ドレスデンはかつてのザクセン王国の首都で壮麗な街だったところだが、第二次大戦の空襲で一夜で破壊された町として知られている。廃墟のままであった聖母教会を残されたがれきの破片を地道に組み合わせて最近(2005年)修復したのは日本のテレビでも放映されていたのでご存知の方も多いと思う。

戦災にあった街に共通であるが基本的に街は全体にのっぺりしていて、戦後の共産主義下のビルがほとんどで、街の中心のツヴィンガー宮殿などが修復されているのだが全体としては何となくちぐはぐな感じを受ける。あくまでも一旅行者の感想ですが。

観光の街のはずだが、他のドイツ、ヨーロッパの街のような雰囲気、旅行者が気軽に入れそうなキオスクやマーケット、カフェが驚く程ない。水を買おうとして歩いても歩いてもお店が見つからず少しあわてたりとか、なんとなく不気味な感じがある。25年前訪れたことのある東ベルリンの雰囲気に似ている。宿は中心からトラムで15分くらいのところで、エルベ川ぞいであるがやはり周りにはタバコ屋すら見当たらない。

ここの滞在の主たる目的はフェルメールが二点あるツゥインガー宮殿内にあるアルテ・マイスター絵画館に行く事であった。その他クラナッハ、ホルバイン、デューラー、レンブラント、ボッシュ、ボッティッチェルリ、ラファエロ、リューベンスなど傑作がかなりある。また風景画の巨匠カナレットの作品がここには多くその特別展をやっていてカメラオブスキュラと風景画の関係を中心に展示をしていたのが少し興味深かった。

同じ宮殿内の陶磁器コレクション、武器博物館などを見ても、ザクセン王国のかつての繁栄を偲ばせる。その他ドレスデン城では王様の財宝、工芸の展示をみたが(写真は撮れずイメージはないが)その贅沢ぶりはものすごいものがある。いわゆる博物館の元である王様のウンダーカマー(脅威の部屋)を実感するにはもってこいである。趣味的には全くあわないので心は全く動かなかったが。



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黒く見える石は戦災で焼けたことを示している。


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ツゥインガー宮殿

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クラナッハ


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ホルバイン

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デューラー


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レンブラント


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これはカラヴァッジョではありません。

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ボッシュ

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ボッティッチェルリ

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苦手なラファエロの有名な?部分

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苦手なリューベンスはどこにいってもある。

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カナレット


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陶磁器コレクション、武器博物館

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今日はプラハを去りドレスデンに向かう予定である。正直プラハは予想していたよりも、はるかに気に入ってしまったので本当はもう2〜3日滞在を延ばしたいのだが。結局、図書館にも行けなかった(ここはアポイントメントなしには見せてもらえないだろうが)。またチェコではブルーノにも行けなかった。ここはミースのトゥーゲンハート邸があるし、グラフィックのビエンナーレでも有名な街だ...。
しかしここチェコには縁があればまた日を改めて来る事もあるだろう。そんな予感がする。
ということで午前中、初日に行った時閉まっていたチェコキュビズム博物館(別名黒い聖母の家)に行く。チェコキュビズムについては思う所あるが...。とにかくこの美術館は小さいけれどとても良い。しかもここで初めて知ったある建築ザイナーの図録を購入したが、その時レジのお兄さんがプラハの現代デザインの見所をあれやこれや教えてくれた。もうドレスデン行きの電車のチケットを買ってしまったというのに。全く後ろ髪をひかれるとはこの事か?

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オットー・ノイラート、ゲルト・アルンツを調べていても思ったが雑誌、デア・シュトルムとディ・アクツィオーンはドイツというよりは中央ヨーロッパにとって重要な雑誌であることが分かる。

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キュビズム・タイプフェイス?らしい。

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1〜2階はカフェ。1階はブックショップなど、キュビズムの家具や食器も売っていた。

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この写真もまるでキュビズムのような...、でしょ。

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ドレスデン駅

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ドレスデンは第二次大戦において最も空襲の激しかった街のひとつで東京と同じように一旦は廃墟になっている街である。

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宿の窓から見える夕暮れ。

こうなってくると毎日は苦行僧のようである。どんなに疲れていてもホテル住まいなので朝はしっかり起こされる。ホテルの朝食をしっかり食べ頭と身体をとにかく叩き起こす。そしてまた街に出て行くのである。
今日も本当にハードな一日であった。(途中眼鏡紛失事件もあったが無事解決。)

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今日は国立博物館がメインでまずここでじっくり過ごす。ここでは人工物ではなく自然の記述を楽しむ。(人類の足跡展という特別展もやっていた)

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人類の足跡展。企画はおもしろい、がディレクションが...。

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骨のサイコロ?

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自然の記述
僕がこのようなものに強い興味を持つようになったのはもう10年以上前に遡るが、勝井先生の視覚伝達デザイン論を6年間通しで聴講したことによると思う。この授業では何度も目から鱗が落とされたが何よりも、デザインを行う前の世界に対する態度とその構造を理解するための先生の好奇心の強烈さに影響を受けたと思う。どうデザインするかの前に対象は何かを自然科学的に知る事の大切さといってもよい(「土の記憶」などはその中の一つだ)。その後僕がその授業を引き継いだ(先生に比べれば情けないくらいへなちょこだが)のだが、今回の旅はそのまんま授業で思考したことの現物確認の旅ともなっている。
その先生からさっき「旺盛な知的好奇心と行動力に感心しています」というコメントをいただいた。恐れ多い事だ。

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その後、カレル庭園を通り、国立美術館に向かったのだが途中でプラハ城riding-schoolというところでビーダーマイヤーbiedermeier art and culture in the bohemian lands 1814-1848という興味深い展覧会に出くわす。躊躇せずに入る。大変素晴らしい展覧会であった。写真不可なのでイメージはないが。19世紀前半のこの中央ヨーロッパの豊かさがよく分かる。ウイーンのゼツェッション(オットー・ワグナーやヴァン・デ・ヴェルデ)など、そしてもちろんドイツ工作連盟もビーダーマイヤーの歴史的バックボーンの上に成立していることがよくわかる展覧会であった。装飾的だが過多ではなく、構造的で今日的とすら言える。日本で言えば元禄時代か。日本のデザイン史は通史がまともにないが、同様であろうと思う。つまり日本のグラフィックデザインが今日豊かさを持っているのは江戸の歴史の厚みがあるからだ。

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カレル公園

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ビーダーマイヤー展

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本当はこれだけで疲労困憊だったがどうしてもデューラーの大作を見ずには済むまいと思い無理を押して国立美術館へ。ここも写真不可なのでイメージはない。
その後昨日書いたクレメンティヌムのカテドラルで7時からコンサートを聴く。7人編成のチェンバロオーケストラであった。モーツァルト、アルビノーニ、バッハ、ヴィヴァルディ、スメタナ、チャイコフスキー、ドボルザークの曲が演奏された。7時から約2時間程か。プラハに来たんだからドボルザークが聴きたいと妻に言っていたのだが、はからずも実現し感動。疲れていたので眠るかと思っていたが全然平気だった。アルビノーニのアダージョでは思わず泣きそうになった。ウイーンのヨハンシュトラウスといい音楽もヴィジュアル作品同様それが生み出された場所で聴くというのは良いものだとしみじみ思いました。

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一日の終わりに虹が。




今日は月曜日で美術館等はお休みなので主に街を歩く。プラハは初めてである。ここは美しい街であると同時に街が建築や工芸を学ぶ者にとってそのまま博物館、教科書のようなところだ。モダニズムとはまた別のデザインの伝統がしっかりあることがひしひしと感じられる。1日や2日では到底この街を見たとは言えないということがすぐに分かった。要するに予想を超えて街は素晴らしく、楽しかったし、興味深いのだが詳述は省く。長い一日。


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今回とてもお世話になったトラム。一日券を買っておけば好きに乗り降りできる。

たまたま偶然この写真に映った女性は12頭身くらいだろうか。日本ではほとんど見る事のできないバランスである。これも私たちから見れば異形ですね。何事も過ぎたるは及ばざるがごとしか?


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ユダヤ教のお寺(シナゴーク)


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正面は国立博物館


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キュビズムの外灯


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ペトシーン公園(街を見下ろせる丘にある)天文台横のモニュメント。


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ペトシーン公園展望塔より市街を見下ろす。


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ペトシーン公園展望塔。パリのエッフェル塔に模したらしい。


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チェコといえばパペットでありまたアニメーションでもある。人形のお店がたくさんある。街には人形劇の劇場もあった。


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プラハ城から旧市街を見る


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大司教宮殿。左隣奥に地味な国立美術館がある。


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シュヴァルツェンベルク宮殿(ルネッサンス様式らしいが、壁の凹凸の錯視的な装飾がおかしい)


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聖ヴィート大聖堂(プラハ城内)


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フランツ・カフカ博物館


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カフカのサイン


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カフカのドゥローイング


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カフカへのオマージュとしてのインスタレーションや映像など、展示はかなり好き勝手にやっていた。その意気や良し。しかし出来はイマイチ。ディレクションが青臭い。カフカ=暗いとか、=不条理とか不協和音とかゆがむ映像とか、それをやったら当たり前すぎてつまらないじゃないか。

...どうしてもこのようなものを見るとつい、俺だったらこうするよな的なデザイナー根性が出てしまいます。イカンとは思いますが。


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プラハ城側のカレル橋橋塔


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カレル橋の彫像


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旧市街側の橋塔


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クレメンティヌム。元対フス派(新教徒)の為のイエズス会の教会。現在はチェコ国立図書館の一部で550万冊!?の蔵書があるらしい。中には入れず。しかし翌日ここの礼拝堂でのコンサートに行く事にした。


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一応観光名所の天文時計


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旧市庁舎


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ヤン・フス像


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チェコキュビズム博物館。旧市街にある。別名黒い聖母の家。ここは本日は閉館なのでまた来る事に。


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黒い聖母


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1-2階はカフェ。カフェの椅子もキュビズムである。


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市民会館。ここはミュシャ(最近ではムハと言うそうな)を筆頭にチェコ・アールヌーボーの本拠地だ。


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市の南部ヴィシェフラド地区にあるキュビズムのアパートメント。現役です。


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同じくキュビズムの家。ヴルタヴァ川沿いにある。夕方8時頃、人は住んでいない感じだったので堂々と庭に入って近くで見ていたら「窓に人影が...」と妻が言うのでびっくりして出てきました。


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同じくヴルタヴァ川沿いのキュビズムの家。ユースで使用しているようだった。


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前日のコンサートについて。ヨハン・シュトラウスとかワルツとか食わず嫌いで勝手に甘ったるいイメージを持っていたのだが(ニューイヤーコンサートなんてブルジョワ趣味的だし)、今回初めて生で聴いてみて「いやあなかなかのものですなあ」と思いました。クラシックにおいてもジャズ演奏と同様、スゥイング感と間、音の遠近感が重要なのだと実感できる演奏であった。


ウイーン南駅から13時半に電車に乗ってチェコのプラハに向かう。約4時間(+20分の遅れ)。夕刻プラハ到着。ここはユーロに入ったので通貨もユーロになってると思い込んでいたらそうではなかったので少しあわてる。宿が少し分かりにくい場所にあった為、たどりつくまで時間がかかる。夕食は宿のそばの中華料理屋に行く。ここはわりとまともな中華だったので安心する。(かつてリュブリャナで店に火をつけたくなる程のひどいのを食べさせられた記憶があるので中華といっても安心はできないのだ)

夕方、かなり強く雨が降る。街を濡らす雨に何故か感動。ギリシアの乾燥がまだ頭と身体にこびりついているようだ。


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ウイーン南駅


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プラハの夕暮れ。9時頃。奥正面の白いビルが私たちの泊まった宿。交差点にある。


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宿から見た交差点。日本ではほとんどの都市で廃止にしてしまったが、路面電車のある街は素敵である。過去にタイムスリップしたような気になる。

ウイーンに来る直前に2~3年前ここを精力的に歩いていた大田君にメールで情報をもらっていた。(あきおくん、ありがとう)しかし今回はちゃんと歩き回れるのは今日一日だったので、結局25年前に歩いたところをもう一度訪ねるに止まってしまった。次(秋)のエジプトはここからの出発なのでその時もう一度時間をとりたいと思う。25年前は同行していた斉藤君がトラベラーズチェックを摺られたり、宿がひどかったりとあまり良い思い出がなかったが今回来てみてウイーンがこんなに素晴らしい街だったかと改めて感動している。道の幅や公園など都市の基本的な部分がとても豊かである。何のかんの言ってもさすがハプスブルグ家の都なのである。都市は土台が大切と思いました。こればっかりは簡単には作れない。

今日歩いた場所は市庁舎、美術史博物館、オットー・ワグナーの郵便貯金局と水門。応用美術博物館、クアサロンであった。最後のクアサロンは19世紀にできた立派なサロンでヨハン・シュトラウスがここの為に曲を書き下ろしたりした場所である。ここでモーツァルト、ヨハン・シュトラウスをアンサンブル・オーケストラで聴いた。モーツァルトはドン・ジョバンニ、アイネクライネナハトムジーク、シュトラウスは青きドナウなど。演奏も音も大変良かった。


応用美術館は写真が撮れないのでイメージがここにはない。ウイーン工房、ヨーゼフ・ホフマン、オットー・ワグナー、ヴァン・デ・ヴェルデなどの家具など、さすがに見るべき物はたくさんあったし、リベスキンドのベルリンユダヤミュージアムの模型など、意外な物も見れてよかったのだが、デザイン・ミュージアムとしては古いというか中途半端な感じがした。日本のもそうであるがデザインミュージアムで素晴らしいと思える物に僕はまだ出会った事がないような気がする。要するに安易にバウハウスやモリスに頼らず、尚かつそれらの歴史を踏まえた上で20世紀をちゃんと総括し、かつ未来に向かったあるべきミュージアムのコンセプトをたて、実現するということを誰もまだできてないということなのだろう。もちろんそれが簡単でないことは承知の上だが。だからとにかく物だけ集めていますという感じにどうしてもなる。見せる側に何故今これを見せたいのかという本気の切実な自省がない感じがするのだ。

20世紀前半のデザインや芸術において既に世界は物じゃなく、関係だというコンセプトが自明であったにもかかわらず、現在のデザインが古色蒼然、後ろ向きに見えるのは何故だろう。

本当の意味での新しいデザインミュージアムは俺が作るしかないのか?とふと思いました。


自然史博物館(ここは昔行ったが)、ミュージアムクオーター、ゼツェッション、シュタインホーフ教会、ウイーン工作連盟ジードルンク、カール・マルクス・ホーフ、その他のオットー・ワグナー、今回あまり気が進まなかったクリムトやシーレも次のお楽しみとなった。


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国会議事堂


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街頭のポスター


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フォルクス公園。誰もが入れる普通の公園なのだが手入れの気合いが違う。


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昨晩シネマフェスティバルを行っていたノイラート、ダイヤグラムチームゆかりの市庁舎に改めて行くも土曜日で入れず。正面玄関の回廊。


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美術史博物館


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自然史博物館。美術史博物館の向かいにある。今回は時間切れで入れず。間にマリア・テレジア像がある。


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マリア・テレジア像


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以下美術史美術館。ここは写真が可だったのでメモ代わりに。ここの美術館は世界的に見ても突出して優れた作品が多い所である。レンブラント、フェルメール、デューラー、ホルバイン、クラナッハ、ファン・エイク、ブリューゲル、カラヴァッジョ、ベラスケス等など。また幼い頃ノイラートが影響を受けたエジプト部門もわりと充実している。


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以下オットー・ワグナーの郵便貯金局。ここも以前来た時は郵便局として機能していたが現在は歴史建造物になっていた。感慨深いものがあった。大学院の修了制作を別々の作品だがコラボレーションとして建築家の菅谷君と共同でやったことを思い出す。


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以下オットー・ワグナーの水門


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クアサロン入り口


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コンサートの幕間に



今日は昼の便でアテネからウイーンへ移動する。
何故ウイーンなのかは説明がいるかもしれない。私たちの持っている航空券はヨーロッパー日本間の往復オープンチケットではなく地球一周用のチケットなのである。これは途中12度飛行機を乗り降りできるのでその分往復チケットよりもリーズナブルなのである。つまり最後はニューヨークを通って東京まで戻るということになる。しかしこのチケットの欠点は同じ空港を二度使えないのだ。一筆書きの原則。だからクロアチアに戻る場合ザグレブ空港はもう使えないのだ。それで今回はリエカとの交通が比較的楽なウイーンにしたのだった。
でウイーンからクロアチアにバスなり電車なりローカルの航空機なりで戻っても良かったのだがせっかくなので今回はウイーン、プラハ、ドイツの東部を見てクロアチアに戻る予定である。卒業生と8月の頭にミュンヘンで落ち合うことにしているが果たして無事に行き着くだろうか。あと二週間弱だが旅は続く。

ウイーンは大変涼しく、街には革ジャンを来た人が歩いている。これまでのギリシアからは想像もつかないことだ。ギリシアから持ってきた麦わら帽子が浮いている。
まるで沖縄から軽井沢に移動した感じだ。(沖縄には行った事がないので想像ですが)
正直言って身体が喜んでいる。ほっとするというか一息つける感じ。ギリシアの暑さと日の光の強烈さは尋常じゃなかったから。あそこは神々とゆばあば(千と千尋)のような女達の住む場所だ。人間はまるで陽炎のようだ。
どの場所でもそうだが訪れた場所と季節の関係は記憶の中で強く結びつくだろうと思う。僕にとって春先のアイルランド。夏のギリシア。

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アテネ。飛行場へ向かうバスから。

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ウイーン。25年ぶりである。

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宿に荷物を置いて街を散策。トラムに乗ってカールプラッツの昔の地下鉄駅舎へ。オットー・ワグナーの設計である。前に来たときは駅として機能していたと思うが今回博物館のようになっていた。中には入れなかったが。

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芸術家の家。工事中だった。

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オペラ座。

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シュテファン大聖堂。

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オットー・ノイラートゆかりの市庁舎ではシネマフェスティバルが行われていた。はじめはこの正面の建物が市庁舎とは気づかなかった。

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何と2000人近い人々が集まっていた。

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シネマというから映画かと思ったら音楽のライブ映像で、この夏私たちも行ったローマのカラカラ浴場を舞台にしたオペラ映像の上映であった。オリジナルのオペラではないのに何故こんなに人が集まるのか少し不思議だったが、さすがにウイーン、音響は抜群であった。
他の日は音楽のアニメなどもやるようだ。

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ただ、あまりにも寒く途中で帰宅することに。


この日は一日この博物館で過ごす。前回見落としたもの、ゆっくり見れなかったものなど。

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まるでマティスのような...。

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ツアー中はネット環境が悪くブログの更新はもとよりメールすら見れない状況が続いた。ここアテネでも今一つ不便でゆっくり考えながら更新することができない。限られた時間の中でデータをとりあえず、載せている状態が続く。

ギリシア(アテネ)を自由に歩き回れるのはあと二日だけとなった。


この日はアクロポリスを中心に歩き回る。パルテノン神殿、イロド・アティコス音楽堂、ディオニソス劇場、アドリアヌス門、ゼウス神殿、アドリアヌスの図書館、ローマン・アゴラ、風の神の塔、古代アゴラ、ヘファイトス神殿、アタロスの柱廊博物館などなど。

旅の途中なので直感的なことしか書けないが、ここはこれまで見てきた遺跡とは異なる印象を受けた。それはまず単純に遺跡が町中、しかも巨大都市の中にあるということによると思われる。最初アテネに到着してホテルの屋上テラスから見たアクロポリスの丘は、それ以外の喧噪に包まれた町と比較して頼りなげというか、単なる文化遺産だから残してます、観光名所だしという感じを受けた。しかし今日歩き回ってみて感じたのは、表層はそう見えるのだが、実は第一印象と全く異なっている事に気づいたのだ。

この町には神殿が建てられたころからあった磁場がそのまま強烈に残っていると感じられる。

都市の中にある遺跡ならローマだってあるじゃあないかという話にもなるのだろうが、ローマははっきりいってここほどの磁場はない。ローマはローマ人の都でもあったがむしろ、キリスト教徒の都であり、ルネッサンスであり、なによりバロックの都なのだ。ローマ人もギリシアを見倣って神殿を作ったがここに来てみるとローマ人とギリシア人の神殿に対する構えと言うか何と言って良いかわからないが(本気度?)、とにかく異なると感じるのだ。異質というよりもギリシア人の方が空間の聖性に対する感受性が圧倒しているのではないかと思えた。ギリシアを支配下に置いたにもかかわらず、(実際、武力、経済、政治と多くにおいて優っていたローマが)こと文化に関する事はずっとギリシアに対して謙虚であり続けた理由が少しだけ分かったような気がした。

これは少なからず新鮮な感動であった。結局、異教(キリスト教や回教)、近代産業社会、消費社会と町を覆っているものは替わっていくのだが、それでも簡単に消えないものを作った人々に改めて強い関心を持った。

それを可能にしたものは何だったのだろう。

そういえば歩きながらかつて学生時代に読んだ多木浩二さんと前田愛さんの空間のコスモロジーに関するテキストが頭に浮かんだのであった。またこの場所はギブソニアンならば「ヴィスタ」について考えさせられるのではなかろうか。


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メテオラは奇岩群の頂上にある修道院で有名である。ここの修道院は14世紀頃から作られたギリシア正教であり、様式はビザンチンである。現在は5つの修道院に人が住んでいるらしい。私たちはこの中のルサヌーとアギオス・ニコラオスの二つを訪ねた。

その後ひたすらアテネを目指し、夕方6時頃アテネに帰還する。だいたい800kmのバス旅であった。

慣れないツアーなので気疲れしたせいか体調を少し壊した。ツアーの後半から主治医(?妻の事)の命令もあり禁酒生活に入る。

4月からこっちセーブすることなく、ずっと元気に酒は飲んでいたので、いい加減節制しろというゼウスのお告げだと思った。


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