朝7時にミュンヘン中央駅でおかちんと待ち合わせ、7時26分発のベオグラード行きの列車に乗る。オーストリアの山岳地帯を縦断し13時半ころスロベニアの首都リュブリャナに到着。ここでリエカ行きに乗り換える。乗り換え時間が1時間弱あったのでおかちんは駅から少し離れている町の中心部を見学に行く。首都とはいえあまりの小ささに驚いていた。その後2時間半でやっとリエカに到着。駅の近くのスーパーでとりあえずの食料などを購入しタクシーで我が家へ。夕刻無事到着。
私たちのギリシア、ウイーン、プラハ、ドイツ東部を巡る34日間のハードな旅が一応終わる。
いや後半は本当に疲れました。


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ミュンヘンも暑かったがこの日も相当暑い一日であった。一応急行電車のはずだが冷房はなく、西日にうだるおかちん。

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アルテ・ピナコテーク、モダン・ピナコテークは同じ場所にある美術館である。
アルテでは18世紀までのヨーロッパ絵画が展示されている。デューラー、レオナルド、ボッティッチェルリ、ブリューゲル等など。ここは名作揃いである。しかし閉じられていた部屋が何室かあり、クラーナハ、ホルバイン、グリューネバルトはどうもそちらの部屋にあるらしく見れなかった。グリューネバルトを見損なったのは残念である。
モダン・ピナコテークで特筆すべきは一つのミュージアムの中に現代美術、建築、デザイン、写真、映像を統合的に展示していることだろう。日本にそのような美術館があるだろうか?
今回は建築はアアルトの展示をやっていたがそれはイマイチだった。

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以下アルテ・ピナコテーク

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以下モダン・ピナコテーク

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かなり究極的な透明のエレベーター

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もし、世界で最も好きなテーブルはどれか?と問われれば(そんなこと聞く人はいないかもしれないが)迷う事なく僕はこれです。リートフェルト。使いにくそうだがそんなことは関係ないのだ。

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イサム・ノグチの椅子。

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アアルト展。

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さすがメルツェデスの国だけに...。

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かつてこの人がムサビに講義で来る、来ないで大騒ぎになったものだ。約20年程前か。

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アルンツの友人、ヤンケル・アードラーのタブローが展示されていた。

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ジョージ・グロッスのこのような絵もめずらしい。

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同じくアルンツと関係のあったノイエザッハリカイトの中心人物、オットー・ディックス

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ドナルド・ジャドの部屋

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ウオーホルのレーニン

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レジエ

ついに昨晩今回の旅の最終地点、ミュンヘンに到着。この小旅行がスタートしてもう一ヶ月が過ぎるのだ。僕も同行している妻もかなり疲労していてボロボロである。無事にここまで来たので気が緩みそうになるがお互い励まし合いつつ旅を続けている。そういえばミュンヘンは暑い。

朝、街の中心部を通ってトラムでドイツ博物館へ。昨日に続きここも最高の博物館の一つだった。視デの学生達に見せてあげたいと思った。課外旅行で来れるとよいのだが。しかし中身について詳述しだすときりがないので省略します。ただ言える事はここは僕が知りたかった多くの事があったということだ。僕の大きな目的は大雑把に言って世界を人間はどのように記述(視覚化)してきたかということにつきる。もちろん美術、あるいは美意識も重要なファクターだがそれだけではあまりにも狭い。ひとつには記号論を軸とした視覚言語があるがそれはここでは置いておくとして、もう一つ、カオティックな世界を記述する為のテクノロジーと自然科学と視覚(変換)化の関係であった。この博物館にはそれらの歴史がほとんど現物と一緒に丁寧に展示されている。東京にこの博物館を持ってきたいくらいだ。

もうひとつの印象。この博物館全体がディドロとダランベールの百科全書をそのまま博物館化したような場所であった。

写真で何とか感じてもらえたらと思う。

本当はもう一つ別の美術館に行く予定だったがここ一つで一日を使い果たしてしまった。実際丁寧に見だせば一日どころか数日はかかる場所であった。

夜はかねてからの予定通り卒業生で僕と同じwriting space travelersであるゴンちゃん、フジナミさん、オカチンとミュンヘン駅前で待ち合わせし、ビアホールの本場でビールとソーセージの夜となった。


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新市庁舎


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ドイツ博物館正面


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ドイツ博物館の庭にはこのようなアトラクションが。


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屋上。プラネタリウム横。サンダイヤルの歴史が徹底的に見れる。


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ここにも螺旋階段とプリズム装置。


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ストーンヘンジの仕組み図解模型。向こうにあるのが太陽。


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地図を作り出す道具について


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計算をする道具について


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ファクシミリの原型


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テレコミュニケーション関係図。


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博物館を出ると街はミュンヘン850といって何かのお祭りだったが突然の雨。


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左はゴンちゃん(谷田幸さん)僕と同じ大学の短期海外研修で1ヶ月弱ドイツを旅することに。視覚伝達の助手である。昨日フジナミと一緒に飛行機で着いたばかり。明日はベルリンに移動しその後印刷三昧の旅をする予定。今日は僕らと遭遇できるぎりぎりのタイミングであった。右はおかちん(岡田憲明君)現在ニューヨーク大学の院生で夏休みのヨーロッパ旅行の最中である。彼はパリからここへやって来た。この後私のいるクロアチアに寄ってイタリアに渡る予定。



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フジナミ(藤波洋子さん)現在某デザイナー事務所に勤務。ゴンちゃんと一緒にベルリンに向かう予定。さすがに社会人は厳しく仕事が待っているので一週間で東京に戻らねばならない。もったいないけどしょうがない。


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3人とも同期で6年前の卒業生である。こうやって呑んでるとミュンヘンも東京も変わりませんなあ。皆それぞれの目的を持ったwriting space travelerのmeetingである。



この日は夕方ニュルベルクからミュンヘンに移動する予定である。

昼間は博物館(museum)三昧の一日となった。最初に訪れたのはDB博物館(ドイツ鉄道博物館)である。ここは偶然、宿泊した宿の隣にあった。初めての訪問である。子供が小さかった頃、とにかく鉄道や乗り物博物館と名前がつくものは日本では随分見たものだった。しかし僕はいわゆる鉄道ファンではないし、この博物館に関する予備知識も全くなく「まあ、時間があるから行ってみるか。近いし。」ぐらいの気持ちであった。しかし行ってみて実際驚かされるはめになった。まずその規模の大きさ、収集している物の多様さである。これまでにも何度か触れてきたが物の収集、整理、復元、模型に対するドイツ人の執念は生半可なものではないが、ここではそれが徹底的に実行されていて凄みがある。さらに私を驚かせたのはその展示デザインのレベルの高さであった。物そのものに加えて空間も照明もグラフィックも映像もインタラクションによるインストラクション(説明)も私がこれまでみてきたmuseumではベストであった。実際見ながら鳥肌がたった。こういう経験は僕の場合(こことは違った観点だが)パリの「自然史博物館」以外にはなかったことだ。(大英博物館もスペシャルな場所だが総合的な展示デザインという意味においてはそこまでいかない)そういえば旅行前に日本でも新しい鉄道博物館がオープンし人気だというニュースを聞いた事を思い出した。その関係者は恐らくここを視察したに違いないので今度帰国したら行って比べてみたいと思う。博物館にはその国の文化とデザインに対する見識のレベルがはっきり現れるので。

ここで感動したのはさらに二つある。博物館を作る上でのコンセプトについてなのだが、鉄道を社会の中のメディアだと位置づけ徹底している点にある。鉄道を紹介するためのその外部環境、例えば産業、通信、文化などの説明が鉄道と同等に徹底されている点である。つまりそのことによって単なる趣味の人やオタクのみが楽しめる場所を大きく超えているのだ。

さらにここを訪れる様々な年齢、子供はもちろんだがあらゆる関心層に対する目配りの繊細さである。

次に行ったのはゲルマン国立博物館である。ここは25年前に訪れその収集料の膨大さ分野の広さに驚いた所である。内容について書き出すときりがないので省略するがここも素晴らしい博物館であった。


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後で辞書で調べるとここは大きくは「運輸博物館ニュルンベルク」でありその中に「ドイツ鉄道博物館」と「コミュニケーション博物館 電話と通信」があるのだった。通信系が充実している理由がこれでわかった。しかし来場者からみると全く一つの博物館に見える。


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ドイツ最初期のタイムテーブル。


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輪切りの車両。見学者は装置を触りながら蒸気機関の仕組みがわかるようになっている。


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訪れた子供の為の遊具施設も0歳から小学生までかなり細かく分けられ十分なスペースが与えられていた。


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ワークショップスペース


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ここから通信の展示。歴代の全ての電話のタイプをその仕組みとともに見る事ができる。


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特別展は「エルビスインジャーマニー」唐突だが鉄道とからめた展示だった。


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以下、ゲルマン国立博物館。あまりにも膨大かつ多岐にわたるので画像は適当にピックアップした。


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この街は25年ぶりの再訪となる。大学院生の時、当時版画研究室の助手をされていた小沼さんにデューラーの「メランコリア」の銅版復刻を見せられて「これはニュルンベルクのデューラーハウスに行けば買う事ができるよ」と聞いたのがきっかけだった。それは精密で完璧な復刻だったので絶対欲しいと思いそれだけの為にニュルンベルクに来たものだった。
その時はただその絵に魅せられただけでデューラーがどのような人なのかもよくわからなかった。しかしその後視覚芸術を考える上でデューラーは僕にとって最も重要な人物の一人となったのだ。(「ネーデルランド旅日記」が翻訳されている)そのような意味で若い時の訳も分からず直感的にシビレル感覚というのは貴重だと思う。
またその時訪れたニュルンベルクの街もとても興味深いものであった。ここはナチスの党大会があったり、戦争中はドレスデンと同様にかなり徹底的に破壊された所で戦後はニュルンベルク裁判が行われた所である。東側に属したドレスデンと異なりこの街は戦後いち早く復興し以前の街並を取り戻したところだ。当時はそのことに感心しつつもかなり違和感を持った記憶がある。当時僕が坂口安吾の「日本文化私観」に強い影響を受けていた所為だと思うが何の迷いもなく過去を徹底的に取り戻そうとするドイツ人の気持ちがよく理解できなかったのだった。
その事に関してまた考えた事もあるが長くなるので省略。
ともあれニュルンベルクの街は地下街が出来ていたり、ショッピングセンターがあったりとかつてとはやはり変わってはいるが古い街並はそのままだった。ほとんど忘れていた記憶が歩きながら蘇ってくるのは面白い経験だった。

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ペグニッツ川


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フラウエン教会


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以下フェンボーハウス(市立博物館)。ここにはニュルンベルク市の歴史が展示されている。


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1900年代の歴史も写真でたどる事ができる。


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模型好きのドイツ人の例に漏れずここにも大量の復元模型があったが、これは戦後すぐの破壊された町の復元模型。


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カイザーブルク(城)から見た街並


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カイザーブルク(城)


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城内の建物


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デューラーハウスの前で


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以下デューラーハウス(博物館)。


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おそらく営業用に制作したステンドグラス。あの有名な自画像(ツェッペリンのジミーペイジ似の)も肖像画の営業のために制作したものらしい。


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デューラーハウスの後、おもちゃ博物館を訪ねる。ここもかつて訪ねたところ。おもちゃ博物館といって馬鹿にできない。何でも徹底的に集め分類し見せる事の好きなドイツ人だから相当なレベルの展示である。写真不可なので館内のイメージはなくこれらは建物外の中庭。


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おもちゃ博物館正面。


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同中庭。


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ブリューゲルの絵にある遊びの分析。


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ペグニッツ川


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デューラーの「黙示録」復刻版


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この日は午後遅くワイマールからニュールンベルクに移動する日である。
まず「城」という名の美術館に行く。ここはワイマール公の城でゲーテはここで働いていたのだ。城というにはそぐわない建築物の印象である。ここにはご当地のクラナッハが沢山あったが撮影不可なのでイメージはない。
次も撮影不可であるがゲーテ国立博物館に行った。横がゲーテの家である。ゲーテに関する資料がかなりあるので研究者や好きな人にはたまらないところだろう。しかし私はドイツ語が全くわからないので猫に小判のような感じであった。また期待していた色彩論がらみの資料は思ったよりも少なくちょっとがっかりした。ただ写真のように建物の螺旋階段上の天窓の光を一階のレンズで受けてプリズムに反射させている仕掛けがゲーテの色彩論をしのばせる。まあこれはニュートンの有名な実験でゲーテはニュートンの色彩論に激しく対立したので何故あえてここでこの装置を設置したかは不明であるが。
その後バウハウス大学のライブラリーがあったので少しのぞかせてもらった。この大学は町中に他にも何カ所かライブラリーを持っているようだ。

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城美術館

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中庭

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ここからゲーテ国立博物館。

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またもや螺旋階段に遭遇。今回はギリシアでの遺跡も含めてやたらと階段に縁があるような気がする。私は階段がなぜか好きなので(上り下りじゃなくて視覚的に。階段フェチ?)うれしいが。

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バウハウス大学ライブラリー

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ワイマールに来た大きな理由を改めて考えてみると昔フォトモンタージュやデザインの歴史を調べていた時、ドイツのこの街がとても重要である印象を持ったからだ。第一次大戦から第二次大戦の間いわゆる黄金の30年代、ドイツにおいてベルリンと並んで最も重要な都市の一つだったのだ。かの有名なワイマール憲法もここで発布されたものだ。またここはゲーテが長く住み仕事をした場所としても知られている。実際来てみると驚く程こじんまりした街なのである。人口は5万人である。ドレスデンやライプツィヒの十分の一である。しかしバスに少し乗っているだけで街にはゲーテ広場、シラー通り、ショーペンハウアー通り、グロピウス通り、フンボルト通りetcと僕らが良く知っている名前がつけられた通りがいくつも存在し、ここがドイツ人の文化的故郷でもあることが否応なく感じられる。またドイツルネサンス最大の画家クラナッハはここを拠点に活動したし(画家であると同時に薬局も経営し市議会議員でもあった)またいうまでもなくバウハウスが最初に誕生した場所でもある。



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国民劇場広場。ゲーテの「ファウスト」が初演されリスト、シューマン、ワーグナーらが活躍した劇場であり、ここで1919年にワイマール憲法は採択されている。劇場の中までは入らなかったが印象はとても質素というかこじんまりしたものである。


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劇場前のゲーテとシラーの像。シラーは歌劇「ウイリアム・テル」の作者だそうだが私は全く読んだ事がない。ゲーテが彼をこの街に招き死ぬまでの5年間この街ですごしたらしい。

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国民劇場の向かいにあるワイマール・バウハウス博物館。

バウハウスは1919年にワイマールで発足した。その後1924-5年に市と対立し(社会民主党が与党から野党に転落したのをきっかけに)デッサウに移転している。いわばここでは初期のバウハウスを見る事ができる。その後ここは別の保守的な工芸学校となり、東西ドイツ統合後はバウハウス大学となっている。この間の様々な政治的、造形的理念の対立などの変遷はここでは詳述できないが、とにかく複雑な印象を持った。少なくとも今更バウハウス大学とネーミングする感覚が理解できない。僕の勉強不足かもしれずこの間の事情は分からないが、経歴詐称じゃないがうさんくさい感じがする。


しかしなによりもここで想像を超えて良かったのはヨハネス・イッテンであった。表現主義的で機能主義バウハウスに反するとしてグラフィックのファイニンガーとともに追放(?)された人としてまた色彩学の権威として知られる人だが、今回見る事のできた彼のドゥローイングが凄かった。(撮影は不許可だし図録にも掲載されてないので画像はありません)これは後で日本でじっくり検討するつもりである。ドゥローイングとタイポグラフィの合体したデッサンは本当にただものではないと感じた。多分バウハウスで続かなかったのは、造形上の主義の違いというより人間関係なんだろうなあとも思いました。イッテンはとにかく「あく」が強いというか、天才型で協調性には欠けていたのだろう。絵からはそのような印象を受ける。しかし滅茶苦茶鋭い。


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イッテンによる色彩のオブジェ


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イッテンのドゥローイング


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バイヤーのユニバーサル


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工芸はビーダーマイヤー、分離派の伝統をしっかり受け継いでいる事がわかる。


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クレー

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クラナッハが活動した市教会。


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クラナッハによる祭壇画。クラナッハの最高傑作だと思う。


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ヴァン・デ・ヴェルデの館を訪ねるも残念ながら修復中であった。


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ヴァン・デ・ヴェルデの館の向かいにバウハウス当時の校舎(現在はバウハウス大学)がある。ヴァン・デ・ヴェルデの設計である。


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正面


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裏側

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一階エントランス

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左右にヴァン・デ・ヴェルデとグロピウスの肖像。

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学生の作品。多分建築科の基礎授業だと思うが、律儀に初期バウハウス(あるいはロシアアヴァンギャルドのシュプレマティズム)に似てる所がかわいいというべきか、古くさいというべきか。どうも微妙。


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アトリエ

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ヴァン・デ・ヴェルデ記念室のようなところ


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教室階段


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正面吹き抜けの階段。


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バウハウス校の道をはさんでリストの家。

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街に貼られていたヴァン・デ・ヴェルデのポスター


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シラーの家。

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宿からワイマールの街を望む。

今日はライプツィヒからワイマールへ移動する日である。日曜日の朝、街はとても静かである。一旦駅でワイマール行き切符の手配をしたあとライプツィヒの街を散策する。

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ライプツィヒ駅舎。ヨーロッパで最大級だそうな。

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昨日外観だけ見たニコライ教会に入ってみる。東西ドイツの壁が崩れたのはここでの集会がきっかけであったと言われているのでとても気になっていたのだ。日曜朝の礼拝の最中であったが入れてもらえる事ができた。もともとは11世紀に建てられた教会らしいがご覧のように内部の装飾は大変変わっている。かなり大きく音響も良く荘厳な雰囲気がある。

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ここは造形博物館。とても巨大である。作品はクラナッハなどの古典とベックリンなど近現代のものもある。まずは建築がひどいと感じた。まず様々な細部のスケール、など人にやさしくない。建築家は新しいと思い自己満足しているのかもしれないが現代建築のひどい見本のような建物だ。こんなにいやな印象をもつのもめずらしい。なので当然のようにこんな所には悲しいかな美のミューズは降りてこないのだ。
キュレーターが建築家に輪をかけたように最悪で、例えば15世紀の作品が並んでいる中に突然現代の作品を挿入したりする。「同じ静物画という主題で現代と比べたらどうでしょう」という意図かどうかは知らないが常設展でこんなバカなことをやるなんて信じられない。美術館の巨大な空間がひたすら空しい。また監視員がひどい。ちゃんと写真許可のお金をはらい、カードをぶらさげているにもかかわらず、いちいち近くに寄って来てにらむのだ。何か文句あるの?と笑いかけると(この旅で微笑みながらけんかを売る事を覚えた)どっかに行ってしまうのだがまた別のがやって来る。ドイツの女性のある典型について言いたい事があるが問題を起こしそうなのでここには記しませんが。とにかくここはお勧めしない。やなものを見ると身体によくない。一個一個の作品に罪はないのだけれど。

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こんな空間、どこか(ムサビ?)で見た事があるような。今の流行なんでしょうか。

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ベックリンの有名なこの絵はここにあったのですね。

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めずらしく、わりと好きなセガンティーニが二点あった。

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次ぎに行ったのは前日行ったバッハの本拠地であったトーマス教会向かいのバッハ博物館。本館は現在改築中で入れず、横にある臨時の会場で譜面などが見れた。ここの受付の女性はとても感じが良い人だった。バッハの直筆が写真に撮りたかったので写真を撮っても良いですか?と聞くと笑いながら見猿の真似をして私は外にいるからといって、トーマス教会の前でバッハを演奏している旅芸人のところに行ってしまったのだ。帰りがけにもちろんダンケシェーンと言いました。言葉はうまく話せなくても温かな気持ちは通じる。横で見ていた妻が「本当はだめだったのね。でもやることが憎いわね」と言っていた。たまーにこういう感じの女性もいるのだ。ドイツ女性は大きく二つのタイプに分かれるようだ。(すいません。勝手な感想です)

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街の至る所にバッハ関連のポスターが。

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メードラーパッサージュというショッピングアーケード。16世紀からの酒場で学生時代のゲーテや森鴎外も通ったらしい。地下まで降りて入るかどうか迷ったが電車の時刻が迫って来たので断念。

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ここの地下。左がファウストとメフィストテレスの像。

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その後電車で1時間半、ワイマールに到着。マルクト広場、クラナッハの家の前にて。

このブログを見ている人からは今回の私の旅は、ウイーンではオットー・ワグナー、ヨーゼフ・ホフマン、プラハではチェコ・キュビズムにアール・ヌーボー、そしてビーダーマイヤー、ライプチヒでは印刷博物館とまるで計画したように近代デザイン史をたどる旅をしているように見えるかもしれない。それに今日行くバウハウスを加えればあまりにも出来過ぎとも言えるだろう。しかし実際の私の気持ちというか意図は意外かもしれないがそうではない。ビーダーマイヤーもキュビズムも印刷博物館もたまたま来てみたらそこにあって、ただ私が反応しているというに過ぎない。


そういえば話はちょっとそれるが以前ウイーンで書き忘れていた事がある。それはウイーンにオットー・ノイラートの博物館がないことの理不尽さについてである。この事実だけみてもウイーンの人間がノイラートの凄さと重要性を未だに理解していないことを示している。自国が生んだ20世紀デザインにおける最も重要な人間を忘却するなんて。ノイラート以前だけでも充分観光資源としては成り立つからだろうか。そもそも、最も敏感であるべき美術館のディレクターがそのことを理解していないから、だからデザインミュージアムもだめなのだなと改めて思った次第。


話を戻すと今回旅をしながら今更バウハウス詣でもないのではないかという気持ちがどうも心の中に居心地悪くあったのだ。

かつて25年前(私は26才だったが)はこのデッサウに来たくても簡単には来れなかった。だから当時はバウハウスといえば西ベルリンにあったバウハウスアッシブに行くしかなく、それはそれで感動したことを覚えている。25年前にはライプツィヒにしてもドレスデンにしても(旧東側)自由に旅が出来るなんて思いもよらなかったのだ。その時はベルリンの壁もアメリカとソビエトの対立もずっと続くだろうと思えたのだ。この間の25年は大きい。同様に私の中でバウハウスに対する考え方も大きく変わったのだと思う。少なくとも単純な礼賛ではなくなっている。

ともあれ今回、迷った末一人でデッサウのバウハウスに行って来た。電車で約1時間。校舎も、教員の宿舎も1997年ころの大修復によって完全に元の状態に復元されていた。(これはさすがにドイツ人、相当大変であったことが想像されるが立派な修復である。モダニズムの修復だから簡単だと思うのは素人なのだ)

この間考えたことを書くと長くなるし、この旅の途上では何か語る心境にはならない。

現在の簡単な印象だけいえばとにかく行って良かったなと思いました。

修復されたことでディテールが見れたこと、ディテールのなかに言葉ではなくて深く感じるものがあったことなど。

また、ここはグロピウスたちが作ったひとつのユートピアであったが、短期間のうちにハンネスマイヤーに学長は代わり、ナチスの圧力で閉鎖されている。

1924年の夏ここにリシツキーが来、マイヤーの招聘でノイラートもここで講義をしたのだと思いながら一日を過ごした。とても暑い日だったが真空のような一日だった。


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デッサウ駅前


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あのバルコニー


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大修復の模様を展示していた。


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マルセル・ブロイヤーの椅子が素晴らしい。


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正面が小舞台で奥が食堂


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アトリエの一部


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外灯


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展覧会場(写真は撮れず)


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半地下のカフェ


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グロピウス通りを通ってマイスターハウスへ。


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以下マイスターハウス


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トーマス教会にあるバッハの墓

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ニコラス教会


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バウハウスから戻り夕刻、ライプチヒの街を散策。

最後に本屋でここゆかりのレクラム文庫を一冊記念に購入。チャンドラーの「大いなる眠り」と迷った末ポール・オースターの「ムーン・パレス」に。英語版でドイツ語の注釈付きである。7.2ユーロ。


午前中ドレスデンを出てライプツィヒまで移動。特急で1時間10分。ドレスデンの人口は約50万人、ライプツィヒも同様でドイツでは大都市である。(しかしドレスデンとライプツィヒからは全く異なる印象を受ける。多分理由はあるのだろうが私には分からない)

今回ライプツィヒに来た理由はかなり曖昧である。まずここが歴史的に印刷が盛んな都市であり、岩波文庫がお手本にしたレクラムという有名な出版社がある事、バウハウスのデッサウに近いことなどいくつかあった。しかし初めてなのでとにかく来てみなければわからない。

ドレスデンのように来てはみたものの何となくしっくりしない街もある。さてライプツィヒはどうなるだろうか。

宿は駅の側でまず荷物を置いてインフォメーションセンターに行く。ここでは造形博物館という大きい美術館があるがそこには行かずに、ガイドブックにはなかったけれどもインフォメーションの人に印刷博物館はないのかとまず聞いてみた。

そしたらちゃんとありました。トラムに乗って20分くらいのところ。詳しい説明なしで写真を見て下さい。だいたいどんな所かわかると思います。ここは保存されている印刷機等すべてのマシーンが稼働するように整備されていた。そして技術者が何人かいてなんでも親切に答えてくれる。目の前で実演してくれる。僕らがいる間も美術大学の学生らしい人が何人も来て技術者に相談していた。まあ、僕にとってはディズニーランド(?)のようなところでした。


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ドレスデン駅


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電車はガラガラで一両独占状態。


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以下、印刷博物館


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このリト版はどのように製版したのだろうか。


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木活字


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大判リトグラフ印刷機


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インク撹拌器


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昔の活字鋳造機


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楽しそうに実演をするおばさん


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モノタイプ自動活字鋳造機の説明。

僕があまりにもおもしろがるし、「ライノタイプがどうのこうの」と独り言を言っていたらあんたはプロフェッショナルかと聞くのでいや違うと答えるとこのおばさんがわざわざ別のおじさんを連れて来てライノタイプの実演をしてくれた。


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ライノタイプ自動活字鋳造機の実演


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博物館中庭にて


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