14日からのドイツ旅行のスケジュールがほぼ決まる。
自宅でひたすら英文作成。リエカとザグレブでの講義のために既にある30枚か40枚ほどの日本語の原稿を英語に置き換えていく作業。リエカではソボルさんがその英文からクロアチア語に同時通訳してくれる予定である。前にも書いたがソボルさんは翻訳家であり言語に関しては天才的なところがあるので、問題はない。問題は私が自分の考えを未熟であっても正しく彼に伝えられるかにかかっているのだ。ザグレブも含めて講義は来年の予定だが今週末のドイツ旅行の前にまず第一稿を渡さなくてはならない。
この翻訳translationという作業はとても面白く考えさせられる。実際やってることはもちろん大したことではないけれど、ノイラートの言ったtranslaterだとか、ボイスのtranslationという言葉の意味とか、単に右のものを左に持って来るというものではない。
今の僕はいかにシンプルな、基礎的な語彙を用いるかを考えざるを得ない。そうすると同時に元の日本語を添削する作業になる。日本語だと適当に書き流したような文章も1センテンスごとに吟味することになる。そもそも言いたかったことは何なのかを相対化するということ。その結果、日本語では気づかない意味がまた浮かび上がってくる。そこが何とも言えず不思議な感覚である。
造形に関するテキストなのでなおさらのことかも知れないが、身体とか自己とか環境とかをめぐって考えていると、簡単な言葉が哲学的な意味を帯び出したり...。
日本語が自由に話せるということは、ある面では言葉を意識化しないということなので、自由なようでいて実はそうでもないのではないかと思えてきた。
やむを得ずの作業だけれど日本にいては忙しさにかまけて、こんな経験をするチャンスがなかったことを思えば僕にとって「言葉」を考えるとても良い機会である。
10時のヴェネツイア、サンタ・ルチア駅発トリエステ行きの電車に乗る。
トリエステでバスに乗り換え、何事もなくリエカへ。
11月11日パリ行きに始まった今回の約3週間のショートトリップも何とか無事帰還することができた。
私たちの為にマイーダさんが暖房を入れておいてくれたが、思った以上にリエカの夜は底冷えがする。
妻は風邪気味で寝込む。
恐らく旅の心労と疲労のせいであろう。
朝ホテルの中庭にて。
サンタルチア駅前
今日は空港傍のホテルからバスでヴェネツイアのサンタ・ルチア駅近くの宿に移動し一泊する予定であった。
朝テレビのニュースを見ているとヴェネツイアが大浸水している様子が映し出されたいた。
建物のグランドフロア(一階)部分まで完全に水浸しだったのでそもそもホテルがやっているかどうか、大丈夫かと不安になる。
とにかく行って確認するしかない。
私たちがサンタ・ルチア駅近くのローマ広場に着いた10時頃にはかなり水も引いていた。
サンマルコ広場にはなお水が残っていたが駅前は何とか普通に歩ける状態となっていた。
移動したホテルは外見はこじんまりしているが、中に入ると堂々としたヴェネツイアンスタイルで、とても気持ちの良いホテルであった(今はオフシーズンなのでこのようなホテルに泊まることができるのだが)。
荷物をおいてチェックインまで時間があったのでバポレットでムラーノ島まで行ってみる。今年は夏以来二度目である。
曇り空のせいもあって、もう3時には暗くなり始め、4時には夕暮れる。
暗くなってから二つの教会を訪ねる。
スクオーラ・ダルマータ・サン・ジョルジョ・デッリ・スキアヴォーニ。スキアヴォーニはダルマチアのことでかつてのクロアチア人の為の教会である。ここにはカルパッチョの連作がある。暗くて見にくいのが難点であるが素晴らしかった。
もうひとつはサンティッシマ・ジョバンニ・エ・パオロ教会。ここはヴェネツイアの中でもかなり壮麗な教会で、ベッリーニの多翼祭壇画、ヴェロネーゼの絵画連作、ヴェロッキオの彫刻等傑作がある。
エジプトのムスリムからカトリックの世界へ。
死海とヴェネツイア、二つの場所を行き来したことに感慨を感じながら...。
道に打ち寄せる海水。
海水が残るサン・マルコ広場
午後4時のカイロ発の飛行機でウイーンを経由して夜9時、ヴェネツイアに到着。
タクシーで空港近くのホテルへ。
飛行機、タクシー、ホテルと当たり前のことが当たり前にスムーズにいくことにこんなに感動するとは...!。
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