攻撃をしたのはトルコのスレイマン一世でこの戦いでは大砲が本格的に使用されている。今でも城壁のあちこちに丸い石が転がっているが大砲の弾である。

400年近いトルコ支配の後、イタリア、ドイツが占領しギリシアに帰属できたのは第二次大戦後である。


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リンドスの町と丘


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遺跡から町を見下ろす


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スミス山(ロドスの町近く)の古代スタジアム


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古代劇場


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アポロン神殿


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城壁に戻る

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24日と25日はお祭りらしく城壁のあちこちでイヴェントが行われていた。


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大道芸の人々。昔、芸祭に来てもらったことのある黒色テントとそっくりのパフォーマンスだった。

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マルマリス湾

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まるで前田大作のような写真だ

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翌日フェリーでギリシアのロドス島に渡る為この日にはマルマリスに到着しておかねばならなかった。パタラからは結局7時間ほどかかった。この移動でも不思議な事があった。途中フェティエという町でバスを乗り換え、4時間ほどかけてマルマリスに向かうのだがバスセンターのおじさんが「あんたらどこに行くの?」(僕はトルコ語はメルハバしか知らないのだけど簡単な質問ならなんとなく分かるのだ)と聞くので「ロドスに行きます」と答えた。するとそのおじさんは動き始めたバスまで追いかけて来てマルマリスに着いたらここにいけとペンションのカードを渡すのだ。すると今回も案の定、マルマリスのバスセンターにアル・ゴアを若くしたようなお兄ちゃんがいて、自分のペンションに連れていくのだ。

でここから先を書くと長い話になるので、結論から言うと夕方の5時を過ぎていたにもかかわらず、翌日のフェリーのチケットも無事手に入り、嘘のようにうまくことは運んだのだ。しかし、私たちにしてみればバスセンターのおじさんやペンションの兄さんやフェリーの切符を用意してくれたおじさん達がどのような意図で、結びついているか理解できず、とても不安でもあり、不思議でもあったのだ。トルコはコネ社会なのだろうか?その日はその宿に泊まっていたトルコのサラリーマンのおじさん達と色々話をした。

クサントス、レトゥーンは二つで世界遺産になっている。そのあと私たちの滞在しているパタラの遺跡にも行ったが、パタラの遺跡は想像していたよりもずっと良い。クサントス、レトゥーンよりも良いのではないかと思った。皆それぞれスケールのでかい遺跡群であった。リキア文明、リキア文字については大変興味深いものがある。リエカに戻って改めて調べ直したいと思っている。


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パタラのメインストリート


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以下クサントスの遺跡

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以下レトゥーンの遺跡

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以下パタラの遺跡

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アンタルヤから2時間ほどかけてカシュに移動する。

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カシュの町

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岩窟墓(リキア時代)


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リキア文字


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古代劇場。向こうには紺碧の地中海。ほとんど人は来ない。


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幸運なことにペルゲ、アスペンドス、スィデの三カ所に行くツアーを見つけた。自分たちの足だけならば一つがせいぜいの距離である。その分かなりハードに動き回ったせいで体中が軋むように痛くなった。

ペルゲは紀元前数世紀以上前からの町である。町全体がそのまま残っている。

アスペンドスは紀元前10世紀からの町である。円形劇場は小アジア最大の規模であり、世界で最も保存状態が良いらしい。


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この辺りには滝が沢山あるそうだ。


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スィデ。ここに来た理由はこの町の名前がsideだからである

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夜行バスは絶対に避けようと思い、カッパドキア(カイセリ)-アンタルヤの航空便を探したがみつからず、また日中に行きつけそうなバス便もないためやむを得ずの強行軍になった。思った通り眠れなかった。これまでの中部アナトリアは春の季節であったが地中海沿岸のアンタルヤは既に夏であった。宿で眠っては却って調子を崩すと思い、真夏の日差しの中アンタルヤ考古学博物館へ。ここには後に行くペルゲ遺跡でみつかった彫刻が多く展示されている。イスラム美術も含めて収蔵品はかなりある。彫刻は2世紀のローマが中心でそれほどでもない。途中意識が朦朧としてきたので人気のない視聴覚室のようなところを探し出し、2人とも30分程仮眠をとる。博物館で仮眠をとったのは始めてである。


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ハドリアヌス門

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