ミラノからヴェネツィアへ移動する日。

午前中にトラムでブレラ絵画館へ向かう。ここはミラノで最も大きな絵画美術館である。北イタリアのルネッサンス初期のものから18世紀のものまで。

マンテーニャの「死せるキリスト」は有名な絵であるけれど実物を見るまではそれ程とは思っていなかった。その他ベッリーニ、ティントレット、ヴェロネーゼ、ピエロ・デラ・フランチェスカ、ラファエロ、そしてカラヴァッジョもあった。なかなか見応えあります。大学(アカデミア)と併設しているらしく、同じ建物の中にアトリエや教室が見えた。建物の中のカフェで休憩。

その後歩いて街を散策しながらミラノ中央駅まで戻り13時55分の列車でヴェネツィアへ。16時15分ヴェネツィア、サンタ・ルチア駅到着。宿は駅の近くローマ広場の近くなのでまず荷物を置いて街の散策に繰り出す。

今回私たちの滞在はちょうど、ヴェネツィア映画祭とぶつかったわけだが、これは始めから意図していたわけではない。全くの偶然である。ミラノでテレビをたまたま見ていると、宮崎駿さんと「崖の上のポニョ」の映像が結構長く映っていたので「これは何事か」と思い「あー。今やっているのか」と気づいた次第である。もちろん、ヴェネツィア映画祭が行われていることや、宮崎さんや押井守、北野武の映画がエントリーされているという一般情報は知っていたのだが、それが自分の旅と関係するなんて考えもしていなかったのだ。宿が異常に高く、かつ予約がとりにくかった理由が今更ながらわかった。(分かっていたらここは避けたかもしれません)

映画祭の拠点はリド島なのでヴェネツイア本島の町中が映画祭一色とは全然なっていない。フェスティバルに関連した上映をやっている映画館は探してみたが本島では一カ所だけであった。


ローマ広場からリアルト橋、サンマルコ広場まで迷路のような街を歩き、ちょうどサンマルコ広場で夕日が落ちる時間帯に鐘楼にのぼり、夕暮れるラグーナとヴェネツィアの街を小一時間程眺める。途中頭上で鐘が鳴りだした。(結構うるさい)

サンマルク広場ではカフェ専属のミュージシャンたちが映画祭に合わせてか映画音楽を演奏していた。

その後サンマルク広場とリアルト橋の間で食事をし、暗くなった街(9時くらい)を歩いて帰る途中、道に迷った。まあ街自体が迷路みたいなものなので三人で行ったり来たりしていて行き止まりに来た。

その後ちょっとしたアクシデントに見舞われた。(詳細省く)...それでカメラが水浸しになってしまったのだった。(事件に遭遇したとかではないので心配しないで下さい)


ということでこの日一日撮影した画像が全て駄目になるとともに明日から写真が撮れなくなってしまった。これは僕にとって大変大きな痛手である。今回、妻はカメラをリエカに置いて来ているので代わりもない。代わりにあるのは息子の携帯(!)のカメラのみである。


ということもあり、これ以降の交信はリエカに戻った後数日後になりそうです。


※※※※

上記は9月3日に書いた日記である。で今このブログを更新しているのは9月6日、ウイーンにいます。この間ヴェネツイア、リンツと滞在してきたがネット環境が悪いので更新が遅れました。

また上記の深刻な理由で写真がないので9月3日以降の日記はリエカに戻って更新します。


とにかく私たちのような旅行者にとって日曜日と月曜日をその旅程の中にどのように入れるかが大変重要なポイントとなる。

言うまでもなく月曜日はどの美術館も休みとなるからであるし、日曜日はお店が休みだったり、早く閉まったりするので要注意なのだ。

昨日のダ・ヴィンチ記念博物館閉館ショックが癒えないまま、今日は月曜日なので私たちは街歩きをするしかない。トラムでガッレリアに行きここのインフォメーションでいくつかのことを確認。

オペラではないが本日スカラ座である公演のチケットが手に入るかもしれないと期待して切符売り場に行くも今日はこの秋シーズンの初日とあって満席。やっぱり駄目だった。

どうも時期が悪いのか全てにわたってタイミングが悪すぎる。


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ガッレリア


気を取り直しつつ、とりあえず最初の予定地ドゥオーモへ向かう。これはゴシック建築の傑作である。恐らく長い時間をかけて修復をしたのだろう、大体どこにでもあるようなゴシック建築独特の黒ずみがきれいに取り去られている。元の大理石の色が戻り輝かしいまでに白い建造物に生まれ変わっていた。エレベーターで屋上に行けるのだがこれは結構スペシャルな視覚体験ができる。


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以下ドゥオーモ


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地下宝物庫


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屋上の手前


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屋上


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ドゥオーモ、正面ディテール


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その後トラムを何本かはしごし、街を散策。結構暑い。


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王宮

ガッレリアのそばで遅めの昼食をとり唯一開いているギャラリーのある王宮へ行く。

ここは特別展が行われていて最初、最後の晩餐に関する映像が上映されていると聞いても全然期待していなかった。

すると何とその展示はピーター・グリーナウェイによる映像インスタレーションだったのである。

王宮はこの街のかつての統治者ヴィスコンティ家の館で大変広大である。

そのインスタレーションとは王宮の中の大きな部屋に立体的にサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の「最後の晩餐」の部屋が原寸で再現され、空間の中央に最後の晩餐のテーブルが原寸で(立体的に、多分石膏で)再現されている。(そのディテールとサイズがなかなか興味深いのだが)観客はこのテーブルのまわりに立って見ることになる。映像は主に最後の晩餐の画面部分とその反対側壁面に投影され、部屋のライティングが映像とシンクロして変化する。約30分弱の上映である。

これが大変に素晴らしく驚いた。一つは高精細のダヴィンチの最後の晩餐が完全に3次元化され、そこ(最後の晩餐の画面上の空間)で自在に様々な光が変化するのだ。例えば昼間からだんだん夜に変わっていくように。またその光が画面こちら側の現実空間にも同時に投影される仕掛けだ。

そして同時に反対側の壁には(最初はダ・ヴィンチのその他の絵も投影されるのだが特筆されるべきは)最後の晩餐をマクロ撮影した高解像度画像が流れるのである。絶対肉眼では見ることのできないディテールが画面を舐めるように見れるのである。(よくこんな撮影を許可したものだ)

音楽はいつもグリーナウェイとコンビを組んでいるマイケル・ナイマンではなかったがとても良かった。


見終わった後は少し呆然とする。グリーナウェイらしい灰汁の強さと実験的な遊び心が横溢している。

このインスタレーションを経験するために今回のミラノ旅行はあったのかもしれないと少し思った。


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インスタレーションパンフレット


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昨日のレオナルド博物館休館ショックを引きずり、このような本を購入。


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ここミラノに来たのは「レオナルド・ダ・ヴィンチ記念国立科学技術博物館」を訪ねる為であった。今回一緒に旅する息子の興味が、どちらかといえば理科系なのでこの博物館ならば良かろうと思い、随分以前から合流地点としてわざわざここミラノを選んだのであった。

ここで一日過ごすつもりで行ってみるとなんとこの3ヶ月、館内システム改変の為に休館中なのであった!!(そんなこと想像だにしていなかった)。

9月16日から再会すると言われても...。

これにはこの旅の早々、絵に描いたように出鼻を挫かれた私たちであった。


...考えてみればそもそも10日程前リエカから電話でサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会に電話し「最後の晩餐」見学の予約を入れた時、既に予約が一杯で駄目だった時から暗雲が立ち籠めていたのかもしれない。

「最後の晩餐」に関しては実は別にどうしても見たいとは思っていなかったので「しょうがねえなあ。」くらいで済ませていたのだが。

こっちの博物館がだめだったことはかなりショックであった。


やむを得ず、その日一日いろいろうろつき回りましたが最初のこの失望はなかなか晴れませんでした。


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レオナルド・ダ・ヴィンチ記念国立科学技術博物館前。おかしいのはわざわざ切符売り場までは開いていて、来た人にいちいち閉館の説明をしていることだ。


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サンタン・ブロージョ聖堂


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文字の入ったグラス。市立考古学博物館


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市立考古学博物館


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ミラノの最も古い城壁の一部が市立考古学博物館となっており、その中に上記のような遺構がある。


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旧ミラノ城壁模型、左上アクリルの直方体が上の遺構です。


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アンブロジアーナ絵画館の中庭。ここは撮影禁止なので以下の画像はイメージです。これらの他にも小品ながらボッティッチェルリの色彩の大変美しい作品やラファエロの「アテネの学堂のデッサン」があった。これはバチカンのタブローの原寸大デッサンである。このデッサンの為に大きな薄暗い部屋が用意されている。さすがのラファエロ嫌い?の僕もこのデッサンには感動しました。これは大変素晴らしいと思いました。


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ダ・ヴィンチ「音楽家」


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カラヴァッジョ「果物籠」


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レオナルド像


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ヴィットリオ・エマヌエーレ二世のガッレリアに一旦戻る。


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以下スフォルツァ城市立博物館


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ミケランジェロの遺作「ロンダーニのピエタ」


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中庭


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天球儀


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地球儀


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ドレスデンの城と同様、王様の為のウンダーカマー(の部屋)があり秘宝(?)的なものがここにも沢山あった。


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博物館の窓から


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11時にマイーダさんの車でバスセンターに送ってもらう。

12時発リエカートリエステ間は珍しく渋滞のため50分遅れて15時着。

15時28分ミラノ行きの列車に乗る。ミラノ北駅20時50分。約5時間半。

ホテルは駅の傍である。

東京からやってきた妻と息子は既に到着しており無事合流する。


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ミラノ北駅、夜。


荷造りと部屋の片付け、大掃除に追われる。

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リエカ残照。日本は大雨だと聞いた。
30日から次の移動が始まるのでその準備に追われる。
街のバスセンターでチケットを購入したり、ついでに食料品の買い出しなど。

気持ち的には夏はもう終わっているのだけれど、街に出るとまだまだ暑い。日本でもそうだがこの気持ちと現実のギャップというのは結構こたえるものだ。残暑お見舞いとは本当に良く言ったものだと思う。
まあ、しかしそのうちこの暑さが恋しくなったりするのかもしれないが...。

次の旅はミラノーヴェネツィアーリンツーウイーンーリエカーザグレブーリエカープリトヴェッツェースプリットーアンコーナーローマーベルギーーオランダーリエカというこれまでにない変則行程である。約1ヶ月。
そのうち3週間は夏休み中の息子(大学2年生)が合流する。
終日自宅で過ごす。たまっていたブログの更新など。
ここ2〜3日、睡眠不足である。3〜4時間寝ると目が覚める。自覚はないのだけど何か緊張しているのかもしれない。
8月はこちらに戻って来て以降充電期間にあてた。そろそろ後半の旅が始まる。
何となく無意識の中で緊張が高まっているのかもしれない。

サンシンはいつも人の顔を見たら食べ物を要求する。かなりの量のキャットフードをやっているのに、ちょっとおかしいと思い観察していると彼女の餌を近所の猫が横取りしているのが分かった。サンシンはマイーダさんによればかなりの年でそいつを排除できないでいるのだった。
彼女が食べ終わるまで横でガードする仕事が増えた。もう一心同体の関係である。
ダリンカさんは30日まで帰ってこないらしい。

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リエカ早朝。6時頃。
郵便局とバスセンターに用事があったので街に出る。
用事を済ませ、ついでに博物館(正式にはクロアチア沿岸の海洋歴史リエカ博物館)と市美術館へ。
前にも書いたが今まで四度ほど訪ねたにも拘らず全て何らかの理由で閉まっていたところ。博物館は特別展の準備中であったがとりあえず入れた。ここは建物はえらく立派であるが展示内容はお世辞にも良いとは言えない。多々問題あり。多分、人もいないしお金もないという理由だと思われる、
市美術館はクロアチアの約100年前という展覧会で写真で各都市のパノラマを展示していた。
また3階の特別展では第二次大戦末期から戦後にかけてのリエカの歴史を写真、模型、映像で展示していた。ここリエカは4月26日ダヌンツィオのところでも書いたが20世紀前半、列強の中で特異な歴史を経た場所なので興味深いものがあった。

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市美術館

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これは100年前のドブロブニク

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「戦災復元模型」ニュルンベルクの市博物館にもありました。
江戸東京博物館にはあったかなあ?
過去の記憶を世代に渡って繋いでいく事を考えさせられる。それはコミュニケーションデザインにとってとても大事な役割のひとつだと思う。

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今私が住んでいるトルサットです。

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終日自宅で過ごす。

調べものはやり出すときりがない。今回の場合それは大きく三つに分かれる。まずは自分がこれまで行って来た場所、見て来たものなどを対象にそれが何であったかを改めて検証したり確認したりする作業。これはそれこそ途方もない分量があってしかも「きり」というものがない。調べれば調べる程なんというか水が濁るようにさらにいろいろ分からない所も出て来るし。だから今はあまり執着しすぎるのも良くないかと思っている。

もうひとつはこれから訪ねる場所についてのあらかじめの情報集めである。
この二つのパターンしか最初は考えていなかったのだが三つ目が旅の途中から浮かび上がってきた。

それはここクロアチアおよびユーゴスラヴィアの近代デザインについてである。
これは当初ほとんど予期しなかったことだが、ザグレブで偶然「ツェニート」復刻に遭遇したり、ソボルさんマイーダさんがたまたまこちらの美術やデザイン関係者と親しいというのもあって、成り行き上始まったことである。しかしどうしても会話の壁があって興味はあるものの少し腰が引けていたのだ。そもそも日本語でさえ僕は知らない人といきなり話をするのがすこぶる苦手である。
しかしソボルさんやマイーダさんがそんなこと気にするなとしきりに言うので、重い腰がすこし持ち上がったところ。
どうなるか分からないが9月にはザグレブを再訪することにした。

ウォーミングアップを兼ねて久々の散歩に出る。
全く無目的で。丘を降りて海へ。 

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海岸ではまだまだ夏が頑張っています。

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ここで5月7日にこの奥にある廃墟にソボルさんに連れて行ってもらった時、電池切れで写真が撮れなかったことを思い出す。

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第二次大戦中、このコンクリートの中に兵士が入れられて鉄砲を撃っていたという。

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