ベルリンを動き回れるのは今回は今日まで。
ハンブルグ駅現代美術館はかつてのターミナル駅を美術館にしたもの。
信じられないくらい広い。普通の美術館4つ分の感じである。
実は常設展を見たかったのだが芸術の秋のせいか、常設展はやっておらず、芸術家の儀式(cult of the artist)という大テーマの元に大規模なヨーゼフ・ボイス展、アンディ・ウォーホル展、その他多くのデコンストラクション・アーティストの集合展などをやっていた。
その後どうしても19日に行った文化フォーラムの絵画館、昨日行った博物館島のペルガモン博物館、旧博物館のもので再度見たいものが出て来たので今度は絞り込んでそれらを見て回った。
朝10時から夕方6時まで時間を気にしながらであったがとても神経の張りつめた1日であった。
その後はもう気が抜けた状態でふらふらと既に暗くなった夜のブランデンブルグ門、ドイツ連邦議会議事堂(フォスター設計のガラス張り中央ドーム)に行った。

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Ayşe Erkmen展(下も)

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白い壁がゆっくり動く。まるで...。

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ウォーホルのエルビス

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マックス・ビル

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ジェームス・ギャグニー

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実は初期の広告のためのイラストレーションが最も興味深かった。

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ボイスは写真に撮ってもなあと思ったがとりあえず記録として。

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とにかく広い。大スクリーンで映像を映している部屋も何室もあり、広さ自慢しているのか?とも思う程だ。でもその分個人的には何か空虚な印象も受けた。

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膨大なドローイング

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ボイスについて書くと長くなりそうなのでやめます。
25年前もすでに大作家であったが、現在はそれ以上の扱いですね。かつて彼の作品(そもそも「作品」という言い方が良いのかどうか?)を見て強く感じる所あったけどよく理解できなかった。
それでルドルフ・シュタイナー(今回も触れられていたが)の本を読んだりもしたが結局良くは理解できなかった記憶がある。
やっぱりドイツ語が理解できない事には判断しかねるような...。

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宿の近くの中央駅

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ペルガモン博物館と旧博物館を再訪。今回は写真はあまりとらずに見る事に集中。

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文化フォーラム入り口

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25年前には見る事ができなかった東側からみたブランデンブルグ門

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西側

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ドイツ連邦議会議事堂屋上

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移動した宿はベルリン中央駅のそばで、ここからは博物館島にも徒歩で行ける距離である。
博物館島はドイツ統一によって旧東西にあった博物館、美術館が再編成、再統合している中心地である。私の大きな目的のひとつであったペルガモン博物館もここにあるが19日まで工事中で入れなかったように、工事等で公開を中止しているところもある。
また博物館同士の収蔵品の調整や博物館の名称もまだ統一されていない部分があるようだ。実際かなり混乱させられた。
ともあれ、ここの収蔵品も素晴らしい。分野によっては大英博物館をしのぐものもあり、到底1日では見切れるものではない。


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博物館島へ行く途中にあるシナゴーグ。

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向こうに見えるのは旧東ドイツ時代からあったテレビ塔。

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ペルガモン博物館。今回何とか入れたのは良かったが、その三分の一、バビロニア、シリア、アッシリア部門は閉鎖されて見る事ができない。
とても残念である。いつ再開されるか掲示板には触れられてなかった。

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朝一番なので人もまばら。この後あっという間に人が押し寄せてきた。
ここは有名なペルガモンのゼウスの大祭壇が置かれた場所。
この遺構は私たちが5月31日に訪れたトルコのベルガマにあったものを移築したものだ。その現地の様子と比較して見て頂けると分かりやすいと思う。
BC180〜159のものである。
http://www.esporre.net/terayama/2008/06/531.php

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左に見える白い円形の劇場跡は現在でもかなりはっきり残っている。
その下の構築物が失われているので現在では観客席から急角度に谷に落ち込んで見えるので高所恐怖症のぼくにとっては大変怖い場所であった。
この模型を見てなるほどと納得。

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ゼウスの大祭壇の元々あった様子。
ローマ人はこの上方に自分たちの祭壇を作っていた。

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神話が描かれたこの壁面は何時間見ていても見飽きることはない。

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隣のギリシア、ヘレニズムの建築遺構を通って、古代ギリシア、ヘレニズム、ローマ時代のものが展示されている。

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ミトレスの市場門。この先にバビロニアなどの展示があるはずであったがクローズされていた。

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ペルガモンはこれでおしまいかと思い、一旦美術館を出ると工事現場の横のドアから入れた先にはイスラム美術の博物館があった。

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旧博物館から左手に見えるベルリン大聖堂。

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旧博物館。設計はカール・フリードリッヒ・シンケル。
ここも二階と一階は別々のミュージアムかと思うくらい分かりにくかった。
二階ではエジプト美術の大展覧会、一階は古代ギリシャ、ローマの彫刻など。
収蔵品の質は極めて高い。

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書記1

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書記2

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書記の用いていた筆記用具。板の上に蝋を塗ったもの。これに鉄筆でメモをとる。
今日のバインディングされた(綴じられた)書物の原型ともいわれる。
これを見るまでこうやって板を何枚も重ねていたいたことは知らなかった。

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ナイルにそってそれぞれの地域ごとの神が展示された一種のダイヤグラム(一部)。大変興味深い。

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一階。ここは新古典主義者シンケルの傑作といわれるがなるほどと思わされる。中央の円形大ホール。18本のコリント式円柱。
純粋な幾何学的空間である。

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午前中に宿を移動してから文化フォーラム(ポツダム広場近く)の中の絵画館へ。

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文化フォーラムは複数の美術館と芸術図書館からできた複合文化施設である。
ここは国立で、とてもゆったりした敷地内に絵画のみならず版画、図書資料、工芸デザイン資料などの美術館が布置されていることに感心させられる。
ドイツの文化的豊かさ、というか国をあげての本気度を実感。博物館島もそうだが。
以下は絵画館。マスターピースが目白押しである。

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フェルメールが二点

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カナレット

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ベリーニ

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メルジ

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ボティッチェリ(下も)

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アントニオ・デル・ポライウォロ

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リッピ(だったか、あまりにも多すぎてどれが誰だか混乱してしまいます)

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ワイデン(だったと思う)

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デューラー(下も。彼はまとまって6点ほどが展示されていた。出来にかなりのムラがあるのがかえって興味をそそられた)

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ホルバイン

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ヤン・ファン・アイク(下二点も)

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この後、そばにある新ナショナル・ギャラリー(主に近現代美術を扱う。ミースの設計)に行くも展示準備中で閉館。これまでは写真家杉本博司の大展覧会が行われていたようだった。
中に入れず。


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博物館島にある旧ナショナルギャラリーへ。
ここは写真不可なので画像はない。フリードリッヒやベックマンなどロマン主義、象徴主義の作品が多く収蔵されていた。
かなり玉石混合というか混乱している印象あり。
建物はギリシア古典様式の堂々たるものである。

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シュプレー川、右手が博物館島、ボーデ博物館
今日の主な目的はベルリン芸大の大学院、サウンド・スタディーズSound Studiesを訪ねることであった。
午後まで時間があったので、カイザー・ヴィルヘルム教会を訪ねた後、のんびりと6月17日通りと博物館島のふたつの蚤の市をはしごする。

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宿の近くのカイザー・ヴィルムヘルム教会。
これは大戦中の悲惨な記憶を残すため破壊された旧教会と新しい教会がふたつ並んで建っている。

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新教会内部。合唱団のリハーサルが行われていたのでしばしの間楽しむ。

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森田さんの作品
ベルリン芸大の修士課程、サウンド・スタディーズは9月5日にリンツのアルス・エレクトロニカで(http://www.esporre.net/terayama/2008/09/0905linz-ars-electronica-longe.php)知り合ったベルリン在住のアーティスト森田さんが、昨年度(この夏)修了したところである。彼の作品は音を耳ではなく骨で触覚的に聞くというユニークなアプローチで大変興味深いものであった。
彼がこの日は大学の新学期でオリエンテーション・ワークショップがあり、各授業の様子が分かりますから来ませんかと誘ってくれたのであった。ちなみに森田さんは学部、院と日本の大学で彫刻を学び、ドイツで活動した後この出来たばかりの院に興味を持ち入学したという。このコースは10年の準備期間を経て森田さんが第一期の修了生なのでできたばかりである。
彼はこのコースをサウンド・コミュニケーション・デザインと言っていた。

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校舎。ベルリン芸大は沢山のコースに分かれているので校舎もベルリン市内のあちこちに点在しているという。
サウンド・スタディーズについての詳しい説明は長くなるので省略するが、学生数25名から30名。旧来の音楽学部とは全く異なるコンセプトで出発したという。専任は4名、サウンド人類生態学(基礎言語学的)、コーポレート・サウンド(アドバタイジング的)、実験的メディア・サウンド(コンピュータサウンド的)、空間サウンド・デザイン(建築、環境的)といった大まかに4つのコースに分かれている。今日は全体説明と前学期の特別プログラムの発表会の後、それぞれの教授たちが自分のコースの考え方を説明しながらのワークショップを行った。
僕は実験的メディア・サウンドとサウンド人類生態学のワークショップを見学した。

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最初にオリエンテーションの後、昨年度の特別プロジェクトの発表会が行われた。
これは環境サウンドの学生たちの作品。

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実験的メディア・サウンドのワークショップ。この日は学生の他卒業生、興味のある人(入学希望者など)の見学も自由であった。このコースの先生はあのクラフトワークのカール・バルトスである。僕はさほどテクノにのめり込みはしなかったが、やはり僕らの世代にとってクラフトワークの名前は絶大、特別なものがある。(ちなみにクラフトワークに関しては松岡さんの以下に詳しいので興味ある方はどうぞhttp://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0965.html)

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その場で集めた言葉をサンプリングするカール・バルトス。

この他コーポレート・サウンドはメタデザインという会社を率いるヴェスタマン(ヨーロッパの主な企業のサウンドロゴを手がけている)など企業との現実対応もしっかり押さえた上で、しかしサウンド・コミュニケーションの根本は音経験をどのように言語化するかにあるとして、かなり年若いサウンド人類生態学のシュルツェ教授(哲学出身)が学科長として全体のバランスをとっているようであった。
授業の進め方、考え方が私たちのライティング・スペース・デザインと驚く程似ていたりして興味深く、思う所沢山ありました。
最後にシュルツェ教授に挨拶をして辞した。

その後森田さんと串焼き屋でお酒を飲みながらいろいろ突っ込んだ話を聞けた。
森田さんはリンツ以降、すでに次の展覧会の予定もいくつかあるようだ。
また彼の触覚サウンドの仕組みは大変ユニークなのでいくつかの企業も注目しているようであった。
これからの活躍が楽しみな人だ。日本に来たらムサビに来てもらいたいと思う。

ベルリンは紅葉真っ盛りである。東京の11月半ばの感じである。
既にデッサウやワイマールで25年前には見れなかったバウハウスに関係する展示を見て来たが今回あらためてバウハウス・アッシブを訪ねた。
撮影不可なので展示物の写真はない。
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展示内容に関して、またこの美術館が出来た経緯(グロピウスの設計)に関して思う所あるけれども省略。

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ベルリン、秋

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リベスキンドの設計で有名なユダヤ博物館はここベルリン博物館から入場し地下通路を通って行く事になる。

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この美術館は何と言うべきか、彫刻としての建築というか建築化した彫刻というべきか、少なくとも25年前はこのようなコンセプトの建築が実現できるとは思えなかった。思えばこの間日本でも(タイプは全然異なるにせよ)荒川周作の養老天命反天地のような建築化した彫刻とでもいうものが出来たのであった。

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荒川さんやリベスキンドに先立って、かつてヨーゼフ・ボイスによって社会彫刻というコンセプトが既に出されていたこと思い出す。

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肝心の展示内容について。興味深い点は多々あるものの若干の違和感もあった。それはユダヤミュージアムといいながら10世紀以降のドイツにおけるユダヤ人の歴史に限定していることであった。ユダヤ人のことを考えるならば少なくとも4000年からの歴史にざっとではあっても触れる必要があるのではないかと。
また第二次大戦中の悲惨な歴史に関して驚く程あっさりした展示であった。(それは下の写真にあるリベスキンドの設計した地下が代替しているという考えもあるかもしれないが)考え過ぎかもしれないがある種の政治的配慮があったのかとも思った。
あくまでも現時点での感想ですが。


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リベスキンドによるホロコーストの象徴。人の顔の形をした無数の鉄板。

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最後にケーテ・コルヴィッツの美術館に行く事ができた。
コルヴィッツは学生時代から好きで尊敬していた作家である。彼女の作品、生き方も含めて深く感動。

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美術館中庭。

ザグレブ空港からベルリンへ向かう。
前日は2〜3時間しか眠れず、少し意識もうろう。
ベルリンの宿(ツォー駅そば)に4時頃到着。荷物をおいて散策。4時過ぎにすでに町は暗い。

ベルリンは25年ぶりの訪問となる(当時は西ベルリン)。ヴェンダースが「ベルリン天使の詩」を撮影した年であった。あのサーカス小屋のあったクロツベルクを歩き回った記憶がある。(映画が公開されたのはその2〜3年後であったか)
今回は旧東側であるザグレブからの入国なのでショーネンブルグ空港から各駅停車の電車に乗ってベルリン入りをした。
25年前、たしか一日50マルクを使う事を条件に東側の町を半日観光したのだが、今回の印象とは全く異なったものだった。
その他思う所あり。

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ザグレブ空港待合室

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以下ベルリン

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クロアチアの首都ザグレブに早朝のバスで向かう。
5月のトルコ旅行の前に寄った「例の」画廊にまず訪ねる。
今回は1970年代旧ユーゴスラビアの前衛芸術家たちのドキュメントが展示されていた。
ここで来意を告げると、いろいろ細かい経緯はあったのだが、デヤン・クリスィチ(Dejan Krsic)氏(多分クロアチアで有名なデザイナー)という人に近くのカフェで会う事になる。一緒にいた美術史家の女性(名前を忘れた)とも話をする。ユーゴスラヴィア時代のアヴァンギャルド研究についていろいろ教えてもらう。(詳細省略)また、資料になる本を探すためにクリスィチさんは私たちを本屋に連れて行ってくれる。(結局三件はしごしました。)
その後HDLU(ザグレブのクロアチア芸術協会)というクロアチア現代美術で最も活発な活動をしている美術館に、ディレクターのフランチェスキ氏を訪ねる。(ソボルさんマイーダさんの紹介)
ここで偶然ニューヨークのアーティスト、ダリオさん(来年ここHDLUで個展をする予定)とそのガールフレンドで同じくニューヨーク在住の日本人女性アーティストの桐谷さんという方がいて、一緒に話をしたのだが成り行き上、結局厚かましくも彼女に通訳のようなことをさせてしまった。
フランチェスキさんは興味深い人で僕とほぼ同世代だと思うがクロアチアの現代美術において中心的な活動をしている人であった。今年のベネツイア建築ビエンナーレ、クロアチア部門のキュレーターもしている。
ここでは僕の興味のあるユーゴスラヴィア・アヴァンギャルドに関する情報を得る事ができた。
詳述するときりがないので省略します。11月の前半にまた来る必要ができた。
HDLUという美術館の建物も数奇な運命をもったもので、それだけで一冊の書物が発行されている。旅のあと落ち着いたら触れたいと思う。
今日は沢山の人にあったにもかかわらず、残念ながら写真を撮り忘れてしまった。それだけ話に忙しかったということだ。

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HDLU(HRVATSKO DRUSTVO LIKOVNIH UMJETNIKA /CROATIAN ASSOCIATION OF ARTISTS)

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HDLU内部

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明日から短い旅に出るのでいつものように準備に追われる。
たいしたことではないけど、荷造りは当たり前として
いつもの大掃除をします。

考えてみるとこれは何なんだろうと思います。
この長旅で東京の家を出る時もそうだけど、こちらに来ても、ここを拠点に短い旅に出る時も同じ心境になる。深く考えたことはなかったけれど
旅先で何かあっても恥ずかしくないようにというか、後で人様に迷惑をかけたくないというか、何と言うか。
一種の旅の覚悟とでもいうのでしょうか。

儀式の様に暗黙のうちに夫婦で大掃除をして家をきれいにしてでかけます。
15日からザグレブーベルリンの1週間程の旅が始まるのでその準備で少し慌ただしくなる。
町に行ってザグレブ行きのバスの切符を買ったり、買い物など。
町中のいつものカフェ(かつてチトー大統領のシェフをやっていた人が経営しているソボルさんお気に入りの)でマイーダさん、ソボルさんと待ち合わせし、久しぶり(1ヶ月ぶりか)にお茶をする。
こちらの旅の感想を巡っての話なのだが、ヨーロッパ2000年の主にキリスト教の変遷からオランダやら各国の国民性の話まで広がり全く大変な話になる。もちろんとても面白い話になるのだが自分の英語力がもどかしくもある。
ソボルさん達はもちろん僕の英語力にあわせて親切に話してくれますけど。
バチカンは異端としたのに何故あんなにギリシアやローマ、エジプトのお宝を抱え込んでいるんだ?とか何でヨーロッパは偉大なローマを忘却したのか?とか僕の乱暴な質問に対して、ソボルさん、マイーダさんはさすがに宗教家、とても鋭い分析で答えてくれる。(ここに書き出すときりがないので省略しますが)
印象深いソボルさんの言葉。
「ヨーロッパはこの2000年の間、日本が経験した明治維新のような激しい変革(あるいは歴史の断絶)を少なくとも20回以上繰り返してきたのです。テラヤマサンそれが理解できますか?」
...他にもあるけど刺激的すぎてやめます。
がソボルさんの比喩がとにかく面白い。僕がオランダの印象を当たり障りなくインターナショナルな印象を受けたと言ったことに対するソボルさんの意見。オランダ人の考え方は「臨済禅のようにlike a rinzaizen」strict(精密、厳格)だが、「臨済禅と違って」オランダ人は大都市のinternationalな印象とは裏腹に実は本質的には保守的なのだ、などという言い方なのだ。
確か僕の家は臨済宗だがそれが仏教の中でどれほど厳格であるかを残念ながら僕は知らないのだけれど。

僕らが旅していた間ここリエカは5度から15度ほどで大変寒かったらしい。
僕らが戻ってからインディアンサマーになったとのこと。

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ソボルさん家の庭でできたPOMENGRANATE。とても酸っぱい。

そいえば昨日の深夜テレビで「復讐するは我にあり」1979年をやっていて観た。
ここクロアチアに来て初めての日本映画である。九州弁や三河弁がことのほか新鮮である。(6月頃妻は小津安二郎の「晩春」1949年を観ているが朝早くだったので僕は観れなかった)緒形拳が亡くなっての追悼上映かどうかは分からない。監督の今村昌平は松竹の小津組にいたのだが反発して日活に移ったのだがこの映画は松竹の配給。緒方も凄いがほかの役者も凄い。三國連太郎、小川真由美、清川虹子、ミヤコ蝶々、倍賞美津子、加藤嘉など。映画よりも配役が凄すぎる。


アムステルダム(オランダ)ではこれまで書いて来たようにそれこそ気持ちが悪くなる程(?)たくさんの素晴らしいものを見てきたにもかかわらず、ずっと釈然としないというか引っかかるものがあった。
旅の途中ではその理由は当然分かるはずもなく、ただ単にもやもやした感覚だけが残っていて、それをこちらに戻ってからもずっと引きずっていた。(それは10月9日に書いたオランダ覚え書きにもある。

その理由が何となく分かったのはゴッホ美術館で買ったマーレヴィチの図録を読んでいてであった。
私が9月30日に見たマレーヴィチの素晴らしいタブロー群もウエルクマン(H.N.Werkmanヴェルクマン?)の作品もゴッホ美術館の収蔵ではなくアムステルダム市立美術館の収蔵品であった。この市立美術館(Stedelijk Museum of Modern Art)は2008年までの予定で改装中で、その間一部を中央郵便局に移転展示しており、しかも私たちが訪れた前日になんとその中央郵便局も工事で閉鎖され、結局見る事のできなかった美術館なのである。
http://www.esporre.net/terayama/2008/10/0930rembrandtvermeerghghmalevi.php
http://www.esporre.net/terayama/2008/10/1001-1.php

推測するにおそらくゴッホ美術館が展示場所のない市立美術館に場所を提供していたのだろう。
何故、アムステルダムにこれだけまとまったマレーヴィチがあるかというと上に記した図録、「1878-1935 Kazimir Malevich─Drawings from the collection of the kharzhiev-Chaga Art Foundation」によれば、革命後10年、国内での保守派との政治闘争に敗れた(本当はそんなに単純ではないがあえてそう書きます)マレーヴィチが1927年にワルシャワとベルリンで行なった展覧会の作品がその後の第二次大戦などの混乱でロシアに戻らず、それが(まるごと)ここ市立美術館にまとまって残っている理由だったのだ。
またそれに加えて、ロシアのマヤコフスキー研究家でマレーヴィチと直接つきあい、彼の重要なドローイングの多くを個人的に所持していたN.I.カルジエフ(発音はよくわかりませんKHARDZHIEV1903-1996)が、ペレストロイカの後1993年にアムステルダム市立美術に寄贈したものも加えられたのだった。
これにもドラマがあって90歳のカルジエフはそのドローイングの半分は持って来れたのだが、残りはロシアの空港で警察に差し押さえられ現在はモスクワにある。その後カルジエフはロシアに戻れず奥さんとともにアムステルダムで93歳で客死しているのだ。

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マレーヴィチのドローイング

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マレーヴィチのドローイングを見ていると自分の手で追体験(模写)したくなる程魅力的だ。
あのリベスキンドの初期のドローイングもリシツキーの影響というよりはむしろやっぱりマレーヴィチかと...。
この実感は僕にとって少なからず衝撃であった。

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マレーヴィチとカルジエフ。1933年。

結局、ここで言いたかったのはオランダがデザインのモダニズムに関する研究にとって最も重要な場所だと僕が感じていたのは、基本的にこの市立美術館によっているということなのだった。
これはおそらくこの美術館に歴史的に優れたキュレーターが何人もいる(いた)ということを示しているのだろう。
今回残念ながら僕はそれと出会う機会を逸してしまったのだ。
「せっかくオランダに来て、肝心のモダン・グラフィックのコアがないのは何故だろう?こんなはずじゃあないだろう」と感じたわけがやっとわかったような気がしている。もやもやと苛々の原因。

もちろん旅の出会いは時の運。その事自体は理由がわかった以上そんなにくやしいとは思っていない。もやもやが晴れたのでむしろすっきりしました。
帰国したら図書館でこの美術館(とハーグの市立美術館)が出した出版物を系統立ててちゃんと読んで、必要ならばそれから改めてまた来ればよいと思う。少なくとも3〜4年はかかるだろう。そのころにはいくらなんでも改装も終わっているはずだ。
新たに宿題が加えられました。

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