旅の次のスケジュールを考えながら過ごす。
その他読書。
主にギリシアについて。
終日家を出ず。

本当にぼちぼちだが体調が回復してくると気持ちも前向きにというか元気になって来るものだ。当たり前といえば当たり前のことだろうけど。こういった事はこれまでの東京での生活でも言えたことだ。しかし東京での生活は事務所でのデザインワークや大学での仕事などあまりにも多忙だったので自分の体調と精神状態の関係など考えてる暇などなかったのだ。とにかく全ては「どさくさ」に進行していた。そこに自分の体調など考慮する余地はなかったのだ。ここに来るとこれまで経験した事のないシンプルな状況なのであたかも他人事のように自分の様子を観察することが可能だ。これもささやかだがこの旅の恩恵である。

そういえば昔、子育てをしていた時(こういう言い方は変かもしれないが)つまり長男が幼かったころぐずついたり、泣いたりした場合、最も良い解決方法はぐずる原因を探り解消してあげることだと気づいたことがあった。例えばおなかがすいているとか、睡眠不足とか暑いとか寒いとか。そうすると大抵の場合息子はご機嫌であったように思う。この法則を発見したとき少なからず感動した記憶がある。

結局子供が大きくなってもその「こつ」だけが子育てを通して僕が学んだことであった。

後どうするかは本人の問題なのだ。

それは子供時代だけじゃなく大人になった自分自身にもあてはまるということですね。

ついでに思い出したのは次男の場合は小学生の時、原因不明の病気で2~3年入退院を繰り返したこともあった。この時ばかりはただ神様にすがるしかなかったけれど。

ということで少しずつ旅の整理を初めているところ。


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旅の最中に手にした資料や購入した本を読んでると実際は整理とは別の、カオス方向に思考は遊んでしまうのだけれども。

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今までの旅の整理や調べものも手つかずだが、同時に次の予定もたてねばならない。

これまでの経験から交通、宿の手配は移動の1月前にはある程度決めてないと、大変な目に遭うことをこの僕でも少しは学習しているのだ。

何はともあれそれをやっとかなきゃと。

これが結構プレッシャーである。


また9月はイタリアとクロアチア周辺を動く予定であったが、月の前半に卒業生の展覧会がオーストリアのリンツで行われる。これに何とか行く為のルートをあれやこれや考えねばならない。

ネットによる鉄道、バス、飛行機のタイムスケジュールの見方、チケットの予約など少しずつは分かって来たがまだまだである。そのうちユーロ圏内でもっとすっきり分かりやすい交通情報網が構築されそうだが現時点ではまだまだです。

結構頭かかえているが何とかなるだろう。

ギリシア、中欧の旅の疲れがどっと出てきたのだと思う。実は寝たり起きたり状況である。しなければならない旅資料の整理も遅々として進んでいない。ましてや調べ物や読書もできない。気持ちはあるのだけれど。
リエカに帰宅して以来おかちんがいた間はまだ少しは気が張っていたのだろうがここ2、3日は夫婦とも全然駄目である。夜寝ていると突然脚がつるし、朝起きてベッドから床に足をつけるとアキレス腱が痛む。グぅガっと言いながら立ち上がりよろよろ歩いてリビングまで行き、ソファに30分程横になった後じゃないと朝食のテーブルにつけない。

昨日はこんなことじゃかえって身体がなまると思い無理にミルコさんの展覧会に行ったわけだが、帰って来て寝込みました。
旅している最中は連日酷暑の中を歩き回って、われながらすごいなあと感心していたがやっぱり帳尻はどこかで合わせないといけないようだ。年相応に。
昨晩の嵐のような雨があけて今朝のリエカは空気が一変した(ような気がする)。視界がクリアになり秋の気配が何となく感じる。街に出るとあいかわらず暑かったけれども。今日はマイーダさんが紹介してくれたミルコ・イリイチの展覧会に行く。リエカの近代美術館で開催されている。マイーダさんは英語の翻訳などで関わっていたらしい。クロアチアで最も有名なグラフィックデザイナーとのことである。見た印象はグラフィックデザイナーというよりはイラストレーターであるが1956年生まれなので私より一才上である。若い頃はコミックも書いていたようだ。タッチは大友克洋風である。イタリアでの仕事を経て30代からニューヨークでタイムズとかニューズウイークのアートディレクションをしている人だ。

その後リエカの町を散策。重いスイカを買って帰る。

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美術館の階段、掛かっているのはミルコのポスター。

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奇妙な行き止まりの階段。映画「薔薇の名前」のセットのようだ。

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閉館してしまった映画館1

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閉館してしまった映画館2

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今日も旅の記録などの作業の予定。

テレビで北京オリンピックの開会式が3時(クロアチア時間)から始まるので見る。旅の途中さほど関心はなかったが、クロアチア語の興奮した中継を聞きながらオリンピックって世界中の人間が見てるのだなあと実感する。

オープニングは最近の荒唐無稽な中国スペクタル映画みたいだった。槍とかは降ってこなかったが。開会式は全体的に長過ぎてだれた。

オリンピックを見ながら思い出したのは以前ヨーロッパ旅行の最中に、ケルンのホテルでロス五輪を見た記憶があるので僕のその時の旅は正確には今から24年前だった。1984年の夏だ。

お昼に海でロビンソンクルーソーのような生活を終え、大家のダリンカさんユーリックさんが帰って来た。お土産は立派な魚である。

早速いただきました。

夕方から空がにわかにかき曇り大雨となった。


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終日外に出ず、家でデータの整理などの作業のつもり。
久しぶりにのんびり過ごす。街に出なければ終日風通しが良いこの家はとても気持ちが良い。
やらねばならない仕事、旅の記録や整理、手紙を書く事、あちこちへメールの返信などたくさんある。
しかしやらねばと思いながら何もしていない一日。
一日があっというまに過ぎて行く。
3日、おかちんとクロアチアに戻る列車で偶然私たちのいるコンパートメントに「ここ空いてますか?」と入って来た人がいた。アジア人の若者で聞くと台湾の美術大学のファインアートを学ぶ学生であった。少しの時間だが話をした。彼がドイツを旅している理由は自国の歴史に対する向き合い方を学びたいという理由であった。
「台湾では過去に対してちゃんと向き合っていないと思うのです」と。彼はこの後台湾で兵役を終えた後ドイツに留学したいと語っていた。
彼の話を聞きながらちょうどおかちんと同期でその後視デの大学院に進学した荘(ツァン)君のことを思い出した。僕が修了論文の指導担当だった。彼のテーマは台湾のグラフィックデザイン史1895年〜1995年であった。台湾にはこれまでそのようなテーマの本格的な研究がなく、私自身も疎かったがとにかく資料を集めようということになって、荘君は何度も台湾と日本を行き来したものだった。実際特に戦前の資料を集めるのは難しく、また戦前を知る人へのインタビューも困難を極めた。台湾はスペイン、中国、日本と植民地化された歴史があり、その歴史に対する認識は大変複雑である。例えば台湾にも1930年代にモダニズムの運動はあったがそれはヨーロッパからの影響ではなく日本を経由したものだった。そういった明らかな事実関係をちゃんと記述するだけでも充分意味のあることなのだと彼をはげましながら、僕自身も教えられる事、考えさせられる事が多々あった。何度も挫折しそうになったが何とか荘君は論文を書き上げ卒業し今は台湾のニューウエーブデザイナーとして活躍している。(2年程前に原宿のスパイラルで作品が展示されていた)彼の論文はこれまで誰も書く事のなかった台湾のグラフィックデザイン史となった。何故か視デの他の先生方はあまり興味を示さなかったが私の中では個人的に「優秀賞」ものの力作であった。今でもそう思う。
そんなことを思い出した。
歴史に自虐的でも放漫でもなく向き合う事は確かに難しい。それがギリシアやトルコで見たもののように6000年とか3000年前のものならばそうでもないが、100年、200年というスパンでは急に難しくなる。今回ドイツを旅していてそれを強く感じた。確かに台湾の若者が語ったようにドイツ人の歴史に対する態度は徹底している。それが博物館や美術館のディレクションに明確に現れていることは確かだ。
ドイツに限らないと思うが20世紀の前半、ノイラートたちが夢想した博物館のあり方とそのこと(現在の状況)は無関係であるはずがないのだ。彼らの掲げた夢想というか理想は第二次大戦という悲惨な状況を乗り越えて今に生き続けているのではないか。
ノイラートは「言葉は世界を分ち、絵は世界を繋ぐ」と語っている。

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おかちん。ヴェネツィアに向かう前の別れの朝。彼とは久しぶりに沢山話せました。とても立派に成長していて驚きました(見た感じは変わりませんが)。ニューヨークという街で様々な国の人々と切磋琢磨しているからこそなのだと実感できました。
「学生時代に求めていたもの、デザインのスキル、プログラムのスキルそしてコミュンケーションに対するアイデア、それらが最近やっと手に入ったような気がします」という言葉に感慨深いものがあったよ。この旅の後いよいよ修了制作の1年が始まるがその成果が楽しみです。
このブログを見て彼に興味のある人は以下を参照して下さい。
http://okada.imrf.or.jp/

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おかちんをバスセンターまで送った後、ソボルさんとマイーダさんが滞在許可証の申請のため一緒に警察まで行ってくれた。

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朝食後おかちんは家を出てポレチュへ(http://www.esporre.net/terayama/2008/05/5052.php)。
終日旅の整理、後半たまっていたブログの更新など。
今日はクロアチアの祝日らしく小さなマーケットも含めて全てのお店は休みだという。以前祝日だと知らず買い物に行って困ったことがあったので昨日もマイーダさんが「明日は祝日です。食料はちゃんとありますか?」と心配してくれていた。クロアチアはしょっちゅう祝日があるような気がする。
旅の疲れとれず、終日家で過ごす。
夕方おかちん無事に帰宅。今日も暑かったそうだ。夕食をとりながら夜遅くまでいろいろ話す。明日彼はここを発ちイタリアのヴェネツィアに向かう。

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今回の旅の前に私たちの為にとダリンカさんが菜園で育ててくれていたトマトがしっかりできていた。この他那須やバジルなど。とてもありがたい。ちなみにダリンカさんとユーリックさん夫婦は例の船でアドリア海クルージングの旅に出ていて不在である。
娘のマイーダさんの説明によって船は10年以上かけてこつこつと作ったユリックさんのハンドメイドであることが分かった。ユリックさんは若い時工科系の学校と造船関係の学校を卒業しているのでその技術があるらしい。10メーター弱の小型船らしいが寝泊まりができ、夫婦で魚を釣りながらマイーダさんにいわせれば「ロビンソン・クルーソーのような生活」をしているらしい。マイーダさんもしきりに誘われているらしいが彼女は船酔いが嫌いなので行きたくないらしい。僕はちょっとうらやましいと思いました。ドリームスカムズトゥルーですね。

朝ゆっくり起きて朝食をとり(おかちんも長旅でそろそろ疲れているのでゆっくりしようということになったのだ)簡単にリエカの町を地図で説明したあと一緒に家を出る。近くの教会や城、バス停の位置を確認しつつ、ペタルクジッチの階段(http://www.esporre.net/terayama/2008/04/422.php)を降りて町の中心へ。両替やバスの乗り方などを説明したあと、おかちんは一人で散策に出る。今日は近くのオパティア(http://www.esporre.net/terayama/2008/04/426.php)に行った後リエカを探索して帰宅する予定だ。僕はその後一人でデパートと市場で買い物をして帰宅する。今日のリエカは強烈な暑さでめまいがする程であった。海の近くのオパティアはさぞ暑い事と思う。
我が家は前にも書いたが丘の上にあり風が通るので帰ってくれば気持ちいいのだが。
自宅では妻が大量の洗濯や荷物の片付けなどを行っていた。荷物の整理をしなければと思うがなかなか気力がわかず、ただバッグからものを引っ張りだすのみ。
そういえば特筆すべきことはこの旅のあいだにダリンカさんが自宅でワイヤレスでインターネットにアクセスできるようにしてくれていた。これでブログの更新の為に階段をおりてコンチネンタルホテルのカフェに行く必要もなくなった。
夕刻おかちん無事に帰宅。ソボルさん夫妻が偶然訪ねてきてくれたので、おかちんの明日の行動についてアドバイスを受ける。

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最初はソボルさんお勧めの世界遺産にもなっているプリトヴィッツェ国立公園(私たちもまだ行っていない)に行くルートを探したのだが結局交通が不便で日帰りは無理ということになり、最終的にはポレチュに行く事に。

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おかちんのニューヨークでの生活や研究の状況を聞きながら。

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