何日か前に東京の大田君からメールでノイラート展一周年記念パーティーをするので先生スカイプで交信して下さいという連絡があった。ノイラート展に関しては以下を参照して下さい。

http://www.otakio.net/neurath/

http://www.vcd.musabi.ac.jp/%7Ekurokawa/070910_neurath/neurath.html

確かに去年はこれで大変な一年だったよなあとか、まだ一年しか経ってないのかとか思いつつ、苦楽を共にした仲間からの要請なので、昼夜逆転して寝不足であったが東京と交信することになった。

こちらは昼の1時。向こうは夜の8時である。もう大分前からパーティーは始まっているらしく酒も入り盛り上がっている様子だ。しかし予期していなかったのはこちらの画像を向こうの教室の大スクリーンに写していたことであった。大田君はそのような段取りに関しては何の連絡もしてくれなかった。こちらには小さなパソコンの小さな画面しか写らない。当然向こうもそうだと思っていたのだ。メンバーたちは私の寝ぼけたでかい顔を見ただけで喜んでいた様子であるがこれはかなり不公平である。まるで地球と交信する宇宙飛行士の孤独というのでしょうか、そんな気分になりました。

しかも何か責任を感じてそこにいる全員と話さなきゃと思いましたが一対多数の会話というのはなかなか難しいものです。つい「○○さん、お元気ですか?会社の仕事慣れましたか?」といったばかな質問しか出てこない。

しかも向こうは酒が入っているのにこちらは素面だし、それがこちらの孤独感を増幅させます。大田君と黒ちゃんはこの企画の思いつき自体に満足したのか話そっちのけで何かもぐもぐ食っているし。

何故か「先生、お休みしないのですか?」と皆、似たような質問を繰り返す。

「いやだから、この旅自体が長いお休みをもらっているようなものだから、お休みのお休みはないのだよ」と答える僕。

「あ、そうなんだ...。」


要するにこのブログを読んで僕の体調のことを心配してくれているのですね。

交信中は恥ずかしくて言えませんでしたが、ありがとう。かなり元気になってきましたよ。後半もがんばっていきます。

皆も僕のでかい顔を画面で拝めたことだし、弱音をはかず社会人がんばりなさい。


話ながら時差というのは距離のことなのだと当たり前の事ながら思った。

時間は空間であるということがリアルである。

谷川俊太郎さんの詩に四千億光年の孤独というのがあるが、僕の場合この日は7時間分の孤独をちょっぴり感じました。

相変わらず家に籠り調べもの、時々ネットでオリンピックを覗く。

この旅以前はインターネットのニュースを読む事などほとんどなかったのだが、今回初めて真剣にネットでオリンピックのニュースをいろいろ読んだ。
が残念ながらどれも中途半端でつまらない。文章も杜撰である。ネット上のニュースのあり方というのはもっと改良されても良いような気がする。(これまた簡単ではなさそうだけど)特に大手新聞社のネットニュースには失望させられることが多かった。まあネットに力を入れすぎると新聞本体が売れなくなるからだろうか。
また、ニュースに対して個人が勝手に意見を書き込んでいるのを読んでいると今度はあまりにも下品すぎて気持ちが悪い。ここには自由を身勝手だと勘違いしている人だらけである。
そのうちスカイプのようにインターネットとテレビが接合すると変わって来るのかもしれない。多分次のオリンピックの頃か。

唯一、今の現状でネットらしくて面白いと感じたのは糸井さんが主催しているネット新聞くらいのものだった。ちょっと変化球かもしれないけれど。やっぱり書籍と同じで情報にはちゃんとした編集とディレクションがなければだめなんだなあと痛感する。(もちろん書籍と同じという意味ではなく、そのメディアならではの)

サンシンとだんだん仲良くなって来た。
彼女も僕が命綱だということが分かって来たらしい。

終日家に籠り、調べもの、データの整理、読書で過ぎていきます。

一昨日の日記で「自炊を楽しんでる」などと軽卒にも書いた罰が当たったかもう大変である。とにかく作るのはまあいいとして後片付けが...。要するに要領が悪いのだと思う。いちいち「さあ、つくるぞ」とか「さあ、かたづけなきゃ」とか意気込まなければ行動を起こせない質なのだ。(普段やってない証拠ですね)これに洗濯や水まきが加わるともう勉強の合間に家事をやってるのか、家事の合間に勉強やってるのか分からなくなって来る。どっちかというと後者。今までは家にいる時、勉強の息抜きに家事のお手伝いをさせてもらっていたということに気づかされる。
カミサンのありがたみを痛感しております。
また昼飯を作っていると(だいたいいつも3時くらいだが)ビールが無性に飲みたくなって来る。監視員がいないことを良い事に、ついつい誘惑に負けてしまう(こともある。)

まるでそれを見透かしたかのごとくえびりんから久しぶりに以下のメールが来た。
「自炊楽しみすぎて大きく育たないようお気を付け下さいませ」

全く女性の洞察力というのはおそろしい。

まあ、こういう日々が今年の僕の夏休みということで...。


終日調べものなど。

マイーダさんに質問したユーゴスラビアのアヴァンギャルドの歴史について興味深い本を教えてもらった。その中のひとつ。Misko Suvakovic"The Impossible Histories"(MITプレス。これまでの私たちの視線の外側にあった東欧、中欧のアヴァンギャルドの今日までの展開。当然単純な「戦後共産主義下、社会主義リアリズム路線になってアヴァンギャルドはなくなりました」という話ではない。20世紀美術とデザインの見直しが本格的に始まったという印象を受ける。


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近所を散歩していてやたらと目につくのが改装中というか増築中の家だ。我が家のバルコニーからも3件見える。おもしろいのはその行程でこの春以降ほとんど進捗していない家が何件もあるのだ。中には2〜3年放置しているようなものまで。手作りなのだろうか。日曜大工の感じだろうか。素人の僕が見てもなんか危なっかしい気もするが逆に単純でわかりやすい。コルビジェの近代建築5原則だかで有名な柱と床の構造体だけコンクリで作ってあとはレンガ。まるでレゴのようです。日本のように短期間に工務店が覆いをかけてさっさとやってしまうのとは大違いである。


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この家は住みながら改築が進行している。春からの主な変化は冷房装置が取り付けられた点だ。


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屋根にレンガが置いてある。これから二階を作るつもりらしい。でもそれじゃ構造的に無理がないかなあなどと他人事ながら心配している。僕がここにいる間には多分完成しないだろうけど。要チェック物件です。


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全ての家に使われていると言っても良いレンガ。中は細かい空洞である。


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これは歩いて10分くらいのところにあるリエカ美術大学の新築工事現場。かなり大々的な工事が行われている。大学の授業はどこでやっているのだろう。今は夏休みだが。ソボルさんからは大学の先生を紹介するよと言われているが今の所まだ「大学」に近寄る気がしないので訪問していない。「まあそのうちぼちぼちと」というニュアンスの英語がしゃべれる訳がないので多分伝わってないだろう。

そのうち授業風景などを見せてもらうことになるだろうと思う。


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多分リエカ美術大学の正門。


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昼間歩くと汗だくになるほど暑くても、夜が冷えるので何となく木々の色に秋の気配である。


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妻は無事19日夜(日本時間)東京に到着した。

「日本は異常な蒸し暑さでリエカの夜の北風が夢のようです」というメールが届いた。

終日、自宅で過ごす。

大家のユリッチさん夫婦もいないので静かである。毎日の庭と菜園の水やりは僕がするしかない。これが結構時間がかかる。太陽の沈む直前7時半から8時半の間に行う。またここの飼い猫サンシンの餌をあげなくてはならない。この猫(雌)の名前はソボルさんが命名したらしいが仏教の言葉からとったらしい。三信?三新?散心?どれだかわからない。私はどうしても三振を思ってしまいます。(名前といえばワクリだよなあ。視デの卒制で言語哲学はハイブロウすぎたよなあなどと今更思ったりする。すいません。分かる人しか分からない内輪の話です)この猫はちょっと変わっていて人間から触られるのを極度にいやがる。飼い主のダリンカさんにもそうらしい。だから猫としてはちょっと可愛げがないが餌をもらう時だけ鳴きながら近寄って来る。ちなみにソボルさん家の飼い猫の名前はカミ。これは紙ではなく神。うーん、これも日本人ならば絶対つけない名前だよね。刑事コロンボの「うちのカミサンが」ならわかるけど。サンシンとそっくりだが血縁関係はないとのこと。


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食事はしっかり自炊しています。今の所楽しんでいます。


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サンシン


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昼間は外に出れば30度を超えやっぱり暑いが家の中にいると終日ゆるやかな風が流れ最高に気持ちがよい。夕方からは写真のカーテンのように家の後の丘からの北風(海風?陸風?そういえば風の名前に関してはシバケンだったと去年の卒制を思い出したりする。あれは素晴らしい作品だった。これも内輪話です。)が吹きTシャツだけだと寒いくらいの温度になる。


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朝5時半にバス停まで妻を見送りに行く。彼女は6時のバスでトリエステまで行き、そこから列車でミラノに行く予定であった。しかし6時に電話があり何とバスが満員で乗れないという。次のトリエステ行きのバスはなんと12時。これでは飛行機にまにあわないということであわてる。結局バスセンターで交渉の結果、7時発のスロヴェニアのコーペル乗り換えでトリエステに行けるバスルートがあることがわかり結局それには無事乗れた模様。前回乗った時はがらがらだったので安心しきっていたのだ。クロアチア語もよくわからないし、こういう冷や汗もののトラブルはここでは日常である。


昼間、近所に散歩を兼ねて買い物に行った以外は終日自宅で調べものなど。


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明日、妻が一時帰国するので、そのための準備など。
1年間まるまる東京の家を空けるのは何かと不都合なこともあり、問題処理のため10日程の帰国予定である。東京ークロアチアは直行便がないため今回はミラノから成田に向かう。
8月末にミラノで落ち合う予定だが、その後あちこち移動するのでどうするか確認をしておかねばならない。
加えて日常生活がそもそも妻にかなり依存しているので洗濯機の使い方(クロアチアの洗濯機は操作が複雑なのだ)をメモしたり、牛乳はこれを買えと指示を受けたり。
慌ただしい中にも夕方、ソボルさんとマイーダさんが彼らの日本の知人(師匠)に智子から渡して欲しいという土産を持ってきたのでささやかな茶会となる。
マイーダさんはことのほか抹茶が気に入ったみたいである。
よかった。

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17日早朝

昼間は次の旅の準備、読書、時々オリンピック。
夕方、ソボルさんマイーダさん家のディナーに招待される。ソボルさん家に行くのは意外にも今回が初めてなのであった。街から7キロ離れた所にあり我が家よりも海沿い、アドリア海がすぐそばに見える。
細かく書き出すときりがないので省略するがとにかく私たちは縁あってこのクロアチアのリエカを拠点にすることになった。私の今回の旅の目的が地中海周辺だったので最初はイタリアを拠点にするつもりでいたのがひょんなことからリエカになったのだ。ここに来るまでクロアチアのことなど知らなかったし、ましてやこうやってお世話になっているソボルさんやマイーダさんがどんな人か全く分からずに来たのであった。我ながら無謀な展開である。このブログを最初から読んで頂いている方には理解していただけると思うが望外なことにというか幸運なことにこのソボルさん、マイーダさんに私たちは大変お世話になっているのだ。しかし私たちはトルコやギリシアなどこれまで小旅行を繰り返し、リエカ滞在が短くてゆっくりソボルさんの家を訪問する機会がこれまでなかったのだ。
ソボルさん、マイーダさんは前にも書いたと思うが真言密教の修業者でそれぞれ法海、慈海という名前を持つ立派な(仏教のことはよくわからないのですいません推測ですが)お坊さんでもあるのだが二人で出版社を営んでいる。今日は彼らの出版物を沢山見せてもらう事ができた。仏教書だけではなく僕も知っているケン・ウイルパーなどのトランスパーソナル心理学や文化人類学関係の翻訳書、変わった所ではリエカラジオ放送局50年史とかトルサット聖母教会の歴史とかも出版している。(ソボルさんは聖母教会の大僧正は友人なんだと言っていた)またリエカで最初のタウン情報誌(フリーペーパー)も彼らが始めたそうである。またマイーダさんは以前ここでも書いたマルコ・イリイチ展などリエカの近代美術館の仕事も多く、今回新たにクロアチア、旧ユーゴスラビアの近代デザイン、建築に関する興味深い話が沢山聞けた。また興味深い展覧会の立派な図録を見ていてそれらの出版が可能になったのは意外にもオランダ政府の援助からだという話、ヨーロッパでも特殊なオランダの文化政策の話等にもなった。ヨーロッパにおけるこのような文化的交流に関しては初めて聞く話でとても興味深いものがあった。
要するに彼らはここリエカとザグレブの文化的ネットワークの中にいるということがわかった。僕のほうも自分の関心や大学で行っている事等(つたない英語で)話したりもした。
その他諸々面白い話が沢山できて良かった。久々の「知的興奮」?で帰宅後なかなか寝つけなかった。家に帰っても英語で考えている自分がいて苦笑。こういう生活を毎日していればひょっとして英語がしゃべれるようになるのかもしれない。(勝手な願望?)

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ソボルさん家からアドリア海を見る。

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我が家の大家ダリンカさんユリッチさん夫婦(マイーダさんの両親)。約40年前。

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ソボルさん達の仕事場。

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最後に記念撮影ということになったのだがカメラの機能がよく分からず...。

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何度やってもうまくいかず...。

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あきれる三人。

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ソボルさんはこのトラブルの間にTシャツを着替えている。
最後やっとうまく収まる。

この日もクロアチアは祝日である。日本では終戦記念日、お盆である。この聖母被昇天祭はクロアチアだけではなくヨーロッパの他の国も祝日となっているところが多い。週末とあわせて日本のお盆と同様、帰省やこの夏最後のバカンスの人々か分からないが、テレビでも込み合う高速道路の様子を映していた。
聖母といえばクロアチアでは私たちの住むトルサットにある聖母教会が最も有名である。マイーダさんからまずいつもの「食料はちゃんとありますか?」の注意の後、この日はリエカ中の人がトルサットに押し寄せ、たくさんのバザールができ、大賑わいになると知らされた。大家のユリッチ(これまでユリックJuricさんと思っていたがよく聞くとユリッチなので以降改めます)さんはこの騒ぎが嫌いなので、もともと両親の実家で現在は別荘のように使っているダルマチア地方に行くと言って朝6時頃出発していた。
我々はここ数日家にこもっていたので久々の外出となった。(歩いて数分だけど)
ひとまずトルサット教会に行き周りの人と一緒に聖堂の内陣裏(いつもは入れない)でお参りしてきた。時刻は2時過ぎなので恐らくピークはかなり過ぎていたのだろうと思う。
でお祭りの方だがマイーダさんの話で私たち二人は勝手に日本のお祭りを想像し(小金井祭り)少しわくわくしながら行ったのであった。確かにいつものバス停前は歩行者天国になっておりたくさんのバザールもあったのだが...。
何と言うか日本のお祭りに比べて少々盛り上がりに欠けるのですね。勝手にたこやきとか焼き鳥とか焼きそば等(そんなのあるわけない)とビールを片手にとイメージしていた自分がアホなのだが。それに浴衣姿もないし提灯もないしお囃子などのBGMもない。なんか静かなただのバザールでした。
私が住んでいる近所の小金井公園ではしつこいくらい(梅、桜、夏、秋、お月見など)大小様々なお祭りがあり散歩がてら良く行っていた。昔の田舎の夏祭りに比べれば静かだし何て事ないと思っていたが、ちょっと考えが変わりました。日本のお祭りは重要無形文化財であると思う。クロアチアの人に日本のお祭りを見せてあげたいと思いました。(大きなお世話かもしれないが)でもこれは農耕民族のDNAがないと理解できないものかも知れない。


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終日、家で過ごす。
前にも書いたが8月になってやっと自由に自宅でインターネットにアクセスできるようになった。そのせいかどうか分からないがオリンピックの結果を知りたくて夫婦二人でインターネットにかじりつくことになった。
クロアチアのテレビは6つ放送していて、オリンピックを放送しているのはその中の1局のみである。それも当然ながらクロアチア中心なのでテレビで見れるのはバスケット、ハンドボール、水球などである。野球はもちろんのこと柔道もほとんど中継していない。日本勢の情報をクロアチアのテレビ局に求めるのがまちがっているのは承知の上だが、たまに水泳などで北島が映る時もある。
ネットが繋がっているとどうしても日本がどうなったのか知りたくなってくる。

テレビで見る限りバスケットやサッカーなどクロアチアはスポーツが盛んで結構強いのだがオリンピックのメダルでみると全く目立たない。それと比較すると日本はスポーツ大国なのだと思ったりもする。

夕刻、妻がマイーダさんの紹介で町の美容院にいった。

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