昨日も書いたが、アクロティリ遺跡を見れない事に失望しつつ今日は移動の日である。夕方次の島クレタ島に渡るまで博物館に行くことにした。最初はフィラ考古学博物館である。ここは入り口に紀元前17世紀の大壷があると聞いていた。ちゃんとありました。博物館の多くは撮影自由なので(フラッシュさえ焚かなければ)調子良く撮っていたら壁に「撮影禁止」の張り紙。なので中途半端なものになりました。

そして問題の次の博物館、新先史期博物館へ。これまでのギリシアでの博物館は全体的に規模も小さく(島にあるせいか)見せ方も適当な感じでどうもイマイチな感じがしていたのだが、ここでは良い意味で大きく裏切られた。予備知識もなかったせいだが、ここは新しい博物館で私たちの行けなかったアクロティリからの出土品がメインの博物館だったのである!

全てが今から3700年から4000年前のものなのである!。

写真をご覧になっていただければわかるが保存状態は極めて良い。50年前のものと言われたって信じるだろう。焼き物類を見ながら「ウオーツ。光悦!」とか「宗達!」とか「光琳!」とか「岡本太郎!」とか口走りながら見ました。

凄いです。

そして壁画。驚くべき新しさ(変な形容ですが)というか何と言うか。

圧倒されました。細かい話はあるけど書けない。

そういえばこの日のサントリーニの気温は39度でした。


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フィラ考古学博物館


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例の大壺


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ここは主にティラ遺跡出土なので紀元前9世紀以降のものが主であった。


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レリーフのディテールを見ると西アジア(ヒッタイトなど)の影響が強いように見える。

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新先史期博物館入り口。

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しつこいようですが以下全て3700年以上前のものなのです。トルコ、アンカラのアナトリア文明博物館で受けた衝撃(0513)と似たものがあります。規模はアンカラの方がはるかに大きいのですが。

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テーブルの脚!。

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串置き?

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青銅ののこぎり

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このエロティックな絵はThe Wall Painting of the Ladiesというそっけないタイトルがつけられたものですが、後に掲示するブルーモンキーも含めて初めて見るという人が多いのではないでしょうか。ローマのフレスコにも驚きましたがあれよりも千数百年以上前ですよ。僕はにわかには信じられません。

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壁画。ブルーモンキー

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アクロティリ遺跡の模型の部分。この博物館は収蔵品もさることながら展示の模型、グラフィック等とても良くできていた。

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港でクレタ行きのフェリーを待つ。前回同様しっかり1時間遅れで到着。クレタ到着は9時となった。

この島の名前サントリーニは何故か分からないが近代になって名付けられたもので昔はティラ島と言っていたという(thera寺)。この島への第一の目的は昨日記したように紀元前1500年、つまり3500年以上前の大噴火で埋もれ、再発見されたアクロティリ遺跡を見る事であった。(この間の事情はポンペイと同様だが何しろ火山灰によって保存されたものの年代が桁違いである)ここはつまり4000~3500年前のギリシア文明が封印されているところなのだ。しかしこの遺跡は2~3年程前からクローズドになっている、今回行っても見れないかもしれないよとは聞いていた。あらためて今回現地で確認したのだがやっぱり開いていなかった。アクシデントがあったからという説明だが詳しい事は分からなかった。残念ながらここは断念することに。今後行く予定のアテネの考古学博物館にめぼしいものは展示されているそうなのでそちらを期待することにした。

もう一つの目的地は古代ティラといわれる紀元前9世紀から1000年以上かけて栄えたというティラの遺跡である。ここは島で最も高い嵓山の上にあり、麓までフィラの町からバスで行き、麓でミニバスに乗り換えて8合目あたりまで行く。そこから徒歩で登る。こんな高い山の上の遺跡はめずらしい。ロドスのリンドス遺跡も高かったがタイプはかなり異なる印象だ。

帰りにワイン博物館を訪ねる。すいません。かなり個人的な下心がありました。ここは火山灰質なので土壌がワインに適しているのだという。試飲した収穫後のぶどうを一旦2週間ほど干して作ったワインを購入。

バスで夕方フィラの町にもどり、一旦宿で休憩。夕方の5時から8時まで開いている町中のメガロン・ギジ博物館へ。ここは建物が古く17世紀のもの。展示物は16世紀以降の島の歴史を示す地図、文書、写真などである。50年前の地震の様子を示す写真などが興味深い。


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左下が8合目あたり。ここまでミニバスが来る。


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遺跡の入り口付近にあるギリシア正教の小さな寺院。建てられたのは中世。


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以下ワイン博物館


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以下メガロン・ギジ博物館。サントリーニ島の火山の様子を示す銅版画。


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かつて、この島を支配したオスマン・トルコのスルタンの手紙。


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1956年(私の生まれる1年前)の噴火。


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オールドポート。現在もロバがいて人を運んでいる。


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博物館入り口。


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博物館横の教会。


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昨日と同じ夕日の名所。この真下がオールドポート。


昨日、目的のデロスを見たので今日はゆっくり起きて朝食をとり、ミコノスの考古学博物館へ。BC9世紀から6世紀にかけてつぼ絵が抽象形態(渦巻き)、動物(信仰)、人間(神話)へとはっきり変わって行くのを見る事ができた。

その後エーゲ海洋博物館へ。ここは町中の小さな私設博物館である。収集や見せ方も偏っているが私としてはいくつかの地図とコンパスなど航海器具をまめて見れたのが収穫であった。これもwritingの重要な道具なのだ。

その後、次の目的地サントリーニ島に行く為にフェリー乗り場へ。2時45分の出発予定が1時間遅れる。結局6時45分に無事サントリーニ島に到着。

ここは白い街並が断崖の上にある。それが雪が積もった様と形容されることで有名だ。島の構造がミコノスや他の島々ともかなり異なっている。何故ならばこの島は火山島でBC1500年前の火山で今の形になったという。ここで栄えたかつてのキクラデス文明もその火山によって埋没したといわれる。フェリーポートからはバスで20分程断崖を上ることになる。私たちの宿のあるフィラという町は1956年の火山による地震で崩壊し、その後にできたものだそうだ。

同じ観光地でもミコノスと異なりこの島との相性は良い気がする。

宿に荷物を置き町の散策。有名な夕日を見る。


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以下考古学博物館にて。


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BC7


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博物館中庭


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ここからエーゲ海海洋博物館


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博物館中庭


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サントリーニ島のバス


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宿のテラス。ここは東向き。


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向こうに見えるのが2000年前にできた火山島。


そもそも観光の島ミコノス島に滞在しているのはこのデロス島に来るためである。この島は紀元前1世紀に西アジアの国に滅ぼされて(島民1万人が殺されたという)以来、人は住んでおらず19世紀にヨーロッパ人の(ギリシア人自身の)ギリシア再発見とともに発見された古代遺跡である。ここはアポロンとアルテミスの兄妹が生まれた島として(もちろん神話上だが)エーゲ海の島々の中でも最も中心的な場所の一つである。約2000年来人は住んでおらず、現在は島自体が遺跡として保存されている。なので当然宿泊施設などはなく、ここに行く為にはミコノスから4キロだが船で1時間弱かけて行くしかないのだ。行きのフェリーが午前中3本、帰りが午後に3本あるのみ。私たちは朝一番のフェリーに乗り最終便で帰ってきた。島は日をよける場所がほとんどない。

唯一の建物がディロス博物館である。

さすがに来た甲斐があった。その規模はトルコのハットゥシャシュにほぼ匹敵するだろう。小高い山の上のゼウスのサンクチュアリからの眺めは絶景である。


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ディロス島


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ディロス島博物館にて。


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顔料


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驚くべき文字!


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ゼウスのサンクチュアリ


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復元図


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ミコノスに戻る。


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朝、6時半に宿を出て地下鉄でフェリー乗り場に行く。約30分。フェリーは思ったよりも大きく、埠頭は夏休みの観光旅行客でごった返していた。フェリーも満員。船は7時35分にピレウス港を出発、途中シロス島、ティノス島に寄りながら13時にミコノス島に到着。

島を散策。翌日のディロス行きの準備。インターネットでメールの確認とブログの更新をしようと考えていたがホテルでも町のインターネットカフェでもラップトップの持ち込みでは交信できないことがわかり断念。

夕日から完全に暗くなるまで宿の屋上で過ごす。夕日はさすがに美しい。思った程、星は見えなかった。

ミコノス島はいわゆるギリシア観光の中心の島の一つらしい。それはいわゆるビーチ(ヌーディストビーチとホモセクシュアル?)、ナイトライフ(ディスコ?)に代表されるもので要するに遊ぶ為の島であるらしい。私たちには何の関係もないので、いかにも欧米からのリゾート顔した旅人の中、ああ来た時期が悪かったと思った。例のいやな予感。観光にはおそらくベストの時期なのだろうけど。

悪い予感は大抵あたる。ホテルの住人が夜中に騒ぎながら町に(多分)繰り出し、朝がたに戻り、その度に起されるのには閉口した。

なんて上品なものではなく、実は夜中にあまりにも頭に来てドアをあけて怒鳴ったのだった。ここ二三日あまり眠れてなかったのでよっぽど頭にきたのだ。(翌日は大事なディロス行きが控えているし)何と怒鳴ったか忘れたがもちろん日本語である。あなたは怒るとああいう言葉になるのねと妻は言っていたが。多分九州弁で怒鳴ったのだろう。

ミコノスの印象、最悪である。



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ピレウス港


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途中の島


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ミコノス島の宿のテラスから港を見る。


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教会


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風車。ここは風が強い。


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島にはギリシア正教の小さい教会が無数と言いたいくらいある。


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朝4時半にリエカの家を出て、5時20分発リュブリャナ行きの電車に乗る。8時にリュブリャナ駅到着。バスで飛行場に行き、12時45分初アテネ行きの飛行機に乗る。

時差が1時間減って東京との時差は6時間。

宿に荷物を置き、アテネの町を散策。

翌日の朝早くからから島巡りに出るので、アクロポリスなどアテネの町をゆっくり見るのは旅の後半になる。


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リュブリャナの空港にて。


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宿のテラスから見えるアクロポリス。奇妙に現実感がない。アングルもいまいちと思うのは気のせいかもしれない。


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町中から見上げるアクロポリス。やっぱり現実感少なし。


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国会議事堂前


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ライトアップしてること自体がうさんくさいような。


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旅の準備の大詰め。

年のせいだろうか。ローマの旅の疲れがなかなかとれず、やっと前日になって次の旅への緊張感がたかまる。

諸々、交信の必要にもかかわらず、またしても自宅でネットができなくなり、急遽カフェコントへ。

どたばたの一日。

ソボルさんに借りた本の複写。

翌日朝早いのでなるべくはやく寝たかったのだが寝付けず、結局2時間ほどの睡眠しかとれず。


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旅の準備。

7月後半の宿の手配など。

夜、サッカー「ドイツ対スペイン」観戦。

ちゃんとスペインが実力通り勝ててよかった。

本当は3対0くらいの差なのに1-0なんてドイツはしぶとい。

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終日旅の準備など。

やっと7月後半の旅程が決まる。

買い出し。ダリンカさんに教えてもらった近所の別の小さなマーケットへ。歩いて約20分。ここのパイはおいしい。行くだけで汗だくになるが。

あとはひたすら読書。

「ギリシア神話」の続き。

「ローマ散策」河島英昭著 岩波新書。

8月の旅行の計画など。


以下ローマ覚え書きの付け足し。

ローマには本当に魅力的な本屋がたくさんあった。しかも美術書や映画の本専門である。店の構え、ディスプレイからして美しいのだ。街角を歩いているとそのことは気配からわかるものだ。

また当然ながら各美術館にはミュージアムショップがあってここにも多くの魅力的な美術書がこれ見よがしに(?)置いてある。

しかし!

今回、何冊かの例外を除いて本は買わなかったし、そのような本屋にも意識的に入る事はしなかった。

その理由は一旦入ってしまうと自分が冷静さを失ってしまうような気がしたから。

恐らくバッグに溢れてこの先読みもしない本まで買ってしまいそうな気がしたのだ。

妻は不思議そうに「本屋さんには行かないの?」と聞いたが。

ともかく今は本じゃなくて「実物、実空間!」だろと自分に言い聞かせたのであった。

「...」。

それで良かったかどうかは自分でも分からない。

次にローマに行ったときはどうなるのだろう。

河島さんによれば古本でいえばローマよりもナーポリが凄いらしい...。


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