午前中デルフィの遺跡を見る。ここはアポロンが信託をしたところとして、またアテネからも日帰りで来れる所でもあり、観光客も多く有名である。古代にはギリシアだけではなく世界の中心とされていた場所である。そういえばアイルランドにも世界の中心はあったが。

ここは雄大なパルナッソスの連山の中、山の斜面を利用して作られた巨大な聖域である。すそ野にはオリーブ畑が広がり、あまり高くはない糸杉(ジプレッツェーン)が印象的である。遠くにはコリンティアス湾も見え、とにかくロケーションが素晴らしい。神話が信じられる雰囲気が充満している。あのオイディプス王の悲劇も、ここでの神託によるものだ。私たちの今回の旅はトルコのディディム(アポロンの神託した聖域)といい、ディロス島(アポロンの生まれた島)といいアポロンに縁が深いと改めて気づかされた。

午後はメテオラに向かう為に北上するのだが、途中で添乗員が変わったり、バスの乗り換えがあったりのかなりの混乱であった。全くやれやれという感じである。団体行動に我慢を重ね、メテオラの近くのカランバカという町に宿泊。

この日に合流した人の中に日本から来たカップルがいた。夕食時、久々に日本の様子などを聞く。ガソリンの値段のことやそれにともなって様々な物が値上がりしている話。医療制度が変わって混乱していることなど。(この二人は医療関係者だったのでその情報は特に詳しかった)地震の予知の話や今年は東京が43度になるという予言の話も。

本当ですか?


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混乱の予兆。予定していたバスが来れなくなって急遽、このような乗り物に乗ってデルフィの町見学。


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2日目はオリンピアの遺跡と付設の考古学博物館を午前中かけて見た。スポーツを古代の人がどのように考えていたかとても考えさせられる場所であった。空気がとても清浄であった。古代オリンピックの哲学というか魂というか。

その後午後はほとんど移動時間である。パトラを通過してリオというところからコリンティアコス湾に架けられたアンティリオン大橋を渡りギリシアの中部へ。次の目的地デルフィで宿泊。

夕方にデルフィの博物館へ行った。1時間と少ししか時間が与えられず大変不満ではあったがここの博物館はとても素晴らしかった。

青銅の御者の像、勝利の女神ニケやヘルメス!の像(ギリシア彫刻の傑作群)など。


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以下オリンピアの遺跡。


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以下考古学博物館。


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アンティリオン大橋


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アンティリオン大橋記念博物館


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以下デルフィの博物館


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これは単なるお土産。

今回のギリシア旅行の日程は今年の3月に日本で決めておいたものだ。島々は宿だけ決めて自分たちで勝手に動き回ったが、ペロポネソス半島とギリシア中部は交通が不便と聞いていたので旅行会社の三泊四日のツアーに参加する事にした。

1日目はアテネを出発。コリント運河を渡りペロポネソス半島に入り、エピダウロス遺跡の古代劇場を見る。ここでは古代の医療、ヒーリングの聖地で医神アスクレピオスがまつられている。劇場、音楽、スポーツ、医療、浴場が合体しているのだ。ナフプリオンの町を通過し、アルゴス平野をわたりミケーネ遺跡へ。ここはバルカンから南下したギリシア人がクレタ文明を引き継いで独自化しミケーネ文化を築いたところといわれている。

その後バスで西に移動し、メガロポリスを通ってオリンピックの発祥の地オリンピアで宿泊。

あらかじめ覚悟していたことだが、遺跡や博物館では見学の時間を制限され、せかされ精神衛生上はとてもよくない。(そのくせ土産物屋での滞在時間が長いのだ)英語だがガイドがつくし、宿の心配、交通の心配をしなくて良いのはらくちんではあるけれど。


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この日は丸一日この博物館に時間を割く。約7時間程いたがさすがに後半は集中力がきれる。いつもはこのブログではなんとかその場で編集して写真を選ぼうとはしている。しかし情報量が多くて短時間では無理である。

この日の分はランダム(=適当?)にさせてもらう。


明日からペロポネソス半島とギリシア中部に移動するのでここにはその後再度来てもう少しゆっくり見ようと思っている。


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この日はアテネへの移動日である。午前中、宿でブログの更新などをして空港へ。(空港まではイクラリオンから20分程度。大変便利である)しかしトラブル発生。日本で予約したバウチャーを持って航空会社のチケットカウンターに行くとこの便は6月の終わりにキャンセルされている。電話連絡をとったが応答がなかった。またリコンファムもされなかったので残念ながらあんた達の飛行機はないと言われる。「エーッ??」と言うと(それ以外言葉が出てこない。そこで私たちは英語が得意じゃないのでもう一度ゆっくり説明してくれと言ったが結果は同じであった)しかし4時間後の飛行機があるからそれには乗れますという。全く信じられないが確かに私たちの予約した便そのものはなくなっていた。予約をしたのは3月だったと思うが、このようなことがあるとは。誰に文句つけて良いかわからないし、あきらめる。広くて人も少ない空港の待ち合い室で手紙を書いたり、記録をしたり読書で時間をつぶすことに。


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この日はイクラリオンから最も遠くにある遺跡、フェストスへ向かう。あの神秘のディスクが発見されたところである。イクラリオンから63km南、島の反対側にある。クレタの島は高低差が激しく万年雪を抱えた山もある。植生もそのせいで多様であるという。フェストスまでこの高低のある山道を1時間半くらい走る。フェストスの遺跡が作られたのは4100年前、その後一旦地震で崩壊し、400年後に再建された物が現在の遺跡である。

遺跡からの帰り道(バスで30分くらい)にゴルティスの遺跡があるので寄った。ここはガイドブックなどにもそっけなく1行しか書かれてない所であったが実際は大変興味深いところであった。ここは古代からローマ時代(ローマ支配時代の首都)中世のビザンチン教会までが混在している場所であった。丘にはおぼろげながらかつての劇場の形が残っている。実際は広いのだが発掘中らしく、見学できる場所が限られていたのは残念である。ここは大きなオリーブの樹が印象的だったが、入り口のおじさんの説明だと1200年前のオリーブと言っていた。本当かどうか、信じられないけど。

またここで特筆すべきなのはゴルティン・ロウ(law code of gortyn)が思わず見れた事だ。これは紀元前5世紀頃ここにあるローマンオデウム(劇場)に残されたもので縦3メートル横8,5メートルの石盤にびっしりと文字が刻まれている。文字は古いギリシア語らしい。英語の解説書があったので詳しくは帰ってからになるがアルファベットの変遷を確認する上でとても貴重な資料であった。

バスの温度計は40度を示していた。日の照りつける遺跡はもっと暑いような気がする。これほど高温のお湯になったペットボトルの水を飲むのは初めての経験である。


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以下フェストスの遺跡


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フェストスのディスクの発見場所。


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珍しく記念撮影をした。


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ここからはゴルティスの遺跡。


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イクラリオンの町の復元模型。ベネチアが支配していた時代。

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模型と同じ遺構が見える。ホテルはこの裏手にある。

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ユダヤ後

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カレンダー。18世紀だったと思う。

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ゴルティス遺跡。

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カザンツァキス

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会場の最後の所にとても意外なものが展示されているのを発見。説明しません。分かる人には分かるでしょう。

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最後はとても小さなエル・グレコ公園にて。


昨日にクノッソス遺跡について問題ありと書いた。今日は同じ時代のマリア遺跡を訪ねる。イクラリオンの町から約40kmで海の近くにある。
果たしてここの遺跡の状態はいかなるものかと少し心配していた。ここはギリシア人考古学者が発掘にあたっている。クノッソス遺跡への批判を踏まえた所為だろうか、ここは極めて真っ当なやり方で保存と修復、展示を行っており安心した。また昨日のクノッソスで自分の感じた事がまちがいではないと改めて確認することができた。ここはエントランスのギャラリーに遺跡全体の模型と、復元模型がちゃんと展示されている。
その後、マリアのビーチで海を見てからイクラリオンの町に戻る。
その後クレタ歴史博物館を訪ねた。ここは小さいながらも充実した展覧会を行っており感心した。細かいことには触れられないが現代ギリシアの小説家、思想家であったカザンツァキスの展覧会は特に力がこもっており印象深い。映画「その男ゾルバ」の原作者として日本でも知られている。彼は生涯多くの旅をしたらしくそれを軸に構成した展示だった。こちらも旅の身の上なので感慨深く見た。彼は戦前の日本にも滞在しており「石の庭」という小説を書いているらしい。

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マリア遺跡前

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復元模型

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あくまでも復元ではあるがこれが3700年前というのは信じがたい。ドコモモ

http://www.docomomojapan.com/

にあっても誰も驚かないだろう。


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発掘中の人々


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イラクリオンのベネチア支配時代の遺構。宿のそば。

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クノッソスの遺跡の後、同じ日にイクラリオンの考古学博物館に行ったのだが、クノッソスのエヴァンスに「けち」をつけた以上、同じページに書く気にならず項を改め0707-2とする。実際この前後は同行している妻も僕も体調を壊し(妻はお腹の調子、僕は目が痛くなった)たのだ。まさかエヴァンスの呪いじゃないだろうが。

項を改めたのはもうひとつ理由がある。この博物館がとても素晴らしかったからだ。その中でも特筆すべきなのはフェストス(phaestos)の円盤を見れたことである。今から10年前、ゼミのまとめとしてwriting space design 98/99という本を石塚君やカトケンや中蔵君と苦労しながら作ったのだがその巻頭のページにCDのディスクとこのフェストスの円盤を並べてレイアウトしたのだった。僕はこの二つをつなぐ物がwriting space designを意味していると当時思っていた。(今もそれは変わらない)その時はまさか10年後に自分がそのオリジナルを拝めるとは想像だにしてなかったが。

フェストスの円盤は想像以上のものだった。まだ解読されていない。


10年前の自らの振る舞いが今を決定しているのだ、と改めてグレゴリー・ベイトソンのことを思い出した。


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パンサーです。


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蜂のブローチ


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この文様はミロス王の家紋、もろ刃の斧。ラビュリントスを表しているという。


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水晶でできた器


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クレタを象徴する牡牛


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蛇を持つ女


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ライオネス


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これが単なるフレスコなのかどうか分からない。


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印章


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フェストスのディスク


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昨日の夜クレタ島のイラクリオン(英語表記だとheraklionヘラクリオン)に上陸し港の近くに宿をとった。ここはギリシアの島々の中で最南端、かつ最も大きい島である。300km向こうはアフリカ大陸である。ここはギリシア文明発祥の地といわれる。人が住み始めたのが今から約9000年~8000年前で5000年前から高度な文明が存在し、3800年から3500年前にひとつの最盛期を迎えたといわれている。前日訪れたサントリーニ島もその中に含まれ、これら全体をギリシア文明と呼んでいる。

ここにはクノッソス、フェストス、マリアという三つの重要な遺跡がある。

今日はまず私たちのいるイクラリオンの近く(バスで約20分)のクノッソス遺跡を訪ねる。これはギリシア神話の中でも特に良く知られている場所である。クレタのミノス王が自分の息子であるミノタウロスという怪物を閉じ込める為にダイダロスに作らせた迷宮=ラビュリントスとして。クレタがアテネをも完全な支配下に置いていた時代である。

また、これが単なる神話ではなく実在のものであったことを英国の考古学者アーサー・エヴァンスが1900年に発掘し、歴史上の事実として証明したことでも有名である。

そしてこのことからかつてプラトンの述べたアトランティス文明がここやサントリーニ島であったのではないかという話にも繋がるのだ。

そういった(興味深いが)細かい話を詳述する時間がないし、ここでの目的でもない。とりあえず私たちは写真のようにこのクノッソスの遺跡を訪れた。ここはかなり広大で興味深いものがあり、その重要性はよく理解できた。

しかし(これまでもいろいろ言われていたらしい)残念ながらアーサー・エヴァンスによる発掘と修復にはかなり重大な問題があると思った。私は考古学の専門家でも修復の専門家でもないのでとやかく言う筋合いはないのだろうが、これまで様々な遺跡を見てきた直感で言わせてもらえばエヴァンスは間違っていると思う。彼は修復と称して遺跡をコンクリートで再現(再構築)しているのだ。だから結果として建物の姿など、見る人にとっては分かりやすいのかもしれない。床も平らになって歩きやすい。しかし現地でこれは絶対やってはいけないことだろうと思う。別の場所に再現するならば別だが。だから見ていてどこまでがオリジナルでどこからが手を加えた物かがわかりずらい。しかも本当の修復ならば本来、当時と同じ素材、同じ工法をとるべきなのに例えば本来木であっただろう部分はコンクリートに着彩なのである。まるでへたなアミューズメントパーク化しているのである。しかも修復ではなくて適当な所であいまいに廃墟化しているのだ。まずそのことに驚かされた。どんな基準でそのようなことを行ったか理解できない。

ガイドブックには「約3700年前の宮殿が復元され、想像以上に生々しく保存されているのに驚かされる。...それらは訪れる者のロマンをかきたて、神話の世界へと誘う。」などと書いてあるがこれはとんでもない犯罪行為だと思え実は気分が悪くなった。

遺跡を見るという事は見る側にそれなりの想像力を必要とするものではないのだろうか。 

この遺跡の発掘により、先に述べたようにギリシア文明の存在が決定づけられたことは間違いない。しかし昨日のアクロティリ遺跡などの発掘(これらはエヴァンス以降)から見るとエヴァンスの行為(イギリスの考古学研究所が現在も管理しているらしい)は考古学として超えてはならない一線を超えたのではないかと思えてしょうがない。とても残念に思った。


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これはヨーロッパにおける最古の「道」だと言われている。


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