朝、サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会にてミケランジェロの「モーゼ像」を見る。

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いかにもいわくありげなボルジアの階段を通って、トラヤヌスのマーケットに入る。この遺跡はトラヤヌスの記念柱、トラヤヌスのフォロ(広場)と近接し幸運にもかなりよく保存修復されたところである。遺跡の中に作られた博物館も大変よく設計されていると思う。


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トラヤヌスのフォロ(広場)、トラヤヌスの記念柱

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その後昼食をはさんで、フォロ・ロマーノへ。前回ここは上から眺めただけなので、今回はゆっくり歩きながら見た。

これ程の巨大な遺構の上(中?)に暮らしながらローマ人自身が19世紀の考古学的発掘がなされるまで、このローマの中心を忘れ去っていたとは本当に信じ難いことである。


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エミリアのバジリカ


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クーリア(元老院)


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セヴェルスの凱旋門


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サトゥルノの神殿


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ユリウスのバジリカ


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アントニヌスとファウスティーナの神殿、後世に作られた後ろの教会はなんとも無粋である。


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マクセンティウスの巨大なバジリカ


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その後パラティーノの丘に昇る。ここは二度目となるので写真は省略。


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フォロ・ロマーノを再び通ってコロッセオに入る。前回来た時に工事中だった闘技場の床の部分的な再現がほぼ完成していた。

その後バスでサンタ・マリア・マッジョーレ教会に行く。

かなりハードに歩き回った一日であった。

息子のヨーロッパ滞在も今日までである。明日は飛行機で帰国する。


今日のローマは快晴である。 
再びバチカンへ。

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市バスでスペイン広場へ。夕刻大変な人だかりである。サンクティス設計による有名な階段を昇りトリニタ・ディ・モンティ教会へ。


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地下鉄のフラミニオ駅そばで夕食をとりトラムに乗ってサッカー・スタジアムへ。約20分ほど。

ローマ対レッジーナの試合は3対0でローマの勝ちであった。

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フェリーは朝7時に定刻通りアンコーナの港に到着。
アンコーナ情報は全くなく少し不安であった。港から駅までの距離、所要時間もよく分からない。
タクシーで駅に移動し、7時50分の列車に乗ることができた。
これを逃すと次の列車は12時頃になってしまうのだ。

ローマに12時少し前に無事到着。宿に荷物を置いて市街へ出る。
あいにくの雨となった。
テルミニで遅めの昼食をとり、息子は初めてなのでまずは大雑把に街を見て歩くことにした。
ヴェネチア広場からコルソ通りを歩いてコロンナ広場へ。
ここで翌日(土曜日)のサッカーの試合のチケットを購入。
歩いてパンテオンまで行き近くの、サン・ルイージ・デイ・フラチェージ教会でカラヴァッジョの傑作3点連作を見る。やっぱり何度見ても素晴らしい。
次に国立アルテンプス宮で彫刻を見る。(ルドヴィシの玉座のあるところ)
ナボナ広場に出て、広場に面したサンタ・ニェーゼ・イン・アゴーネ教会に入る。
ここは初めて内部を見る。
次にバスでコロッセオに行き、外観をながめる。
最後にテルミニ駅のスーパーで買い物をして宿に戻る。
今回は前回とダブるので写真は少なめです。

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アンコーナの港

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ローマ再訪。

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コロンナ広場にある、サッカーチームローマのチケット売り場。

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パンテオン、天窓から雨が降っていた。

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国立アルテンプス宮

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サンタ・ニェーゼ・イン・アゴーネ教会
早朝、まずスプリットの北5km、市街からもほど近いソリン(solin)、かつてサロナと呼ばれた遺跡に行く。
ここはローマ帝国ダルマチア(バルカン半島西岸地域)の州都であったところである。
ジュリアス・シーザーの時代ここはローマに組み入れられたのである。

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向こうに見えるのはスプリット市街。

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向こうに見える山と遺跡の関係から、ローマ人が都市を建設する場所のパターンが分かるような気がする。

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サロナ遺跡の後、以下スプリット考古学博物館へ。
ここはクロアチアで最も古い博物館で1820年の開館である。
他のミュージアムにも言えることでかつ特筆すべきと思うのはここスプリットのmuseum はどこも古い建物と新しい内装のバランスが大変良い。クロアチアの中でも頭抜けて洗練されているように感じる。多分理由はあるはずだが現時点の私には分からない。

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穴空きのサンダイヤル。初めて見ます。

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ここからまた宮殿内に戻り散策。

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前庭のドーム。

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20世紀のスプリットの人々。
ここからは宮殿内にある民俗学博物館。ここも内装、展示ともレヴェルが高い。

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こういうのを見せられるとバルカン半島に限らずいかにオスマントルコの影響がヨーロッパに強くあったかということになると思われる。にもかかわらず現在のヨーロッパの人々はそれを忘れ去りたい過去にしようとしている気もする。
なにせ今やユーロに加われば勝ち組ですもの。
湾岸戦争以降の出来事もそのような文脈で読み直す必要があると思いました。僕個人の感想ですが。

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これは特別展。最近アドリア海で発見された青銅のアポロを修復した記念展。その様子が詳しくドキュメントされていた。

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僕は歴史学の専門家ではないが、歴史とは固定化されたものではなくて今の発見から(あるいは未来の新たな知見から)常に更新されるべき世界だと考えると、とても魅力的な学問だと思えます。

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海底に沈んでいたアポロ。

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ここからまた宮殿内散策。

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城壁

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港。

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ここからアンコーナへ向かうフェリーの船上。

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9時にスプリットを出航。

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今日は僕の51回目の誕生日。僕の知らない間に妻と長男が用意してくれたプレゼント。

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モバイルのサンダイヤル!
これは私がいかに方向音痴であるかを示しています。
また東京にいる次男からもうれしいお祝いの言葉をもらいました。
本当に有難いことだと思います。
しかし、この年齢になって(情けないことに僕は)誕生日というのは人から祝ってもらったりする日ではなく、自分を生み育ててくれた両親に感謝すべき日なのだと「やっと」実感するようになりました。
今日はプリトヴィッツェから南下し、クロアチア第二の都市スプリットへ向かう。
バスは予定を30分遅れてやってきた。結局1時間程待たされる。10時15分に出発。
バスは西南に向かいアドリア海の港町ザダールに出た後、湾岸沿いに南下していく。
途中の景色は大変美しい。やはり世界遺産でもある、美しいシーベニックの港も通り過ぎる。
このあたりは世界で最も美しい海岸としてバーナード・ショーやヒッチコックなどが誉め讃えていることでも知られる。
冬の気候から一転して再び夏に戻る。
予定より1時間遅れて4時にスプリットに到着。

港町スプリットの旧市街は、かつてのローマ皇帝ディオクレティアヌス(ローマ帝政後期)が隠居するために作った宮殿が中世以降そのまま街となったところで、城壁に囲まれ内側は215メートルから180メートルのこじんまりとした空間である。(その成り立ちのユニークさから世界遺産となった)

私たちは着いてすぐにこの街が気に入った。

理由はこの街のベースがキリスト教以降ではなく、それよりも以前にある点だと思う。

ローマ時代の遺構はかなり破壊され、あるいはかなりの部分が中世以降の建築物に覆われているものの、古代の雰囲気が充分残っていることによる。

クロアチアの一都市というよりもあきらかに地中海のギリシア人による植民都市的な印象が強く感じられる。

むしろ地形、自然ともにトルコの西南岸、ギリシアのポリスを彷彿とさせる。

宿は旧市街つまり宮殿内にあったので荷物を置き、早速迷路のような宮殿内を散策。

大聖堂(ディオクレティアヌスの霊廟)、宮殿の地下(イスタンブールの地下宮殿ほどではないにせよ、ここもかなりの規模でありしかもしっかり残っている。)、その後夜の9時まで開いている市立博物館へ。


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プリトヴィッツェ、バス停そば。


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やっぱりこの風景はギリシア、トルコを思い出させます。


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ここからスプリット。


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ディオクレティアヌスの宮殿


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地下宮殿の一部。ショップになっている。


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宮殿復元図。約1700年前


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以下地下宮殿


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大聖堂(ディオクレティアヌスの霊廟)と鐘楼。


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鐘楼の鐘


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鐘楼からの眺め


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大聖堂内にある宝物庫


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大聖堂内部は素晴らしい構造体であるが撮影不許可なので天井のみ。


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礼拝室天井


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ここから宮殿内にある市立博物館


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宮殿、城壁


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港。


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朝6時、バスセンター発のバスでプリトヴィッツェ国立公園へ。途中、ミニバスへの乗り換え等があり、当初3時間と聞いていたが結局4~5時間を要する。
ここクロアチアは交通事情に関しては正直に言ってかなり劣悪である。まず鉄道があまり発達しておらずしかも貨物がメインなので普通の旅客便が大変少ない。その点はトルコ、ギリシアと同様であるが、替わりに長距離バス網が発達しているのに比してクロアチアは全く貧弱であり、またそのルートは大変分かりにくい。
例えばプリトヴェッツェに行くにしても観光地(世界遺産)にもかかわらず、リエカからは朝6時のバス一本しかない。そんなはずはないだろう、乗り換え等を含めれば、本当はあるはずだと思いバスセンターやインフォメーションでもさんざん調べたり聞いたりしたがどうやらやっぱり一本しかないようなのだ。

10数年前のユーゴスラヴィアからの独立戦争の影響がまだ残っているせいなのかよくは分からない。


今回行くプリトヴィッツェもその戦場となった世界遺産であり危機リストにも加えられていた。途中、廃墟になった住宅がいまだに痛々しく残っている。

この国立自然公園は約400メートルの高低差の中に(階段状に)大小16の湖があり、それらを92カ所の滝が結んでいるのだ。途中、ボートとエコロジーバスを利用するが約7時間のハイキングである。

ここはバルカン半島の内陸部に位置するため、いきなり気温は10度以下となった。日本で言えば12月の気候、時折雨がぱらぱらと降るあいにくの天気であったものの湖は大変美しく変化に富み見応えがあった。

湖のそばのムキエネ村の宿に泊まる。

夕食には大きな川魚が出た。


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内戦の傷跡


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町に出てバスセンターとフェリー会社に行き切符を購入。

終日、明日からの旅の支度。

息子のリエカでの滞在もこの日で最後となる。 


終日、次の旅の準備に追われる。
息子は一人でクルック島へ。

ここではいつも「旅の準備」と簡単に書いているものの実際は、宿やバス、列車、フェリー、飛行機などの予約や確認作業はとても煩雑で手間がかかる。しかも日本国内と異なりほとんどが英語でやりとりしなければならずそれも面倒である。
この作業は僕は信用されてないので普段は妻がやってくれている。

今回、当初決めていたクロアチアのスプリット〜アンコーナ(イタリア)のルートをソボルさん達の強い勧めもあって今週になってドブロブニク〜バーリに変更したのだった。それにあわせて宿の予定もキャンセルし新たに探すという作業も行う必要が生じた。
その作業を今日やっていて、ほぼ終わった段階になって、僕らが予定していた日に限りフェリーが運行していないことに妻が気づいたのだった。(もし気づかないままで出発していたらどんなことになっていたか考えただけでぞっとします)
それから大慌てで対策を講じることになった。例えば日程を一日ずらすとか、フェリーをあきらめて飛行機の便を探すとか。こうなると時間的にメールでは間に合わなくなり直接電話するしかない。またその変化にあわせて宿の予約とキャンセルを再々度やり直さねばならない。
そんなこんなで半日が潰れてしまった。


8時頃帰って来た息子とともに近所にある名物レストラン(我々も行くのは初めてである)に行って夕食。
終日調べもの、資料の整理、読書。 
夜、インターネットで吉本隆明さんの昔の講演テープを聴く。約130分。テーマは「思想としての聖書」。
吉本さんの声を聞くのも始めてだったし、話し言葉を目を閉じて聞くという経験も久しぶりで大変新鮮であった。

次にここを発つのは16日の予定である。
プリトヴィッツェ国立公園に行きクロアチアを南下しフェリーでアドリア海を渡る予定である。古代のギリシア人やローマ人のつもりになってみたいのだ。

ヴェネツィアで壊してしまったカメラの代わり(これまで使っていたものと全く同じ機種。ヨーロッパでは手に入らない)を東京にいる大田君に頼んでいたのだが、今日無事に到着した。16日の出発までに間に合うかどうかヒヤヒヤだったがなんとか間に合った。
大田君は何かトラブルがあるといつも迅速に軽やかに対応して助けてくれる。彼は私たちの旅を見守る守護天使の一人である。天使は子供とは限らないのだ。ヴィム・ヴェンダースの映画に出て来るブルーノ・ガンツやピーター・フォークの例もあるように。
終日調べもの、次の旅の準備。
息子は一人でポレチュへ。

恩師からメールでカメラ事故お見舞い(+励まし)をいただいたのだが、同時にリンツでショーダさんに会った折、(今回、旅で)行けなかった展覧会の記録写真をもらった。
こちらリエカに戻りゆっくり拝見させてもらっている。
とにかく強烈なインパクトを受けている。
展覧会会場の記録写真でしかないので肝心のディテールは見ることができない。(多分今日可能な印刷技術をここまで使い倒しているものはないのだろうと推測はできるけれども)
しかしこれを見ていると何か「僕は今ここでこんなことしていていいのか?」と妙に落ち着かなくなってくる。
しかし当然、今更引き返す訳にはいかない場所にいて「いやとにかく色々考えるのはこの旅を全うさせてからだ」とも思うのだが、正直気持ちが乱れるというか何と言うか...。
結論としては「今やれることをもっと徹底的にやらねばならない」ということになったのだが。
...支離滅裂なようですが分かってもらえる人には分かってもらえると思います。
多分これを現場で見た人(デザイナーや先生の教え子)の多くは僕と同じように感じたのではないかと想像する。
旅半ばにしてここには書けないが年相応にそれなりに悩み、のたうっている自分には、言葉をこえた強烈なカンフル剤となった。
しかしこのカンフル剤は取り扱いに注意が必要です。
だってこれだけの集積をいきなり見せられたら上空2000メートルを飛んでる飛行機を見上げるようにリアリティがなくなってしまうから。
先生もこれらを日々こつこつと積み上げてきたのだと思うことにしよう。
自分は地面の上をただ歩くしかないスピードだったとしても。

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それにしてもこのオブジェはどう見えるのだろう?現物を見たいものです。

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