日本では何の問題もない簡単な料理でもいざここでやるとなると種々細かい問題が発生しそれなりに大変である。(妻はこの夏帰国したおりそれなりの食材を買って来てくれたのだが)前にも書いたが水の味の違いや、お米の違い、魚の匂いや新鮮度、みりんや酢等の調味料、すべてにわたって日本との微妙な違いがどうしても気になる。日本では当たり前のことが実行できないと何か重大な問題のように感じるのだ。
結局はソボルさん達はそもそも日本に来たことがないのだし、その違いはどっちみちわからないのだからあまり気にするのはやめようという(アバウトな)結論に達したのだが。
市場
マーケットに行く途中
歩いて30分くらいのところにあるマーケット。
ユーリッチさんは実は大型船の設計者でユーゴスラビア時代、しょっちゅうロシアに行って船を造る仕事をしていたらしい。ソボルさんは前にも書いたがプラハのロシアンスクールの卒業だし、僕がリシツキーの研究をしていることを知っているマイーダさんはあなた達はまるでロシアン・マフィア、KGBねと冗談を言っていた。それならば僕の弟の方が筋金入りだという話にもなった。(弟はロシアー日本史が専門で嫁さんがロシア人なので)マイーダさん驚いていた。
ダリンカさんは寡黙な人なのだが(私たちがお互いしゃべれないからかもしれないが)とてもしっかりしたお母さんという印象。夫のユーリッチさんはのんびりしたというか、とても大らかな優しい(何と形容したらいいのかわからないのだが)人で何とも言えない素晴らしい人柄を醸し出す。
いろいろ話を聞けたのだけど、私たちが住んでるこの家について。
2〜30年前ここトルサットは人が住んでなくて馬が放牧されていたようなところだったらしい。(今は高級住宅地になっているけれども)そのころここに土地を買ってユーリッチ夫妻は自分たちの家具製作をする工房を作ったのだと。
それが今私たちの住んでいる家の一階部分であったと。この家もそれから少しずつ手作りで現在の三階建てのものになったということが分かった。基本的には手作りなのである。
以前話したユーリッチさんの船もそうだが、実はどんなすごいデザインにもまして彼らのそのような自分たちの環境を手作りで作っていく感覚に僕は強い影響というか感銘を受けているように思う。日本でもそのような人は何人か知っているが、社会全体からみれば本当に廃れてしまっている。
ここクロアチアは社会システムからいえばいろいろ問題もあって、住んでいると不満も沢山あるのだけれど、自分の住む家は自分で作るの当たり前という感覚とそれを金と他人に迷うことなく任せるという感覚の違いは大きいですね。
モノツクリの人間としてはこのことは深く考えさせられます。
http://mutoh.imrf.or.jp/
朝から荷物の整理、壊れたカメラからのデータ救出、メールの送信、たまったブログの更新等で一日過ごす。
息子はこれから一週間程ここに滞在する予定である。
今日は妻と近所のトルサット城や街を散策に出た。
我が家にはもう一人息子がいるのだが、昨年の夏からプロ棋士になったのでお兄ちゃんよりも早く社会人になっている。
私たち親にとって全く未知の世界にいる。
今回の旅も短期間でも来るか?と誘ってはみたものの、全く関心を示さず、またそれどころじゃないということで来ない。
ちょうど今回私たちが旅している同時期には、中国の杭州という所に行って碁を打っている。
滞在期間中、9日間朝から晩まで囲碁を打ち、一日だけ観光日があるそうな。
私も妻も囲碁はほとんどわからない。
この夏妻が一時帰国したおり、クロアチアで暇なおり二人で囲碁の勉強をしようと簡便な囲碁盤を持って来てくれた。
やる時間があるかどうかわからないけれども。
彼は私が何を撮りたいか理解しているのでディレクターとカメラマンは阿吽の関係です。「見る」だけに専念することがこんなに楽なんて。
カメレオン・プロジェクト・メンバーに捧ぐ-1
ここにある一連のオーム貝の化石の美しさには息をのんだ。
この博物館がすごいのはこの再現実証映像(一万年前の石像を一万年前の技術で再現する)である。
説得力満点である。
ドイツとはまた異なった模型のセンスである。
カメレオン・プロジェクト・メンバーに捧ぐ-2
http://chameleon.musabi.ac.jp/
博物館でお茶休憩の後、シェーンブルン宮殿へ。室内を見た後公園を散策。
宮殿内にある温室。ロンドンのキューガーデンに匹敵する。
ここで博物館での激写がたたって(?)息子の携帯の充電がきれる。
このあとトラムで産業技術博物館へ向かう。閉館まで一時間ちょっと前。僕は疲れ果て入館しなかったが息子は入館する。僕はエントランスでメモなどをとる。博物館から出て来た息子が興奮した面持ちで「お父さん、ここ見なきゃ駄目だよ!」とその素晴らしさをまくしたてる。
またウイーンには来るのでその時再訪しようと思う。
一旦ホテルに戻り20分程携帯の充電をし、地下鉄で5駅程離れているフンダートヴァッサーの「ゴミ焼却場」へ向かう。
焼却場隣りの建物
夜遅くお店も開いてないのでケバブ屋でサンドウイッチなどを買ってホテルで夕食。
夜大雨。暑い一日だった。
息子と合流しレオポルド美術館へ。ここはエゴンシーレ、クリムト、ココシュカが中心。途中オーストリア19世紀絵画のコーナーがあるがそれはかなり他と比べてレベルが落ちる。
そこに時間をとられすぎて最後のシーレが閉館のため駆け足になってしまったのが大変惜しまれる。圧倒的にシーレは良かった。
フンダートヴァッサーの建築を見る為にトラムを二本乗り継いで移動。途中郵便局の外観、ドナウ川を見る。
大田君から「先生は嫌いかもしれませんが(笑)」と紹介してもらったフンダートヴァッサーハウス。特に嫌いじゃありません。むしろなかなか興味深かったです。ウイーンの街におけるコントラストに何とも言えないものがありますね。
異和しているようだけど、逆に最もウイーン的な感じがします。
似ていないけどハンスホラインも同様ですね。
数分歩いて同じくフンダートヴァッサーのクンストハウスウイーン。
閉館時間だったので中には入れない。
傍で夕食(息子はでかいシュニッツェル、僕はスープとパンとビール)をとり帰宅。
しょうがないのでその駅で顔を洗い、次の列車に乗る。
結局リンツに到着したのは7時過ぎとなった。
リンツ、ドナウ川
駅で朝食をすませ、駅から少し遠いホテルに荷物を預ける。ブルックナーハウスでイヴェントを見る為あらかじめ予約しておいたワンデイチケットを発行してもらう。
コンペティション部門展覧会場で無事武藤君、正田さんと再会。
武藤君は学生時代ムトゥーと呼ばれていた。多分そのころ何故か踊るインド映画がブームだったせいだと思う。この4月にイギリスで会ったユミッペと同級である。現在は国際メディア研究財団の研究員で、科学技術振興機構さきがけの研究者でもある。この夏はロスで行われているシーグラフにも作品が招待され大活躍中である。となりのショーダさんも7年前の卒業生で現在勝井先生の事務所でデザイナーをしている。二人は夫婦であるが僕らは学生のときの名前のままショーダさんと呼んでいる。今回僕がカメラを駄目にしたというとすかさず彼女は「私のを使って下さい」という(彼女のカメラも僕が使っていたのと同機種なのであった)。ここらへんの臨機応変の心使いがさすがです。ありがたくカメラを一日借りることに。
まずはOKセンターという建物でコンペ部門のその他の受賞作品も含めてムトゥーに案内してもらう。
武藤君の作品。
以前東京で見せてもらったものに比べ格段の改良が加えられ(プロダクツの完成度と、そのオブジェの動きに合わせて外環境の色彩のウオールがアナログで視覚的に変化することを加えて)ぐっと良くなっていました。このレヴェルになるとコンセプト云々はむしろ邪魔(説明的になってしまうの)で作品の完成度のみが問題なのだと実感できました。
とにかく展示物の中でも完成度が図抜けて高いことに安心しました。
以下入賞したその他の作品。
世界各国からかなりの数のエントリーがあり、その中でも日本人作品が4〜5点はあった。日本勢はかなり頑張っている方だと感じた。ただ大賞作品はデンマーク人だったか、かなり政治色が強いもので、審査はかなり国際的なバランスが配慮されている印象を受けた。国際コンペはそのような性格を持たざるを得ないのかもしれない。
全体を見て大変興味深かったし、思う所あるけれども長くなるので省略します。
ただ誤解を恐れずに言えば視デのライティングスペースの作品もコンセプトレヴェルでいえば全然負けてないなあという印象は持ちました。
問題は多分、教師を含めてこういう場所に出て行く気になるかどうかなのだと思う。そのつもりならば大学の支援体制も含めて考えなければならないことが沢山あるように思った。
ただ僕の興味はコミュニケーションにあってアートではないから。
そこらへんは今回ムトゥーと一日中歩き回りながら、「いったいメディアアートって何なんだ?」を巡って喧々諤々語り合いました。
ドイツ在住、彫刻家出身の日本人の作品。音を体感する装置。
これは武藤君の同僚の作品。鳥のコミュニケーションを学習する装置。
これはかなり面白い。ことばによる説明は難しいけれども。
デジタル一辺倒ではなくこのようなアナログインタラクティブな作品もある。というかムサビでも実感していることだが、むしろテクノロジー礼賛からアナログ見直しにシフトしているのかも知れない...。
これは従来のメディアアートの王道のような...。すごくかっこいいのだが、それはインターフェイスがものマニアックな所為でもあって...。
肘の骨を通してドレスデン大空襲の音をドナウ川で聞くという、かなりコンセプチュアルな作品。僕自身この間ドレスデンに行ってこのブログにも記したけれど、やっぱり戦争の傷跡を感じずにはいられなかったので、この作者の気持ちはよくわかりました。
この他大賞作品はよく分からなかったので写真を撮り忘れました。(確かこの左奥の作品です)あとアニメーションでかなり素晴らしい作品がありました。
会場のOKセンター。この近くで4人で昼食。
その後アルスエレクトロニカセンターのビルにある19歳以下のメディアアート作品や歴代のメディアアートの常設展などを見る。
そろそろ、メディアアートという言葉の再定義が必要な時期なのだろうと思う。
川沿いにあるレントス美術館に向かう。
常設のクリムト、シーレ、ココシュカの他、写真の歴史をたどる展覧会が行われていた。空間も広く気持ちのよい美術館であった。
オスカー・ココシュカ。先ほどのOKセンターとは彼の名前からとったものである。多分。
日本人科学者の宇宙に紙飛行機を飛ばそうというプロジェクト。息子が強く反応。
その他リンツ芸術大学で行なわれている日本の超有名某国立大学大学院の展示が3フロア借り切りで行われているのを見た。
コメントは遠慮しよう。
その後4人で古本屋をまわりお茶。
一旦ホテルに戻りチェックイン。シャワーを浴びて夕方8時に再び街の広場へ。
夜は国際メディア研究財団をここ20年以上実質的に率いている大野さんも合流して下さり共に食事をする。大野さんには歴代の卒業生が随分お世話になっています。
今回は沢山の刺激を受けました。やっぱり現場には行くものですね。
とにかく何らかの刺激は受けるものです。
普段、出不精がちの自分を反省。
武藤夫婦には一日中お世話になりました。
これからもがんがん頑張って下さい。
ドナウ川沿いを30分ほど息子と歩いてホテルまで帰る。
その後サンマルコに渡りサンマルコ寺院を見学。
内部は撮影禁止なので床のタイルのみ。この床を見ただけでも一時期のヴェネツイアがいかに豊かであったかがわかる。
その後、街をぶらぶら歩きながらサンタルチア駅に向かい、ひとりで一足先にリエカに戻る妻を駅で見送る。
息子と二人で遅めの昼食をとり、アカデミア美術館へ。ここは14~8世紀の北イタリアの絵画が中心である。特にヴェロネーゼ、ティントレット、ティツアーノ、ジョルジョーネなど。息子はジャンバティスタ・ティエポロが気に入ったようである。(撮影不許可なので画像はない)今回のヴェネツイア滞在は出来る限り船に乗りこの島の様子を見ることが主眼なので基本的には美術館はここだけであった。
この間いろんな美術館でカナレットを随分見たせいか、現実の風景からカナレットの絵を思わず想起してしまいます。
町中の現代美術のギャラリー
その後サンマルコ広場のカフェで一時間ほどお茶。息子の数学における抽象的な美と表象された美との関係に関する小難しい質問をめぐり会話をする。
話をしながら直接は関係ないのだけれど、「そういえばどうしてここにあの偉大な人文主義者アルダス・マヌティウスの博物館がないのだろうか?」と考えた。
ヴェネツイアの人たちはある意味グーテンベルクよりも偉大ともいいうるこの同国人を忘却したのだろうか?まさか。
多分僕が知らないだけなのだろう。どなたか知っている方がいたら教えていただきたいものだ。
ここには冬にもう一度来るつもりなので。
再び夕暮れの中ジューデッカ運河をわたりサンルチア駅に戻る。
7時から30分程のクルージングであった。
陽がほとんど落ち光がグレーに染まる残照の中、ジューデッカ運河の中央あたりを波を切って進む船。
運河と両サイドに島影を見ながらドラマチックに変容する空、そして空間全体の色彩を見る(体感する)という、まことに言葉にもならない至福の視覚体験であった。
私たちは8時半の夜行列車でオーストリアのリンツに向かう。
以下携帯電話のカメラで息子が撮影したもの(解像度は悪いが何とか撮れていた)。
午前中、ヴァポレット(水上バス)でリド島に行く。最初各駅停車だったので小一時間かかる。しかし大小の運河、島の様子、観光客や島の住人など見ていると飽きることはない。
ヴァポレット乗り場
リド島へ
リドに着いた後陸上のバスでヴェネツィア映画祭の会場に移動。写真は会場受付、切符売り場。
見れる映画には上映時間の関係などから限られたものになってしまった。
もちろん僕が見たかったのは「崖の上のポニョ」であったが上映はされていなかった。
息子は宮崎駿も押井守も既に日本で見たと言っていたが。
本会場正面
赤い絨毯に金のライオンのディスプレイ
ポスター
ヴィスコンティのあの映画で有名な砂浜。
付近を散策したあと映画祭の為に設営された大型テントで午後の上映を観る。
ロシア映画の「paper soldier」監督はアレクセイ・ゲルマンJr.。映画はロシア語で、大きな字幕がイタリア語、画面外の下に小さな字幕で英語という環境なので良くは理解できなかったが、あまり好きな映画ではなかった。昔のタルコフスキー的な芸術映画を少し気取りすぎているような印象を受けた。もっとシンプルでもいいのにやたらとカメラのフレームが凝りすぎていて監督の「僕は芸術家です」的な気持ちがうるさい印象。(昔は僕もタルコフスキーは大好きだったのだが最近はどうも枯れて来たせいかもしれない)
例えばウエス・アンダーソンの映画は言葉が仮に全然わからなくても面白いじゃないですか。そういった映画ならではの上手さというのが感じられなくて。言葉、言葉、言葉ばかりで映画的ではなくて文学的。
しかし後でこれが銀獅子賞を受賞したことを知る。
うーん。少し納得できないなあ。
そう、後で改めて考えたのは要するに「タルコフスキーを今やる古くささへの違和感」だったのだ。
勝手な印象ですいません。
その後一旦サンマルコ広場へ戻り、船を乗り換えてムラーノ島へ。
ここはガラスで有名なところである。
宿の近くにある中華料理屋で食事。
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